08_つつじ色の鋭い眼差し
応接間に案内して、二人で向かい合って座った。元々お互いに口数が少ない上、共通の話題もないため、部屋の中に静寂が広がる。
(う……気まずい)
天気の話でもしてみようか。いや、家族や好きな食べ物の話がベタだろうか。話題の種をあれこれと考えるエルヴィアナ。しかし、気まずいと思っているのは自分だけのようで、クラウスは幸せそうに目を細めながらこちらを凝視している。人の顔を見て何がそんなに嬉しいのだろうか。こちらとしては尚のこと気まずい。
エルヴィアナが気まずそうにしていることを察した彼が、申し訳なさそうに口を開ける。
「すまない。俺はあまり口が上手い方ではないから、こういうとき君を楽しませる話が思い浮かばない」
「いえ、それはお互い様よ。クラウス様こそ退屈では?」
「まさか。俺はエリィと同じ空間にいるだけで幸せだ」
「……またそうやって調子のよいことを」
嫌いな相手との時間を幸福にしてしまうなんて、やっぱり魅了魔法の力は恐ろしいと苦笑する。
すると、クラウスの視線がソファの後ろに飾られている騎士の甲冑に留まった。両手から地に剣を突き立てていて、剣の柄の先に青い飾りが吊る下がっている。
「あの飾り紐は……」
「年季が入っているでしょう? あれは祖母が実際に祖父に贈ったものなの」
祖父は遠い昔、一兵卒として戦って武勲を上げた。戦に出るとき、祖母はお守りとして剣に付ける飾り紐を贈ったのだ。
イリト王国には、戦に行く前に愛する相手に、女性から手作りの飾り紐を贈る文化がある。糸で編んだ花にタッセルが下がるデザインで、愛情の証に自分の髪を編み込むことも多かったとか。
今は戦がなくなって平和な時代になったが、狩猟のときに、獲物を沢山捕えられるようにと飾り紐を贈ることが貴族の間で流行っている。
祖母が贈った飾り紐には、彼女の金髪が混ざっていた。
「俺もエリィに貰った飾り紐を、今も大切に取ってある」
「嘘……」
「本当だ」
実はエルヴィアナも、一度だけ彼に飾り紐をプレゼントしたことがあった。事件が起きた13歳の狩猟祭の日だ。クラウスは動物好きで殺生を嫌うので参加しなかったけれど、形式だけでもと思って作ったのだ。
渡したときとても嬉しそうにしてくれていたが、それきり関係がどんどん拗れていったので、とっくの昔に捨てられたと思っていた。
「君から貰ったものは何でも取ってある。例えば――」
そう言っておもむろに懐からちいさな巾着を取り出す彼。巾着の中には紙の包みが入っていて、それを広げた中から現れたのは――。
「糸ぼこりだ」
「いとぼこり」
ドヤ顔で糸ぼこりを摘んでこちらに見せてくる。一体どんな反応をしたらいいんだろう。クラウスは懐古心に浸るように、目を細めながら語った。
「俺の肩についていたこれを君が取ってくれた。思えばこれが最後の贈り物だった」
「贈り物じゃないですただのゴミです捨ててください」
「あれは一年と257日前のことだった」
「こわい」
人生、何がどうひっくり返れば糸ぼこりを持ち歩こうと思うのだろう。世の中の大抵のものが手に入るような公爵家のボンボンが、糸ぼこりを後生大事に保管しているなんて、誰が思うだろうか。
エルヴィアナは依然ドヤ顔をしているクラウスから糸ぼこりを強奪して捨てたくなったが、可哀想なので辞めた。クラウスは「捨てられるはずがないだろう」と言ってのけて、また紙に包んで懐にしまった。
(でも待って。……一年以上前ってことはまだ魅了魔法にかかってないはず)
なのにどうして、エルヴィアナの贈り物(?)を大切に残していたのだろうか。さっぱり訳が分からない。
「糸ぼこりなんかより、もっと他に大事にしがいのあるものを贈るわ。何か欲しいものはある?」
「君からもらったものならなんでも宝だ」
「こういうとき、なんでもいいが一番困るのよ」
「……なら、次の狩猟祭で飾り紐がほしい。君の手作りの」
狩猟祭は毎年クラウスと共に参加しているものの、飾り紐を贈ったのは後にも先にも13歳のとき一度きりだった。まさかこうして彼からほしいと望まれる日が来るとは思いもしなかった。
「……考えておくわ」
飾り紐は、恋人や想い人に贈る特別なもの。果たして自分が彼に渡してもいいのだろうか。すると、エルヴィアナの気持ちを見抜いたように彼が言う。
「エリィが与えてくれるものは、俺にとって全て宝だ」
二度も言った。
「糸ぼこりでも?」
「ああ」
「……おかしな人ね」
「そうだな。君が好きすぎるあまり俺はばかになってしまうみたいだ。魔法みたいに」
「!」
魔法という言葉につい反応して、あからさまに顔を歪ませる。するとクラウスが片眉を上げる。
「魔法という言葉にやけに反応したな」
「べ、別に……」
「それになぜ君は不審に思わない? 新入生歓迎パーティーから――俺の態度がおかしいことに」
「え……」
まさかクラウスは、魅了魔法に勘づいているのでは。いや、そんなはずない。魅了魔法にかかった男は、誰一人として自分が魔法にかかっていることを知覚できなかった。露骨に目を泳がせていると、クラウスの鋭い眼差しがこちらを射抜く。
「あの日を境に、タガが外れたように君への気持ちに抑えが効かなくなった。魔法でしか説明ができないほどに」
「…………」
エルヴィアナは震える手を膝の上でぎゅっと握り締めた。彼だけには悟られたくない。これまでの努力が水の泡になってしまうのではないかと、額に汗が滲む。
「――なんてな。現代人に魔法が使えるなんて話、一度も聞いたことがない」
魔法が使える人は、とうの昔にいなくなった。きっとただの冗談だったのだと、安心して肩を竦めた。クラウスはあまり冗談を言うようなタイプではないのだけれど。
「……そうよ。魔法なんて、おとぎ話みたいなものよ」
「ああ。それに君は、もし魔法が使えるなら、婚約者である俺に話してくれるだろうからな」
それは妙に含みのある言い方で。エルヴィアナの心の内を探るような、試すような目つきに、喉の奥がぐっと鳴る。
(話題を変えなきゃ)
このままではボロが出てしまう。クラウスの前だと調子が狂って平静でいられない。墓穴を掘る前に、何か別の話題を。焦っていたら、また核心を突いた質問をされる。
「――エリィ。俺に何か隠していることはないか?」
そのとき、ドキッと心臓が跳ねる。エルヴィアナは自分の髪を一束すくい上げて弄びながら、「ないわ」と答えた。