02_破局寸前で魅了魔法をかけてしまいました
ルーシェルが満足気に去って行った後、エルヴィアナは小さくため息を零した。すると、取り巻きの中の一人が、おお……と感嘆する。
「レディはため息のひとつさえ可憐です! 浴びるほど摂取したいです!!」
「それにしてもあの女、レディにため息をつかせるとは許せませんね」
「あの女を消しましょうか。早急に」
なんだか物騒な言葉が飛んできた。彼らはエルヴィアナのことを『レディ』と呼んで崇拝しており、彼女のためなら手を汚すことだっていとわない。
「……そんなことをしたら大逆罪で断頭台送りになるわよ」
ルーシェルはこの国の王女。そのような発言をすることさえ不敬だが、彼らはエルヴィアナに盲信しきっていて周りが見えていない。「馬鹿な人たち」と呆れ混じりに呟けば、彼らはそれすら嬉しそうに受け止めた。
「飲み物はいかがですか? 喉が渇いたでしょう」
「結構よ。それより一人にしてくれない?」
差し出されたグラスを手で拒んで、鬱陶しそうに突っぱねてみる。一人にしてと訴えても彼らは一人として微動だにせず。エルヴィアナから離れる気は更々ないみたいだ。
はぁと大きくため息をつく。取り巻きの美男子たちに手を焼いていると、目の前にまたとっておきの美男子が現れた。
「随分と彼らを手懐けているのだな。エルヴィアナ」
「クラウス……様」
後ろに付き従えている男たちを無表情で見据えながらクラウスが言う。嫌味を言われることにももう慣れた。
「その様子では、俺のエスコートは不要か」
「元々その気なんてないのでしょう?」
「…………」
そうだ、と即答されるかと思いきや、黙りこくる彼。なんとも形容しがたい表情を浮かべている。
(……どうしてそこで黙るのよ)
婚約者でありながら、かれこれ何年も彼にエスコートしてもらっていない。エルヴィアナが違う男たちと戯れているせいだ。
ずっと、クラウス以外の男をはべらせるのは、いたたまれない気持ちだった。でももう、負い目を感じるのは今日までだ。これから別れを告げて関係を精算し、赤の他人になるのだから。
「外で少しお話ししましょう。あなたに大切な話があるの」
「大切な話?」
「そう。わたしと話すのは嫌かもしれないけれど、少しの間時間をちょうだい」
無表情でそう告げて、つかつかと広間の外に向かう。取り巻き令息たちが付いて来ようとしたが、「今は付いて来るな」と睨みつけて視線で牽制した。
◇◇◇
庭園は手入れが行き届いている。新緑はみずみずしく、花は色調豊かだ。
人気のない石畳の噴水広場までクラウスを連れ出した。ぴたりと歩みを止めて、付いて来ていた彼の方を振り返る。ヒールが石畳を蹴るこつんという靴音が、噴水の水音に混じって響いた。
爽やかな風が、クラウスの艶のある金髪をなびかせている。金色のまつ毛が縁取るつつじ色の瞳は、いつ見ても吸い込まれそうなくらいに綺麗だ。
エルヴィアナは彼を見据えて、玲瓏と告げた。
「――婚約を解消しましょう。クラウス様」
風に吹かれて顔にかかった前髪を手で退けながら、そっと目を伏せる。
(クラウス様……どんな顔をなさってるんだろう。怖くて見れない)
ずっと、クラウスのことは大好きだった。
彼は今でこそすっかり冷たくなってしまったけれど、昔は大事にしてくれた。彼とは幼馴染で、小さい頃から長い時間を過ごしてきた。楽しい思い出が沢山ある。
子どもの頃は女の子みたいな見た目をしていて、同じ年頃の子どもたちと馴染めず、気弱で泣き虫だった彼。でも、エルヴィアナの前だけはよく笑って楽しそうにしていた。エルヴィアナもまた、成長と共にたくましくなっていく彼に、いつしか恋心を抱くようになっていた。
十三歳になって魅了魔法の呪いを受けてしまってからは、彼にひどく失望されてしまった。エルヴィアナの前で全く笑わなくなり、口癖のように言ってくれていた「大好き」の言葉もなくなって。
彼に嫌われていくのが怖くなって、エルヴィアナは一方的に避けてきた。
(彼の心はわたしにはない。今はもう、王女様のことが……)
唇を固く引き結ぶ。
「理由を聞かせてくれるか」
「……ご自分の胸に聞いてみては?」
他の人に恋しているんでしょ、なんて惨めなこと口に出せるはずがない。すると、上から寂しげな声が降ってきた。
「俺のことが嫌いになったんだな」
「はい?」
違う、そうじゃない。嫌われているのはむしろこっちの方では。予想外の言葉に戸惑っていると、彼が続けた。
「とうの昔に気付いていた。君の心が俺にないこと。いつかこんな風に、別れを切り出されるのではないかと思っていた。もう俺に希望はないのか? 俺を避けるばかりで、挽回する機会を与えてもくれないのか?」
「え……」
切々とした声で告げられて、咄嗟に顔を上げると、クラウスは寂しそうな顔を浮かべていて。
(なんでそんな悲しい顔……)
男をいつもはべらせている嫌われ悪女の婚約者に愛想が尽きて、王女に心変わりしたのではなかったのか。
これではまるで、エルヴィアナを想っていて、関係修復を望んでいるようだ。
エルヴィアナだって、叶うなら昔みたいに彼と仲良くしたい。別れたくない。でも自分のせいでこの人の足をこれ以上引っ張りたくもない。
「何……言ってるのよ。わたしのこと、軽蔑してるくせに」
「ああ。君は不誠実な人だ。婚約者がいながら他の男に脇見し続けた。……人して最低最悪だ。だが……」
「…………」
ばっさりと告げられて、胸の奥が痛くなる。やっぱり、期待したところで無駄なことだ。嫌われているに決まっているのだから。
気まずい沈黙の後、そのまままっすぐ見つめられ、彼の薄い唇が言葉を紡ぎかける。
「俺は君のことが、きら――」
(嫌、聞きたくない……)
好きな人から「嫌い」だと告げられるのはダメージが大きすぎる。怖くなってぎゅっと瞼を閉じた刹那――。
パアアアッ……。
眩い光が離散し、はっとして目を開いた。目を開けていられないくらいの白い光に包まれた直後。
「君のことが、好きすぎる」
ついさっき、嫌いだと言いかけていた相手から、全く逆の言葉を言われて、拍子抜けする。
「へっ」
思わず変な声が出てしまう。
「――今なんと?」
「君のことが好きすぎる。傍にいると胸がときめいて仕方がない。抱き締めてしまいたくなる」
「!?!?」
彼は「もっと近くで顔が見たい」などと訳の分からないことを言ってこっちに迫ってくる。クールで掴みどころのない彼からは考えられないセリフだ。それに、いつも頑なに動かない表情筋が緩みまくっていて、頬が上気している。
これは、完全に――。
(クラウス様、魅了魔法にかかってる!?)
「エルヴィアナ」
「――きゃっ」
腰に手を回され、ぐいっと腰を抱き寄せられる。間近に彼の端正な顔があって、久しぶりに見る笑顔にどきどきと脈動が加速していく。そして彼は、とびきり甘い表情で囁いた。
「ああもう、本当に可愛い。大好きだ」
「…………」
何年かぶりに聞いた「大好き」の言葉。今のクラウスは魅了魔法に当てられているだけ。これは彼の本心じゃない。本当はエルヴィアナのことを嫌っていて、今の彼が慕っているのはルーシェルだ。分かっているのに。
「……! エルヴィアナ……」
目から涙が頬に伝った。
どうしてこんなに胸が高鳴ってしまうのだろう。湧き上がってくる感情を抑えきれず、涙が出てしまった。なけなしの理性をかき集めて、彼の体を押し離す。
「世迷言を……。目を覚ましなさい! わたしは沢山の男の人をたぶらかす最低最悪の悪女なのよ?」
すると、彼のしなやかな手が伸びてきて、頬を包まれる。優しい手つきで涙を拭われた。
「悪女でも構わない。君は魅力的だから愛されるのは当然だ。むしろ皆に愛される素敵な人が婚約者で俺は果報者だ。……だから泣くな。君が泣いていると、切なくて気が狂いそうになる」
彼の手を振り払って、がしがしと袖で涙を拭った。
「……手に負えないわね」
「すまない。だが別れるなんて言わないでくれ。君を失ったら生きていけない」
しゅんとしおらしげに懇願されては、拒むことができない。だって、エルヴィアナも彼のことが大好きだから。
(だめ、今のこの人に絆されちゃ。だめなのに……)
今の言葉が本心ではなく偽りだったとしても、首を横に振ることができない。
「分かっ……たわ」
「よかった、嬉しい。ありがとうエルヴィアナ」
ぎゅっと両手を包み込まれ、きらきらと輝く笑顔で感謝される。
婚約を解消するつもりが、破局寸前で予想外の展開になってしまった。そして結局、王女との関係については聞けずじまいだった。