4 朝ごはん
「そう言われると、なんか、傷つきます」
「……いやだってさぁあ?」
ちょっと頬を膨らませる青年に、私は頭をガシガシと掻きながら、呆れ声で説明を始める。
「こんな私よ? これが絶世の美女だったり、とおっても可愛い子だったりしたら、まだ分かるよ? だけど、こんな私だよ?」
腕を広げ、主張する。
私の見た目は、世間一般的な女らしさからは遠い。身長は百八十を越し、鍛えてもいるから筋肉がついていて、髪はショートでただの黒。染めてもいない。
それに今は、起きぬけという事もあって、メイクすらしていない。すっぴんだ。顔の造作もいたって普通。女子なら皆持っているという、可愛らしい部屋着だって持ってない。今の私の格好は、ジーパンに長袖シャツという、とてもシンプルなものだ。
そんな私に、昨日ちょっと一緒に呑んで、その後介抱したからといって、かんたんに心を開くかね?
「そんな、卑下することないじゃないですか」
「いや、卑下じゃなくてね?」
「……だとしたら」
青年は姿勢を正し、テーブルの上で手を組んだ。
「そんなあなただから、と、言い換えても良いですか?」
澄んだ水色の瞳が、まっすぐに私を見つめる。
……。
「……キミ、五百生きてるだけあって、経験も豊富?」
「経験?」
「恋愛経験」
「れんあいけいけん」
青年は、少し首をひねって。ややあって、顔を赤くして目を見開いた。
「なっ……! ちがっ、な、なんてこと言うんですか! こっちはとても真剣なのに!」
「いやだって」
『ニァア?』
そこに、可愛らしい声が割って入る。ミケが起きてきて、また私の足に頭を擦り寄せてきた。
「なんだいミケ。今、このお兄さんとお話し中なんだよ」
と、言いながらも、ミケを抱き抱え、テーブルに乗せる。
「……三毛猫だから、ミケ、ですか」
「そう思うでしょ? しかし残念、ちゃんとした名前があるんだなー」
私はマグカップをミケの遠くに置き直し、ゴロンとへそ天になったミケのお腹を撫でる。
「ミケはミケランジェロ、黒猫のクロはクロード。そしてあの白猫ちゃんはシャルロット。だからミケにクロにシロなんだよねー」
『ニャウんぃにぃ〜……』
「なんにしろ色由来なんですね」
「もー、野暮なこと言わない。……あ」
そうだった。
「青年。私まだ、青年の名前聞いてないや。教えてくれない?」
寝てしまったミケから手を離し、そう言ってみる。
「……」
すると、青年は押し黙った。その薄い色素の瞳が、彷徨う。
はて。
「あ、私もフルネーム言っていないね。神永ナツキって言うんだ。歳は二十八。職業は会社員」
私から簡単に自己紹介すれば、青年は少し俯き、目を閉じて、ゆっくりと開いて。
「……言いづらいなら、言わなくてもいいよ?」
「いえ、大丈夫です。……車崎アオイ、と、名乗ってます。戸籍上の歳は、二十三。ですけど……元の、昔の名前は、セイ、と言います。本当の歳は……実を言うと、五百を超えている以外、よく分からないんです」
また、寂しそうに笑う。
車崎アオイ、二十三歳。セイ、推定五百歳以上。
「……えっと、じゃあ、名前、どっちで呼べばいい?」
「……あなたには、セイと、呼んで欲しいです」
寂しそうに笑うその顔に、思わず魅入ってしまってから。
「……お、おぉ……じゃあ、セイ、くん? さん? セイ?」
「呼び捨てで構いません」
「じゃ、セイ。話を戻していい?」
「?」
「お金」
「あ。……ああ、そうでした。すみません」
「いや、いいけども」
言いながら、財布を手に取る、その手に目がいく。
……肌艶の良い、とても綺麗な手だ。爪の形も整っている。パーツモデルも出来そうだな、この人。
「すみません、細かいのが、今無くて」
そんなことを思っていると、青年、じゃない、セイは、そう言って。
「これでもいいですか?」
と、差し出してきたのは、全て万札。
「……一ついいかな、セイくんよ」
「はい」
「私ね、今、ほとんどをキャッシュレス決済で済ませてんのよ。だからね、手持ちのお金が少ないの」
「そうなんですか」
「そうなんですよ。だから、ここまで大きい額のお釣りが出ない」
「そうですか」
セイは、涼しげな顔をして、一つ頷くと。
「では、お釣りはいりません」
「いや、そーゆー訳にはいかんでしょ。……やっぱ振り込んでもらうか……?」
「いえ、このくらい。昨日の迷惑料と秘密を知ってもらったご恩で帳消しですよ」
「いやいや。帳消しにはならないでしょうよ」
「でも、受け取って欲しいです」
セイは、スィ、とテーブルの上を滑らせて、万札の束をこちらに寄越す。
「んー……」
「どうぞ」
その顔は真剣そのもの。
「どうぞ」
「……分かった。受け取ります。けど、それなら、私もその分働きましょう」
「働く?」
「うん。具体的には、君の分の朝ごはんも作るから食べない? ってことだけど」
そう言ったら、セイは目をまんまるに見開いた。
「……あさごはん」
「うん、朝ごはん。あ、朝は食べない派?」
「いえ、そうではなくて……いえ、その。ここのところずっと食欲がなかったものですから。朝ごはんという概念を忘れかけていました」
口に手を当て、眉をひそめて。なんだか唸るように、セイは言った。
「……昨日、食べてたじゃん」
「あれは、本当に、久しぶりで……酔っていた勢い、とでも言いますか……それに、食べるというより、食べさせてもらいましたし……」
「……」
そうだった。私も酔った勢いで、コイツに結構なことをしていたな。
「……えっと、まあ、いいや。それで、ご飯、食べる? 食べない?」
「食べます。食べたいです」
強く頷くセイに、
「じゃあ、どんなのがいい? あ、あんまり凝ったのはナシね」
「……えぇと、逆に、ナツキさんはどんなものを食べているんですか?」
「私?」
えーっと。
「ハムエッグとか、簡単なサンドイッチとか、ポトフとか。あ、洋風が多いな」
「では、ナツキさんが食べたいものをお願いします」
「いいの? さっき言ったみたいのになるよ?」
「ええ、良いんです。ナツキさんの食べたいものが食べたい」
「……そお」
キレイな顔して、微笑みやがって。
あーあー、アラサー恋人無しにはちょっとキツいですよ?
「じゃ、作るね。ちょっと待ってて。あ、アレルギーとか、なんかある?」
「いえ、何も」
「そっか、了解。あ、それと、ソファ使っていいよ。テレビも点けていいし」
「分かりました」
こくり、とセイが首を縦に振ったのを確認して、コーヒーを飲み干し、マグカップとコップを持って立ち上がる。そして、ぐるっと回ってキッチンに移動した。
この家のキッチンは対面式で、リビングを見渡せる。だから、セイが何をしているか確認できるし、なにか問題が起きたとしても、すぐに対応ができる。だからまあ、なんかあっても大丈夫でしょう、うん。
「さぁて」
エプロンをつけ、独りごちながら、冷蔵庫を開ける。
何かしら作れる程度には、ものはあったと思うけど……。
「……うん、決めた」