18_人を呪わば穴二つ
遡ること三日前。狩猟祭最終日の翌日。
王城の謁見室を退出したルーシェルは憤慨していた。どすどすと音を立てて淑女らしくなく廊下を歩く。
その姿を城の者たちが訝しげに見てきた。
「お、王女様……そのように音を立てて歩かれては……」
「うるさいですわ。今わたくしに話しかけないで。気が立っているのがお分かりにならない?」
侍女のセレナに指摘されて苛立ったルーシェルは、彼女の肩をどんっと力任せに押した。
「きゃっ――」
その衝撃で彼女は転倒し、怯えた様子でこちらを見上げた。自分に萎縮する彼女に、更に苛立つ。
(ああ……イライラする)
謁見室に行ったのは、父である国王に呼び出されたからだ。王妃や他の王子王女がいる場所で、今回の軽率な行動を咎められた。王妃や兄弟たちも皆すっかり呆れた顔をしていて、恥をかかされた。
ルーシェルは家族の中でも人一倍プライドが高い。だから、人前で叱られるのは嫌いだ。
魔獣は、この国の国教で穢れた存在として忌み嫌われている。それを魔獣と知っていながら飼っていたと知られたら、王家の立場が揺るがされるかもしれないと、国王は苦言を呈した。
(何よ。たかが魔獣の一匹くらいで大袈裟な)
ルーシェルが最も納得できていないのは、魔獣を騎士団に引き渡せと言われた点だ。あの魔獣が討伐されてしまえば、エルヴィアナの呪いも解けることになる。それは気に入らない。
(全部ルイスお兄様のせい)
あの人は昔から悪知恵が働く。いつも何を考えているか分からない軽薄な態度を取っているのに、意外と他人のことをよく見ていて。魅了魔法にかけられたなんて巧妙な嘘をついて演技をするから、余計なことを喋ってしまった。彼の企みのせいで、クラウスを略奪するための計画が台無しになった。
ルーシェルは王女として、他国の王族に嫁ぐ話が上がっている。その結婚相手の姿絵を見てルーシェルはげんなりした。――こんなに醜い男の妃になるのは絶対に嫌だ、と。
どうせなら見目麗しい人と結婚したい。そう思っているときに気に入ったのがクラウスだった。入学式で初めて会い一目惚れ。彼は大貴族の嫡男だし、結婚相手としては申し分なかった。
だが彼の気持ちはエルヴィアナの方ばかりに向いていて、少しも揺るがなかった。
ふいに、廊下に飾られている豪華な花瓶が目に付いた。苛立つ感情のまま、それを持ち上げて床に叩きつける。花瓶が割れる音が鳴り響いたと同時に、セレナがひっと悲鳴を漏らした。
「これはまた随分と荒れているみたいだね? ルーシェル」
「ルイスお兄様……」
にこにこと人好きのする笑みを湛えてこちらにやって来るルイス。ルーシェルの怒りの原因を作ったのは自分だと分かっているくせに、へらへらと笑っていて腹が立つ。
「君。怪我はないかい?」
「は、はい……」
倒れ込んでいたセレナに紳士的に手を差し伸べ、立ち上がらせる。彼は誰にでも優しくて綺麗な容姿をしているので、王城内での人気が高い。ルイスが人気なのは王城内だけではない。社交界でも女性たちの人気は絶大で、みんなが彼の妻の座を狙って目を光らせている。親切にされたセレナは、ぽっと顔を染めた。
「……ありがとうございます。王子様」
「いいや。こちらこそいつも妹が世話になっているね」
下々の者にこういう労いの言葉をかける貴族は少ない。侍女なんかに愛想を振り撒いたってなんの得もないのに。
(おかしな人)
ルイスはモテるだろうに、女遊びを一切しない。貴族の着飾った令嬢たちに全く興味を示さず、没落して平民落ちした女に執心している。しかもその女はエルヴィアナの側仕えをしているというのがますますいけ好かない。
ルイスはこちらを見ながら言った。
「その様子だと少しも反省していないようだね。侍女に八つ当たりなんてみっともないと思わないかい?」
「余計なお世話ですわ」
口うるさいのは父だけで十分だ。もう小言は聞き飽きている。
ルーシェルはセレナにずいと詰め寄り、冷えた目で見下ろした。
「ここが気に入らないのなら、いつでも辞めてくださって構いませんわ。収入がなくなれば、ご家族は路頭に迷うことになるでしょうけれど、わたくしは知りません」
「い、いえ! とんでもないことでございます。解雇だけはご容赦ください……っ」
青ざめた顔をして深く頭を下げる彼女。その頭を上から押さえつけて床に擦り付ける。
「人に物を頼むときはこうするのよ」
彼女の家は大家族だった。大黒柱の父親が病床に伏してしまい、職を失い金が必要になった。
普通は王女の侍女というと貴族の娘を選ぶものだが、それではある程度礼儀を持って接さなくてはならない。侍女を好き勝手こき使うために、少し身分が低く、かつ元裕福な家の娘で教養のある彼女を雇ったのだった。
のっぴきならない事情がある彼女は、簡単に辞めることができないだろうと思ったから。予想通り、ひどく虐めても彼女は我慢して働き続けた。
セレナをいびっている様子を見たルイスは、露骨に嫌悪感を滲ませて、「その辺りにしておけ」とルーシェルの腕を取り上げた。
「――それで。魔獣はどこに隠したんだい?」
「お兄様には関係のないことです。きちんと騎士団に引き渡しますから、ご心配なく」
ルイスはこちらに寄り、玲瓏と言った。
「妙なことをするなよ」
「妙なこと?」
「ああ。誰かを陥れようとすれば、必ず報いを受けることになる。それが世の摂理だ」
「…………」
「兄から可愛い妹への忠告だよ」
疑ってくる兄を半眼で見上げ、「ご忠告どうも」と軽くあしらい、踵を返した。
◇◇◇
「王女様……ここは?」
「はるか昔、王族が暑さを凌ぐために夏の別荘として使っていたお城ですわ」
兄と別れたあと、セレナを連れて向かった場所は、かつての王族が避暑地に使った古城。歴史的な価値のある建築物だが、かなり老朽化が進んでいて滅多に人の出入りはない。
門の前に外套を着た二人の男が、布がかかった小さめのケージを持って待機していた。
「ご依頼のものをご用意しました」
「ご苦労さま」
セレナにケージを受け取らせて、雇い人に金を支払った。それから、セレナを連れて、古城の中へと入っていく。
「あの……このケージは一体……」
ケージの上のかけ布を外すと、中には例の魔獣ニーニャとそっくりの風貌をした白いきつねが。あの男たちに依頼したのは、魔獣に似た獣を見つけて、尻尾を黒色に染色することだった。偽物のニーニャを魔獣として引き渡し、本物はこのまま地下に隠しておくつもりだ。――エルヴィアナが死ぬまで。
セレナは「何を企んでいるのか」と言わんばかりに疑わしそうな目でこちらを見てきた。
「黙って付いて来なさい」
「……はい、王女様」
そして、地下に隠しておいた本物のニーニャを確認しに行く。階段を降りて檻に近づいた瞬間――異変に気づいた。
(凄い熱気……)
熱気だけではない。いつもより強い獣臭に加え、鉄のような臭いがする。――血の臭いだ。それに、大型の野生獣みたいな唸り声も聞こえた。ニーニャはもっと愛らしい鳴き声だったはず。
「ニーニャ……?」
名前を呼びかけながら、檻の前まで歩くと、鉄格子が破壊されているのが見えた。折れた場所に噛み跡のようなものが残っている。まさか、あの小動物のような見た目のニーニャがこれをやったのだろうか。
するとそのとき。
『ヴヴヴォオオオオオオオ……!』
「きゃああっ……!」
「王女様!?」
突然、ルーシェルよりひと回りもふた回りもおおきな獣が襲いかかってきた。白くふさふさの毛に、青と黄色のオッドアイ。黒い尻尾……。その特徴はニーニャと一致しているが、ルーシェルが知っているニーニャではなかった。
牙で鉄格子を噛んだせいで口内を切ったらしく、血が滴っている。ルーシェルはそこではっとした。
(エルヴィアナさんの生命力を吸収して本来の姿を取り戻した……?)
もしかしたらこの猛々しい姿が、ニーニャ本来の姿なのかもしれない。瞳を炯々と光らせ、牙を剥き出しにしている魔獣。鋭い爪が伸びた手が、ルーシェルの肩を掴む。
(痛い……っ)
ニーニャにのしかかられて身動きが取れない。
「そんなところでぼさっとしていないで、早く助けを呼んで来なさいよ!」
「ひっ……」
セレナに命じるが、彼女はあまりの恐怖で身体が強ばってしまい、一歩も動けなくなっている。護衛は少数しか連れてきていないし、城の外に待機させてしまった。
「ああっ……!」
次の瞬間。ルーシェルの肩に今まで感じたことのない激痛が走る。ニーニャは長い爪でルーシェルを引っ掻き、そのまま逃走した。
「王女様……! 大丈夫ですか!? しっかりなさってください、王女様……!」
セレナの声を遠くに聞きながら、意識を手放した。