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22_手作りのクッキーと甘いひととき

 

 馬車に揺られてしばらく。到着したのは郊外の小さな街。陽射しが眩しくて、爽やかな風が肌を撫でる。


 エルヴィアナとクラウスは、穏やかな街をのんびり歩いた。


 彼に先導され、辿り着いたのは背の高い針葉樹が立ち並ぶ森。山の麓ふもとに護衛の者を待機させる。穏やかな丘を進んだ先――あまりの美しい光景に息を飲んだ。


 木が生えていない開けた空間に、ポピーの花が一面に咲き誇っている。見渡す限り、赤やオレンジ、黄色の色調豊かな花畑が広がっている。それはまるで、絨毯のようだ。


「…………綺麗」


 エルヴィアナは思わず、感嘆の息を漏らした。

 すると、クラウスが少し屈みながらこちらに片手を差し出してきた。彼がエスコートしようとしているのだと理解し、手をその上に重ねる。できるだけ花を踏まないように細心の注意を払いながら花畑の中を進み、花が生えていない木の根元にレジャーシートを敷いて腰を下ろした。


「気に入ってくれたか?」

「ええ。とても」


 花を摘み、慣れた手つきで茎を編み始める。出来上がった花冠をクラウスの頭に被せると、彼は少しだけ困惑したように眉を下げた。


「よく似合うわ」

「……そうか?」


 作ってきたお弁当を食べながら、おしゃべりをして。普段より時間の流れがゆったりしているような気がする。


「そうだ。クラウス様にお渡ししたいものがあるの」


 持ってきた鞄を探って箱を取り出して渡す。可愛くラッピングしてあるリボンを覚束ない手つきで解き、蓋を開ける彼。


 箱の中には、パステルカラーのアイシングクッキーが収まっている。花をモチーフに、精緻を極めた模様が描いてある。


「凄いな。芸術品みたいだ」


 クラウスは目を見開き、感嘆の息を漏らした。昨日一日かけて作った大作なので、褒めてくれて嬉しい。


「これはマーガレットで、こっちはバラだな。これは――」

「ガーベラね」

「よく出来ている。立体に絞るのは難しいんじゃないか?」

「慣れれば結構簡単よ」


 最初は難しいが、数を重ねたら誰でも上達する。好きこそ物の上手なれ、だ。


「君は器用だな。ありがとう、一生大切にする」

「一生……」


 壊れ物を扱うように、慎重に蓋を閉じようととするクラウス。クッキーなので一生取っておくことはできないと思うのだが。


「ここで食べてくれないの?」

「なくなってしまうのが惜しくてな」


 それを聞いて、エルヴィアナはくすと笑う。これは多分、放っておいたらいつまでも食べられなくなるパターンだ。


「またいつでも作るわ。せっかくだから感想を聞きたいのだけれど」

「分かった」


 あえて今食べるように促す。クラウスは閉じかけた蓋をもう一度開き、どれを食べようか悩み出した。一分、二分、三分……と、時間が過ぎていく。急かすのは悪いと思い待っていたが、十分経過してとうとう痺れを切らしたエルヴィアナは、箱の中のクッキーをひとつ指差した。


「これがオススメ」


 指差したのは、つつじの花と葉のリースを描いたクッキー。中央には『いつもありがとう』のメッセージが書いてある。クラウスは無表情のまま、こちらに箱を差し出して言った。


「食べさせてほしい」

「!」


 ひしひしと感じる無言の圧力。エルヴィアナは急な無茶ぶりにぴしゃっと硬直した。まさか彼から『あ〜ん』を要求されるとは。「だめだろうか……?」と甘えるように訴えられて、胸を射抜かれる。策士だ。彼はエルヴィアナが彼のわがままと押しに弱いことを分かりきってやっている。


「ま、全く……世話が焼ける」


 照れ隠しにそうひと言前置きして、「今日だけよ」と承諾した。箱を受け取ってクッキーを摘み、おずおずとクラウスの唇に近づけた。

 薄くて形の良い彼の唇に意識が向く。食べさせてもらうのを待って口を開けるさまが無防備で、色っぽくて、どきどきする。


「失礼、します……?」


 恋人同士の『あ〜ん』にしては、いささか硬すぎる雰囲気。ぎこちない手つきでクッキーを口元に差し出せば、大きな口でぱくっと食べられた。エルヴィアナの指に柔らかい感覚が触れて、びっくりして手を勢いよく引っ込める。


(い、今……指に……!)


 初心すぎるエルヴィアナは、目をぐるぐると回して動揺をあらわにした。クラウスが何か感想を言ってくれているが、さっぱり頭に入ってこない。


 心臓が騒がしく音を立てているが、悟られないように平静を装って適当に相槌を売った。

 本当は何も頭に入っていないが、なんとかリアクションだけしていると、彼はエルヴィアナの顔をじっと見つめて言った。


「次は俺の番だな」

「ええ」


 感想を聞く勢いで頷いてしまったあと、クラウスがクッキーをひとつ摘んでこちらに接近してきたのを見てぎょっとする。


(次は俺の番!?)


「わっ、まま、待って……!」

「なぜ? 承諾してくれただろう」

「ちがっ、」


 でもここで、クラウスの唇が指に触れたのを意識しすぎて話をよく聞いていなかったと打ち明ける訳にはいかない。


「……」


 クラウスに食べさせるだけでもいっぱいいっぱいなのに。どう断ればいいかと葛藤している間にどんどん彼が迫ってくる。

 混乱したまま、言われた通りに口を開けば、クッキーを口の中に入れられた。甘いのか甘くないのか、これがクッキーなのかさえ分からないまま噛む。


「俺のオススメだ」


 オススメされてしまった。作ったのはエルヴィアナなのに、誇らしげな顔をして美味いかと聞いてくる。


「おいひぃ……です」


 正直言って味は少しも分からなったが、なんとか飲み込んで愛想笑いを浮かべた。

 やはり自分はこの人には敵わないなと思う。すると、クラウスはこちらをじっと凝視して、何もかもを見透かしたように片眉を上げて意地悪に笑った。


「ふ。可愛い」


 魅了魔法は解けている。そのはずなのに、甘い言葉や態度は変わらないままで、翻弄されてばかり。本来彼はこんなに表情豊かな人ではないのに。違和感を覚えて、恐る恐る聞いてみた。


「クラウス様……まだ魅了魔法がかかっているのでは」

「いいや、解けているぞ」


 そう断言しつつ、また不敵に微笑むクラウス。証明のしようがないので、彼の言葉を信じるしかないが、こちらを見つめる瞳は熱っぽくて、瞳孔にハートが浮かんでしまってる。


(こんなの……わたしにベタ惚れしてるみたいで、恥ずかしい)


 とうとう目を合わせていられなくなり、エルヴィアナは俯いた。 


 クッキーの食べさせ合いで消耗したあと、今度はクラウスが渡したい物があると言った。渡されたのは、馬車に乗る前にリジーと交換したあの紙袋。『忘れられない思い出』と『約束』が詰まっているといういかにも怪しげな代物だ。


「開けてもいい?」

「ああ」


 袋を開けると、一枚の手作りの栞が出てきた。一輪のポピーの押し花が紙に貼り付けてあって、茎の部分が人の指くらいの輪っかになってる。エルヴィアナにとって、よく見覚えのあるものだった。


「これ……」

「……ずっと、取っていてくれたんだな」


 このポピーの花はずっと昔、幼いころにクラウスにもらったものだ。贈り物というにはささやかすぎるものだが、もらったときはとても嬉しくて、押し花にして宝物のように大事にしていた。

 アカデミーの学生だったとき、クラウスと中庭で話していて、彼はたまたま足元に咲いていた花を摘み取ってプレゼントしてくれた。茎が輪になっているのは、指輪に見立てたから。


 クラウスとの結婚は生まれたときからほとんど決まっていたが、二人はそれほど仲が良くなかった。政略結婚はよくあることだし、あくまで家督を守るためだけの関係だと思っていた。きっとクラウスも。だが、この花の指輪をもらったのをきっかけに、徐々に仲を深めていった。


 そんな思い出の品だが、クラウスとの仲が拗れてしまってから、リジーに「代わりに捨ててほしい」と預けたのだった。どうしても自分で捨てることはできなくて。リジーはそれを後生大事に残していたらしい。というか、いつの間にクラウスとリジーはこの花について話していたのだろうか。


「今日はあの日の約束を果たさせてくれないか? エリィも覚えているのだろう。この花を渡したときにした約束を」


 この花の指輪をもらったとき、「大きくなったらもっと素敵な指輪を贈る」と約束したのだった。――お互いがちゃんと好き同士になったら、という条件付きで。


 まさか、数年も前の約束を覚えていてくれたなんて思わなかった。それに、今日連れて来てくれたのは、この栞と同じ――ポピーの花畑。クラウスがこんなにロマンチックなことをするのも予想外で戸惑う。


 クラウスが懐から小さな箱を取り出して、こちらに差し向けた状態でぱかっと開けば、中に花がモチーフの飾りがついた指輪が。中央に宝石が嵌め込まれてきて、その周りに金属の花弁が広がっている。



『クラウス様は知ってる? 異国ではね、婚約や結婚のときに、男の人が好きな人に指輪を贈る文化があるんですって。……凄く素敵』

『なら、いつか俺たちがそういう関係になったら、君に指輪を贈ろう』

『ふふ、待ってる』



 小指を引っ掛けて指切りし、そんなやり取りを昔に交したのを思い出した。

 クラウスはつつじ色の眼差しでこちらを見据えて言った。


「俺はエリィが好きだ。ずっと一緒にいたいと思っている。……受け取ってくれるか?」


 エルヴィアナは感極まって泣きそうになりながら、こくこくと首を縦に振った。クラウスはエルヴィアナの細い手を取り、指輪を左手の薬指に通した。


 小指で交した約束が、薬指の指輪に変わった。


 薬指で宝石がきらきらと繊細な輝きを放っている。光り輝く指輪をそっと撫でながら、エルヴィアナも屈託のない笑みを湛えた。


「わたしも――大好き」


 そうして二人は、魅了魔法の力に依らない甘い時間を過ごしたのだった。




 ◇◇◇




 デートから帰った夜。クラウスは自室で机を眺めていた。机には、エルヴィアナが作ってくれたアイシングクッキーと、彼女が作ってくれた花冠が並んでいる。腕を組みながら思案し、これは家宝にしようと決意する。


 以前、エルヴィアナに取ってもらった糸ぼこりを大事に保存していたら、本人にドン引きされてしまったが、彼女もクラウスが摘んだ花をずっと残していた。ほとんど同じようなものだとクラウス的には思っている。

 何より、エルヴィアナが自分との思い出を残そうとしてくれたことが嬉しい。


 机に頬杖を着き、目を閉じながら今日のエルヴィアナを思い出す。


(可愛かったな)


 今日一日、クラウスの前でころころと色んな表情を見せてくれた。特に、クッキーを食べさせてあげたときの彼女の照れた反応は、天才的に可愛かった。もちろんどの瞬間を切り取っても世界一可愛いのだが。


 芸術品のようなクッキーを見下ろしながら、これは食べられないなと思った。もったいなくて。作ってくれた花冠は、乾燥させて部屋に飾っておこう。


 今日の思い出に浸りつつ、クラウスは遠い昔のことを思い出した。



 ――アカデミー時代のことを。

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