第八話 繰り返す後悔
「失せろ。」
俺のその声に、日花里をナンパをしていた男二人の顔は青一色に染まる。
別に以前から接点があったわけではない。前から恐れられていたとかそういうこともない。
ただ一言、それだけで、人を恐怖させた。
「す、すみません。」
「ごめなさい…」
二人は俺の言葉に、怯えた様子で逃げていった。
「・・・」
残されたのは収まりきらない怒りと、その様子を黙って見つめる日花里。
「虹野くん?」
数秒後、日花里が口を開く。
「っ!」
その呼びかけで我に返った俺は気がついた。
日花里の顔には若干の恐怖が浮かんでいた。それだけではなく、こうして怖さを噛み殺して俺に声をかけている。
(また、やったのか?)
俺は手のひらで顔を覆う。
髪の毛が強く握られ、頭皮がひりひりと熱を帯びる。
息も少し荒くなる。
右の手に持っていたペットボトルの表面に水滴が付き始める。その水滴はゆっくりとボトルを伝い、離れると重力に従って床へと消えていく。
瞬間俺は走り出した。
逃げるために。
日花里から、この現実から、自分の過ちから。
無我夢中で走る。
気がつくと俺は人気のない廊下に立っていた。たまにこのゲーセンは来るがこんな場所に着いたのは初めてだ。
「お前らはまともに女の一人もも連れてこれねーのか?」
俺があたりを見渡していると、少し先の曲がり角から怒鳴り声が聞こえた。
「す、すみません。」
「いい子がいたので声をかけたんですけど連れの男がいて…」
「言い訳してんじゃねーよ!」
再び怒鳴り声が聞こえると、鈍い音が響き、一つの影が転がってきた。
「ごほっ、ごほっ…ん?あ、あんたは!」
その影の主は腹を抱えて咳き込んでいたのだが、俺を見るや否や、大きな声をあげる。
「うるせーぞ!何言ってんだ!」
「こ、こいつです。こいつのせいで。」
先程ナンパをした男の一人が、まだ顔も見えない怒鳴り声を上げる男に言う。
「あ?どいつだ?」
そんな声とともに現れるのは、短い髪を金に染めたDQNという表現がよく似合うがたいのいい男だった。
「お前か?オレの女を取った奴は。」
ゴキゴキと首と指を鳴らす男。
「は?誰がお前の女だ?」
それに対して未だ苛立ちが収まらない俺も睨みを利かせる。
「そこで転がってるバカ二人がナンパした女だよ!今、オレはイライラしててな。ちょっと面貸せや!」
「お前のせいか…お前のせいで俺はまた大事な奴を怖がらせちまっただろーが。ムカつくなぁ…死ねよ。」
言い終わると、目の前に男の右拳が飛んでくる。
「ゴミは転がっとけ。」
俺は体を捻ってそれを躱し、手首を掴んだ後に体重移動により、巨体を投げ飛ばす。
ここは漫画の世界ではないので壁に衝突してヒビが入るとかはないものの、それでも派手な音を立ててぶつかり、男は気を失う。
久しぶりの感覚だった。
以前にもファンクラブの奴らを沈めたが、明確な敵意を持って力を振るうことはなかった。
しかし今回は違う。
敵意が、むしろ若干の殺意すらもあったのかもしれない。
俺は伸びている男から目を離すと、ナンパ野郎二人に言い放つ。
「二度とこんな真似はするな。そして俺に関わるな。」
その言葉を残し俺はその場を後にした。
家に帰り、俺はスマホを開く。
映画館で通知を切り放置していたため気づかなかったが、大量の通知が来ていた。
一番は日花里からのメッセージだが、その下に一通の邦夫からのメッセージがあった。
開いてみると
『あんまり気にすんなよ?』
そんな一言。
まるで今日の出来事を知っているかのような、そんな言葉。
[なんのこと?]
俺はしらっばくれるが、少しして
『河井さんから、聞いたよ。ナンパにあって困ってたら、お前が別人みたいになって、追い払ったって。』
と返される。
以前の過ちを知っている邦夫のことだ、だいたい今の俺の精神状態もわかっているのだろう。
俺は怖い。
大切なものを傷つけられるのが、失うのが。
そして何より、自分の行動で大切な人が離れて行ってしまうのが。
[邦夫、俺またやっちゃったよ。また嫌われた。自分の気持ちが抑えられなくて、そのせいで河井を怖がらせた。]
俺にとって日花里は既に大切な人になっていた。
最初の方はそれこそ、たまたま助けて、気に入られ、ひっつき回られ、少し…いや大分ウザいとも思っていた。
しかし関わっていくうちに段々と一緒にいて楽しくなり、傷つけるのが怖くて周りと関わりを持たなかった俺が柄にもなく仲良く過ごすようになった。
だけど結局、俺は自分のせいで日花里を傷つけてしまった。
正直、これからどうするべきかわからない。
学校は疎かクラスまで同じな日花里と関わらないことなど不可能だ。
だが、合わせる顔が俺にはない。
いっその事転校でもするか…いや、そんなことできるわけない。
「なんで…」
思い出すのは、先ほど伸ばした男の姿。そしてナンパに困り、俺に恐怖の表情を見せた日花里の顔。
人は根本的には変われないらしい。
どんだけ変わろうと努力しても、どれだけ上手に取り繕うとも、結局いつかは元に戻ってしまう。
俺にこんな力がなければ、ラブコメのようなご都合展開でなんとかなっていたかもしれない。
俺にこんな中途半端な力じゃなく圧倒的な力があれば、怖がられることなく日花里を守れたかもしれない。
・・・無理か。現実はそんなに甘くない。
前の俺は知っていた。でも俺はわからない振りをした。
いくら努力をしていい成績を取ろうが、いくら武術を習い強くなっても、大切なものは守れない。そして身に余るものは返って大切なものを傷つける。
現在、家には俺以外誰もいない。母さんと父さんは平日に残ってしまった仕事を片付けるために今日は出勤している。
デジタル時計が時間を示す中、いつの間にか時間がズレていたアナログ時計の秒針がカチカチと音を鳴らしながら残りの二本の針との距離を縮めては伸ばしている。
そんな空間で俺は一人横になり、昔の出来事を思い返す。
「拓夫、このアニメめっちゃ面白いから見てみろって!」
三年前、中学一年生の最後あたりだった。
小六の頃に仲良くなり、今年も同じクラスになった大田邦夫からスマホを見せられる。
「あのな、中学はスマホ持ち込み禁止だ。」
さも当然のようにスマホをいじる邦夫に注意をしつつ、俺はその画面に目を向ける。
「う〜ん、確かに邦夫が好きそうではあるけど、俺の好みじゃないな。」
俺はあまりアニメのどの娯楽に関心がなく、毎回邦夫におすすめされても見ることは滅多にない。
「もたいないなー。勉強ばっかしてると脳細胞が死んでバカになるぞ。」
「ならねーよ。それに、あいつとテストで勝った方の命令を聞くって約束したからな。勉強は欠かせない。」
「はぁ、熱々でようござんしたね。」
俺の言葉に心底呆れたように溜息を吐く邦夫。
俺には好きな人がいる。
そしてその子とは結構仲が良く、周りに一緒に遊んだ日のことを話すと「イチャイチャするな」と理不尽に怒られる程だ。
ちなみにその子とは付き合っているわけではないので、本人の前でイチャイチャとか言われるのは避けたい。
「いいよな、勉強ができて、運動も空手もできる。それで彼女がいるんだから羨ましい限りだよ。」
「だからそう言うんじゃないって。あっちは俺のことそういう目で見てないだろうし。」
「はぁ…」と溜息を吐かれるが、何に対しての溜息なのやら。
「絶対に向こうもお前のこと好きだって。拓夫はモテてるんだから、自信持てよ。」
やれやれと言った様子で肩に手を乗せられる。すごくムカつく。
「そういや、いじめの方は片付いたのか?」
邦夫が思い出したように言う。
『いじめ』。そう、俺の想い人はいじめられていた。
その理由はわからないが、俺は助けるために色々試行錯誤した。
「一応、注意はしといたけど、それが吉と出るか凶と出るかだな…」
俺は溜息を吐く。
女のいじめは悪質だと耳にするが、今回それに関わったことでその意味がわかった。
男のいじめは暴力や暴言などと目に見えやすいものが多く、相談による対処は比較的簡単である。
それに対して今回のような女のいじめは、じわじわと陰口や物を隠すなど陰湿で対応が難しい。
「早めに気づけてよかったよ。」
今回は早期に異変に気がつき相談に乗ったことにより、彼女の精神的なダメージは控えめに終わった。
一応の措置も取ったし大丈夫、俺はそう思い込んでいた。
それから数ヶ月が経過したある日、とある知らせが耳に届く。
俺の想い人が自殺を図ったそうだ。
幸い、部屋に様子を見に行った母親が止めに入り、最悪の事態は免れたが精神的にだいぶやられていたそうだ。
なぜこんなことになったのか俺にはわからなかった。
「なんで自殺なんか!」
俺はすぐに彼女の家に訪ねた。
以前より彼女の親とも良い関係となり信頼もあったことで、俺は部屋に通してもらえた。
「はは、拓夫くんに知られちゃったかー。」
いつもの明るい声。しかしそこには活力が感じられなかった。
「知られちゃったかー、じゃない!なんで…教えてくれよ…」
俺は涙と共に言葉を零す。
「拓夫くんに迷惑かけたくなかったからかな。だって、拓夫くんが嫌がらせに注意してからもっと陰湿になったとか聞いたら自分を責めるでしょ?」
ぎこちなく笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「あと、拓夫くんは優しいから私のために本気で怒っちゃう。拓夫くんは頭もいいし、力も強い。もしかしたら悪者扱いされちゃうかも。」
そこで気づく。俺のせいだと。
俺が余計なことをしたから、俺が力なんてものを無駄に持ってるから、人の考えを改めさせるほどの圧倒的な何かがないから。
そして何より、俺が人を大切にするから。
(なんでだよ!)
頭では理解できる。
俺が正義感を振りかざし、中途半端に止めに入ったから、より陰湿に過激に、彼女の精神が蝕まれる結果になった。
それでも、どこからかふつふつと何かが煮えたぎる。
この不快感…これが心の底からの怒りという物なのだろう。
今までの生半可な物ではない。深くドス黒い負の感情。
「馬鹿野郎...」
それは彼女の気遣いに向けた物なのか、不甲斐ない己自身に向けた物なのか…
それから、作り笑顔を貼り付けるも瞳に生気を感じられない彼女といくつかの言葉を交わし、彼女のもとを去る。
することは決まった。
それから数日が経過したある日。俺は情報を集め、満を辞してその場に立つ。
「虹野くんどうしたの?」
「おいおい虹野、こんなところで何の用だ?」
俺は数人の女子と、そいつらに群がる複数の男を空き教室に呼んでいた。
理由は単純明快、復讐だ。
「なんでここに呼ばれたか、本当にわかんないか?」
俺は質問に質問で返す。
「いやぁ、わかんないかなぁ。なぁ?」
「そうだね、よくわかんない。」
ケラケラと笑いながら言葉を吐くそいつらを俺はじっと見つめる。
「な、なんだよ...」
その視線に気づいた1人から笑みが消えた。
表情に出てしまっただろうか?俺の心の中では今、怒りと憎しみが渦巻いている。
もし表情に現れていたのなら、それこそ彼には俺が別人のように見えていることだろう。
俺という人間は基本的に完璧と言って過言ではない。自分で言うなという話だが、客観的な視点からそう見えてしまうのが俺だ。
俺は文武両道、物腰柔らかな人間を目指している。
これは誰もが一度は考える自分の理想像であろう。俺はそれを実現しようと思えるまでの才能があった。
今はそれが邪魔をしてこんな事態に発展しているのだから、ない方がマシだと思うが...
俺は普段、人前であまり怒るということをしない。そいつのことを思って注意をすることはあっても、自分の感情で誰かに怒りを抱くことはなかったのだ。
そんな俺が今は怒りに駆られてる。
「に、虹野...やめろ、やめてくれ...」
「っ!」
気がつけば、この場でケラケラと笑う1人の男子生徒の胸ぐらを掴みあげていた。
俺は慌てて手を離す。
別に俺は暴力で解決しに来たのではない。
「けほっ…いきなり何すんだよ」
胸ぐらを掴んだ男子が睨んでくる。
「お前ら、イジメしてただろ。しらばっくれんな」
俺は彼の言葉を無視して、喋り始める。
伝えるのは、こちらがイジメの証拠となるものを既に集めていること。そして、自殺にまで精神を彼女の今の状況だ。
「証拠があるっつってんのに、お前らは知らないフリを続けるのか?」
俺はイジメの大元である女子に視線を向けながら言う。
「し、知らないし…」
震えた声が聞こえる。
「おい、やめろよ。怖がってんだろ」
「そうだよ。やめてあげて。知らないって言ってるのに、可哀想だよ」
そしてそこに流れる助け舟。
つくづく卑怯な連中だ。
「俺、女子の方には、あいつ嫌がってるからやめてあげてって言ったよね?その時点でとっくに情報は入ってんだよ」
俺の言葉に目を泳がせる主犯格の女子。
「い、言いがかりだよ…なんでそんな事言うの?」
そして、次には嘘泣きを始める。
「おい、マジでいい加減にしろって!女子泣かしてまで何がしてーんだよ!」
取り巻きの男子が俺の肩を掴む。
「じゃあ、人1人自殺に追い込んでなにがしてぇんだ?」
俺はその手首を掴みひねり揚げながら怒鳴る。
「ってぇな!そもそも、あんな女の何がいいんだよ」
すると男は俺の怒鳴り声に負けない声で怒鳴り返す。
「気持ち悪ぃんだよ。お前みたいな何でもできるやつに気に入られて、毎日ヘラヘラと!」
「そうよ、調子に乗るからこんな事になるの。ウチらは悪くないし」
そして吐き捨てるように並べられる言葉の数々。
その内容に、心の中で渦巻く何かが風船のように膨らみ弾けたのを感じた。
「ふざけんなっ!」
俺は感情に任せ1番近くにいる男を殴り飛ばしす。
力任せに放った一撃は見事に目標の顔面を捉えた。
その光景を見た女子達は悲鳴を上げ、男子達は逆に殴りかかってくる。
2人を蹴り飛ばす。
だが、背後の1人から殴られる。
それでも気合いで踏ん張り、すぐに殴り返す。
時間にしたら数分程度。
騒ぎに気がついた教師たちが駆けつける。
「なにやってるんだ!」
教師達は殴り合う俺達を抑え、女子たちに事情聴取を行う。
その女子は揃って嘘泣きを始めた。
「とりあえず生徒指導室に来い」
教師はこの場の全員にそう言って、俺とイジメのグループを連行した。
話し合いはスムーズに進んだ。
まず最初に俺はイジメの事を話した。
教師達は俺の想い人の子に話しを聞こうにも、精神状態の不安定を理由に門前払いされていたらしく、イジメをしていた生徒を知らされ驚いていた。
そしてイジメの主犯格の女子は言い訳をし、他もそれに続くが、教師はあまり信じていなかった。
後にそれぞれが保護者を交えた話し合いを経て、俺とイジメのグループメンバーは高校の推薦権を取り消された。
さらに学校には今回の件の噂が広まり、その影響でイジメをしていたグループは全員不登校となった。
「そんな感じになったよ…」
その後、詳しい事情を教師へ数日をかけて説明し、俺は想い人へ今回の事を伝えた。
「拓夫くん…」
彼女が俺の名を呼んだ。
「私、怖いよ…」
俺は彼女の安堵する姿が見れると思っていた。
それなのに俺の瞳には期待していたのとは全く別の、むしろ真逆とも言える彼女の姿が映されている。
「なんで…」
その光景に思わず言葉が漏れた。
「確かに私はいじめられてて辛かったし苦しかった。でも…」
彼女は震える手を握り、必死に抑えながら
「それじゃあ、私があの子達を不登校に追い込んだみたいじゃん」
「そんなことは…」
「そんなことないってのはわかってる。でも、心のどこかでそう思っちゃう。拓夫くんが私のために頑張ってくれたのは嬉しいよ。でも、だから私は」
その決定的な言葉を紡いだ。
「拓夫くんといるのが怖い」
俺の中の何かがポキッと折れた。
俺の行動が彼女を苦しめた。
その事実に俺の思考は暗闇の中に葬られる。
彼女は言葉を続けるがその内容ももはや聞こえない。
(俺はなんのために動いてきたんだ?)
その後のことはあまり覚えていないが、一通り思いを吐き出したのであろう彼女に促され家に帰ったことだけが記憶に残っている。
それから数週間後、彼女は引っ越した。
見送りに行こうとも考えたが、俺は彼女に何かをして傷つけるが怖くて結局何も行動に移せなかった。
「ん…」
いつの間にか寝ていたらしい。
過去のことを考えながら寝ていたせいで夢に見てしまった。
最悪の目覚めだ。
スマホの振動する。
邦夫とメッセージのやり取りの途中で寝てしまったらしく、スマホの光が寝起きの目を細めさせる。
そんな中で邦夫が最後に送ったメッセージが目に入る。
〔嫌われたかどうかは本人に聞いてみなきゃわかんないんじゃないか?〕
(やっぱり邦夫は優しいな)
俺はその内容に口角を上げる。
邦夫はあの後、俺が周りとの関わりを少なくしていった時でも変わらず接してくれた。
再びスマホが振動する。
画面上部を見ると、日花里からのメッセージの通知が来ていた。
俺は開く気にならず、通知を消そうとするが
”〔本人に聞いみなきゃわかんないんじゃないか?〕”
すんでのところで邦夫のメッセージの内容が頭をよぎり、通知をタップする。
スマホの画面が切り替わり日花里とのチャットが映される。
それは大量のメッセージで埋め尽くされており、その内容は決まって俺を心配するものだった。
〔明日、家にお邪魔してもいい?〕
〔話聞かせて〕
さっきの通知のメッセージが下の方に見つかった。
俺はその返事を打ち込む。
そして送ろうとした時に指が止まる。
体が過去のトラウマからこの行為を拒絶している。
しかしそれではいつまでも前には進めない。
俺は一度、深呼吸をして画面に視線を戻す。
そして意を決して送信ボタンを押した。
既読がすぐに付き、数秒後
〔ありがとう。じゃあ明日行くね〕
と日花里から返信が返ってきたのだった。
次回に続く
前回の投稿から大変長らくお待たせ致しました。
こんな低頻度投稿の作者ですが、これからはなるべく早く投稿できるように頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いします。