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23_苦手なことがあったっていいじゃない

 

 アカデミーにいた時代。まだエルヴィアナとの関係は希薄だった。お互いただの政略結婚の相手としか思っておらず、心を通わせようとも考えていなかった。

 しかし、ある転機が訪れる。それをきっかけに、クラウスはエルヴィアナのことが好きになった。


 子どものころからクラウスは無口で大人しく無愛想で、アカデミーの子どもたちの中で浮いていた。貴族とはいえ、まだ分別のない子どもが集まるので、つまらない奴だと悪口を言われることもしばしば。


(また今日も……うまく馴染めなかった)


 休み時間になる度、中庭に出て木の下で一人反省会をするのが日課だった。膝を腕で抱えてちょこんと座り、俯きながらどうしたら社交性を身につけられるかと悶々と悩んでいた。社交性も貴族にとって重要な資質だから、早く身につけろと両親に口酸っぱく言われている。


 するとそこに、エルヴィアナと複数の生徒たちが通りかかった。


「あははっ、エルヴィアナちゃんったら、おかしい……!」

「もう。そんなに笑わないでよ」


 エルヴィアナはリジーと楽しそうに話している。彼女は生徒の中でも特にリジーと仲がいい。リジーの実家には後暗い噂があって、他の生徒たちは親から話を聞いているのか、リジーを敬遠し始めていた。だがエルヴィアナはそれを知っていても全く態度を変えず、一人ぼっちになりかけていたリジーに声をかけている。


(エルヴィアナは凄いな。周りのことをよく見ていて、気が回る。俺は自分のことさえままならないのに)


 エルヴィアナは誰に対しても物怖じせずにはっきり言うし、人見知りもしない。社交的でいつも大勢の人に囲まれている。……気が強くて短絡的なところがあるため、たまに揉めているところも見かけるが。


 自分はうまく人付き合いをしろと親にいつも厳しく言われているのに、いつまでたっても友人ができない。人の感情の機微に鈍感だし、気の利いたことが言えない。ついでに面白みもない。


 いっそ、何もかも投げ出して逃げ出したいとさえ思ってしまう。


 エルヴィアナが友人たちと楽しそうに話しながら歩いていくのを、眩しく思いながら眺めていたら、彼女がこちらの存在に気がついた。


「ごめん、みんな先に行ってて?」

「はーい」


 そう言ってグループから抜け出し、こっちに来る。


(……綺麗だ)


 優雅に歩く姿はまるで花のようだった。どんなときも余裕があり、洗練された振る舞いをする彼女。エルヴィアナは同じ年の子どもたちよりどこか大人びていた。風に吹かれて長い黒髪がはためくさまに、息を飲む。


 彼女はクラウスの目の前に立ち、前髪を耳にかけながら尋ねてきた。


「こんなところで何をなさっているの?」

「…………それは」


 クラウスは気まずそうに目を逸らした。


「一人反省会だ」

「一人反省会」


 絶対に馬鹿にされる。そう覚悟したが、彼女は笑ったりせずに隣に腰を下ろした。座る瞬間、ふわりと甘い香りがした気がしてどきっとする。なぜかエルヴィアナが近くにいるときは緊張するし、やたらと血圧が上がる気がする。

 ……これは後になって気づいたことだが、このころから多分、彼女のことを異性として意識はしていたのだと思う。


「それで? 何を反省していたの?」

「自分の社交性のなさをだ」

「なるほど」

「エルヴィアナは凄いな。いつも誰かに囲まれている」


 エルヴィアナはうーんとしばらく考えてから言った。


「わたし、勉強って凄く苦手。体を動かすことも苦手。でも絵を描いたり刺繍をしたり、手先の作業はとても得意なの」


 確かに彼女は、地頭は悪くないと思うが、勉強が得意というイメージはない。ただ、とても器用で、刺繍をやらせても絵を描かせても大人顔負けで、先生たちによく褒められている。ついでに楽器も得意だし、矢を射るのまでうまい。


「……それがどうかしたか?」

「クラウス様は勉強がとても得意よね。座学だけでなく、武術も優秀だし。あ、でも絵心はあんまりないわね。字は流麗だけれど」

「……」

「わたしは短絡的かつ感情的だから失敗しやすい。その点、クラウス様は理性的だなって感心してる」

「確かに君は、よく喧嘩したり教師に叱られたりしているな」

「う……それは内緒で」


 意外と彼女はクラウスのことをよく知っていて驚いた。


「俺のことをよく知っているな」

「婚約者だもの。当然よ」


 そう言って得意げに鼻を鳴らす彼女。


「要するにね、人には得意不得意があるということよ。苦手なことがあったっていいじゃない。人間だもの。人付き合いが苦手でも、そう思い悩んで自分を追い詰める必要なんてないわ。それに……」


 彼女の言葉で、すっと体の力が抜けた気がした。今まで、次期公爵家当主として完璧であるようにと教育されてきた。それが、苦手なものは苦手なままでいいという考えはあまりに新鮮で。


 彼女はこちらを振り向き、真っ直ぐ顔を見つめて言った。


「クラウス様が苦手なことはわたしが補うから。わたしはいつか、あなたのお嫁さんになるんだもの」

「…………!」


 微笑むエルヴィアナがあまりにも眩しくて、あまりにも素敵で、息をするのを一瞬忘れそうになった。


「俺なんかで、いいのか? ……エリィに俺は、ふさわしくない」

「もっと自分に自信を持ちなさいよ。クラウス様は素敵よ。向上心があって、一生懸命頑張っていらっしゃる。尊敬しているわ」


 エルヴィアナはクラウスの重めの前髪をそっと退けて、顔を覗き込んだ。


「それにすっごくかっこいい。どうしていつも前髪で隠してしまうの? とても綺麗な顔をしてるのに。わたし、すごく好き。つつじの花弁のような色の瞳が」


 クラウスは自分の顔が好きではなかった。女の子に似ていると言われるのが嫌で。さらさらした髪の毛に、長いまつ毛が縁取る瞳は、男のくせに女みたいだと馬鹿にされるのだ。


(初めて褒められた)


「俺は……君のタイプの見た目なのか?」

「え……まぁ、嫌いじゃない、わ」


 途端に言葉に詰まる彼女。クラウスは更に畳み掛ける。


「ルイス王子より?」


 近ごろ若い少女たちで最も人気なのは、上の学年のルイス第七王子だ。背が高くて爽やかで、男らしくて、女子の理想だと言われている。ルイスはよく、エルヴィアナとリジーに話しかけている。その度になぜか胸がきゅっと締め付けられるのだ。エルヴィアナがルイスを好きになってしまうのではないかと。


「どうして急にルイス様の名前が出てくるのよ」

「……彼は君に気があるんじゃないのか。それに彼は男から見てもいい男だ」

「まさか。ルイス様がお好きなのはリジーの方。ルイス様も素敵だけれど、あなたにはあなたにしかない魅力があるわ。比べたって意味のないことよ」


 エルヴィアナは卑屈な言葉をことごとくポジティブに変えて返してくれた。凄く励まされた。

 どきどきと心臓が早鐘を打つ。衝動に駆られ、つい口をついたように出てしまった。


「好きだ」

「へ?」


 元々大きな瞳を皿のようにして固まる彼女。クラウスもうっかり漏らしてしまった言葉に慌てる。


「あっいや、すまない。急に妙なことを――」


 気のない政略結婚の相手に、突然好きだと言われても迷惑だろう。引かれたに違いない。そう思って彼女の方を見れば、熟れたりんごのように顔を真っ赤に染めていて。いつも冷静沈着で強気な彼女が恥じらって目を泳がせる姿に、またしても胸が鷲掴みにされる。


(エルヴィアナはこんなに可愛らしい人だったのか)


 クラウスが知っているのは、毅然としていて凛としていて、クールな姿だ。


「急にそんなこと言われたら、恥ずかしい……」


 彼女は眉を寄せて、照れながらごにょごにょと呟いた。


「わ、わたしも別に、嫌いじゃ……ないわ」


 クラウスは心の中で、これが俗に言う『ツンデレ萌え』だと理解した。


 おもむろに、足元に生えているオレンジのポピーを摘み取って、エルヴィアナの左手の薬指に結んだ。彼女はそれを見ながら言った。彼女に愛情を何かの形で示したかったのだ。


「クラウス様は知ってる? 異国ではね、婚約や結婚のときに、男の人が好きな人に指輪を贈る文化があるんですって。……凄く素敵」

「なら、いつか俺たちがそういう関係になったら、改めて君に指輪を贈ろう」

「ふふ、待ってる」


「君に大好きになってもらえるよう、努力する」

「……!」


 エルヴィアナは小さめの声で「分かった」と言った。ポピーでできた仮の指輪を眺めながら、どこか嬉しそうに目を細めた彼女の横顔は、どんな花よりも可憐だと思った。




 ◇◇◇




 エルヴィアナに呪いがかかってからのこと。13歳の狩猟祭をきっかけに、彼女は変わっていった。根は生真面目で、道理から外れたことも嫌いなはずなのに、美しい男をいつもはべらせるようになった。


 彼女はほとんど笑わなくなり、いつも眉間に皺を寄せるようになった。


 仲が拗れたままアカデミーを卒業し、国の最高教育機関の王立学園に入学したが、エルヴィアナは変わらなかった。


「エルヴィアナ。次の園遊会のことで話があるんだが」

「ごめんなさい、今急いでるからまた今度にして」


 クラウスが話しかけてもすぐどこかに行ってしまい、その周りには別の男の姿が。



「レディ、どこへ行っていらっしゃったのです?」

「荷物をお持ちします!」



 クラウスのことは極端に避けてばかりなのに、他の男が寄ってくることは許すというのだろうか。

 最初はただ信じられない、という思いだった。けれどそれが何年も続けば、彼女の変化を自然と受け入れてしまった。心のどこかで、いつか元の誠実な彼女に戻ってくれると信じて……。


 エルヴィアナの悪い評判は、いつしか両親の耳にも入り、婚約の解消をしてはどうかと幾度となく言われた。だがクラウスはそれを拒否した。エルヴィアナから別れてほしいという意志を聞くまで、自分からは引けなかった。


「クラウス様。この間園遊会のことで相談があるとおっしゃってたわよね。どうしたの?」

「実は当日、国賓の前でスピーチを任された。君にも同行してもらうから、その報告だ」

「まぁ、凄いじゃない! クラウス様は異国語の発音も綺麗だものね。きっとうまくいくわ」


 冷たく返されるかと思いきや、優しく目を細め喜んでくれる彼女。


(ああ、だめだな。俺は)


 不意に優しくされると、どうしようもないくらい舞い上がってしまう。また好きになる。エルヴィアナの心が自分にはないのだと分かっていても、期待してしまう。


 黙り込んでいると、彼女がこちらの顔を覗き込んで首を傾げた。


「どうしたの? 黙り込んで。さては今から緊張しているんでしょ」


「――好きだ。君は今、俺のことをどう思っている?」

「…………!」


 そう尋ねれば、彼女はひどく悲しそうな顔をして。


「ごめん……なさい、わたし……。わたしは……」


 彼女は右腕を擦りながら、目を泳がせた。しばらく言葉に迷ったあと、クラウスに対する想いを語ることはなく、「授業が始まるから」と言い訳をして逃げて行ってしまった。一人取り残されたクラウスは、下唇を噛んだ。――どうして何も言ってくれないのだろう、と。悪いところがあるなら教えてほしい。嫌いになったのなら、もう一緒にいたくないとはっきり言ってほしい。そうしたら、諦めがつくのに。


 そんなとき、ルーシェルがクラウスに近づいてくるようになった。


 ある日。エルヴィアナが中庭の木の裏で泣いているのを見かけた。


(エルヴィアナ?)


 いつもの取り巻きたちはいない。誰もいない木の影で座り、物思いに耽っている様子。勝手に盗み見るのは悪いと思いつつ、遠くから見ていれば、彼女は静かに涙を流していた。


(なんて可憐な……)


 悲しくて泣いている相手にこんなことを思うのは間違っている。でも、風に揺られてはためく黒髪も、涙に濡れたまつ毛の一本も洗練されていて。今にも消えてしまいそうな儚さと憂いを帯びた泣き姿は、あまりにも綺麗だった。

 すぐに駆け寄って彼女の心を慰めてあげたい。そう思うのに、今の彼女に自分が必要だという確信がなく、足が動かなかった。


「エルヴィアナさんがお泣きになっている理由、教えて差しあげましょうか」


 地面に縫い付けられたようにただその場に立ち尽くして、泣いているエルヴィアナを見ていたら、後ろから声をかけられた。


 振り返ってそこにいたのは、ルーシェルだった。彼女は掴みどころのない笑顔を湛え、こちらに歩み寄った。


「結構だ。話なら直接本人に聞く」

「時には、本人には言えないこともございますのよ」

「…………」


 クラウスはそんなルーシェルを胡散臭く思った。本当に親切な人間なら、本人に隠したい本音を聞いても、それを本人にこそこそ告げ口したりしない。これは親切心ではなく、ただの自己満足の偽善だ。


「俺は他人から本音を聞き出すような卑怯な真似をする気はない」


 話をするなら直接本人とだ。そうは言っても、エルヴィアナはクラウスと会話するのを拒むのだが。


 もう一度、エルヴィアナの姿を見る。両手で顔を覆い、肩を震わせながら泣く彼女。……一体何が、彼女の心をそんなに苦しめているのだろうか。クラウスは何一つ、彼女の抱えているものを理解してあげられていない。泣いている彼女の涙を拭ってやることさえできない自分が、情けなくてたまらない。


「本当によろしいのですか? 意地になっていては、大切なものはあっという間に指の隙間からこぼれ落ちてしまいますわよ」


 彼女を失うなんて、考えられない。しかし、しばらくの逡巡の末、クラウスはもう一度拒否した。


「やはり結構だ。俺は、エルヴィアナの言葉しか信じたくない。彼女が伝えてくれるまで待ち続ける」


 ルーシェルはふふ、と余裕たっぷりに笑い、「殊勝なことですわね」と答えて去って行った。それからルーシェルは、度々クラウスに話しかけて来るようになった。彼女が王女である以上、無下にする訳にもいかず、適当に付き合っていた。


 二人を恋仲だと勘違いし、更にルーシェルの言葉に惑わされたエルヴィアナが、婚約解消を決心するとも知らずに。




 ◇◇◇




 今思えば、ルーシェルが話しかけて来るのはエルヴィアナが近くにいるときを選んでいたようにも思える。ルーシェルは二人の仲を拗らせようとしていたのだ。


 クラウスはエルヴィアナにもらったクッキーの箱を引き出しに収めた。それから、侍女に用意させた麻紐を、花冠に結んでいく。長期保存するために乾燥させてドライフラワーにするつもりだ。


(エリィは短絡的で、人の話をすぐ信じるところがある)


 昔本人も言っていたことを思い出す。魅了魔法のことを早くに打ち明けてくれていたら、ルーシェルの言葉を鵜呑みにしていなければ、もっと別の未来があったかもしれない。けれど、短所も含めて彼女のことが全部好きだ。

 自分でも戸惑ってしまうくらい、彼女に惚れている。少し優しくされればすぐに舞い上がってしまうような馬鹿な男なのだ。


 寝ても覚めても、頭にあるのはエルヴィアナのことばかり。こんなに想っていることを、きっと本人は知らないだろう。



『クラウス様が苦手なことはわたしが補うから。わたしはいつか、あなたのお嫁さんになるんだもの』



 いつかのとき、エルヴィアナに言われた言葉を思い出す。なら自分も、彼女の駄目なところも補えるような婚約者になりたい。そう思う。

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