14_嘘つきは誰でしょうか
昼の狩猟祭を終えると、館で夜会が開かれる。狩猟祭で見事に鷹を射落とし、令嬢や夫人たちからもてはやされていたエルヴィアナ。彼女たちの多くがエルヴィアナを男だと思っていたらしく、美しいドレス姿で再会を果たすと目を丸めていた。
最終日の夜。
「レディは今日も美しいです!」
「ぜひ僕と踊りましょう!」
今日も今日とて、エルヴィアナの周りには取り巻き令息がべったり。どこに行ってもエルヴィアナを見つけ出して湧いてくる。周りの人々からしたら、その様子は奇異に見える。ひそひそと噂話された。
(痛い……)
一方のエルヴィアナは、靴擦れしてしまって顔をしかめていた。けれど取り巻きたちは全く気づかずに、一緒に踊ってくれとしつこく迫ってくる。
「わたしにばかり構ってないで、他のご令嬢に声をかけてはいかが? わたしは少し外で休むわ」
「我々もお供します! 世界の果てまで!」
一人にしてほしいと暗にほのめかしたつもりだったが、通じていない。しかしこれも彼らの通常運転だ。
「見て? エルヴィアナ嬢の表情」
「あんなに眉間に皺を寄せて……。高慢な内面が外にまで出ていらっしゃるわ。嫌な感じ」
遠くから令嬢たちの噂話が聞こえた。別に偉そうにしているつもりはない。ただ靴擦れした足が痛いのだ。取り巻きたちが囲うせいで、手当てにすら行けやしない。しかめっ面で腕を組み、もう一度取り巻きに言う。
「靴擦れしたから靴を替えに行きたいの。そこ、退いてくださる?」
「靴擦れですか!? 大変だ、俺が抱えてお連れいたします! 傷ついた足でレディを歩かせる訳には参りません!」
「ちょっ、そういうの……いいから。きゃっ、どこ触って――!?」
取り巻きの一人が、エルヴィアナを抱えようと太ももに手を伸ばす。抱き抱えられそうになり、悲鳴を漏らした直後。
「彼女に触れるな」
聞き慣れたクラウスの爽やかな声が取り巻きを牽制する。そのまま彼はエルヴィアナのことを横抱きにした。
「ひゃっ!?」
(!?!?)
体が宙に浮く感覚がして、目を白黒させる。自分がクラウスに抱かれていることに気づき、かあっと顔を赤くした。クラウスは取り巻きを見据え、堂々と言い放った。
「エルヴィアナに触れていいのは婚約者である俺だけだ」
エルヴィアナはますます顔を赤くした。いつも澄ました顔をしているエルヴィアナの照れた少女らしい表情に、広間はざわめいた。彼女は婚約者の前ではああいう顔もするのか、と。クラウスはそのまま広間を退場した。エルヴィアナは彼の腕の中で身じろいだ。
「降ろして……っ! クラウス様、みんな見てるから……」
「足が痛むのだろう。大人しくしていろ」
さっきまで彼は遠くにいたのに、エルヴィアナが靴擦れしていることによく気づいたものだ。エルヴィアナは大人しくして、落ちないように彼の首に腕を回した。
(恥ずかしい……)
広間の外に出て、人気のない廊下の片隅のソファに座らされる。クラウスは王館の使用人に声をかけて、救急箱を持って来た。靴擦れして傷ついた足の皮膚を、丁寧に治療していく。
「気に入らないな」
ふと呟かれた言葉に、どきっと心臓が跳ねる。きっと、取り巻き令息たちといたせいで気分を悪くしたのだ。
「……ごめんなさい。わたし、うまく彼らのことをかわせなくて」
「――どこを触られた?」
「え……?」
熱を帯びた眼差しがエルヴィアナを射抜き、ごくんと喉を鳴らす。彼はエルヴィアナの細くしなやかな手を取り、腕に唇を落とした。びくっと身体を跳ねさせれば、彼はこちらを見上げて言った。
「ここか?」
クラウスはそのまま顔を少し下にずらして、エルヴィアナの手の甲や指に、ちゅ、ちゅ、と唇を落とした。まるで、他の男に触れられたところを上書きするように。どきどきと脈動が加速して、声がうまく出せない。
手だけでなく、足のすねにまで音を立てて口付けをするクラウス。
「そんなとこ、触られてないから……!」
訴えても彼はやめてくれない。誰かに見られるかもしれないのに。
靴を脱がせて足の甲にまでキスしようとする彼に、もうやめてと懇願すれば、怒ったように鋭い眼差しをした彼が顔をこちらに向けた。
「クラウス様……――嫉妬、してる?」
恐る恐る尋ねると、彼は即答した。
「当たり前だ」
クラウスが切なそうに眉をひそめるのを見て、胸がきゅんと締め付けられた。
クラウスはそのままエルヴィアナの頬に手を添え、試すように呟いた。
「エリィは押しに弱すぎる。もっとちゃんと抵抗しないと――何をされるか分からないぞ」
唇を親指の腹で撫でながらわざとらしく口角を上げる彼。まるで野生の獣に狙われる獲物のような気分になった。熱を帯びたつつじ色の瞳が、エルヴィアナのふっくらした唇を捉えていて……。
「分から――ないわ」
震える声で挑発するように言い返す。心臓が早鐘を打っていて、うまく頭も回らないけれど、これだけは確かだ。掠れた声を絞り出すように、本音を口にする。
「クラウス様に触れられるのは、嫌じゃ……ないから」
「…………!」
クラウスの瞳の奥が揺れた。その直後、温かいものがエルヴィアナの唇に触れた。
――シャンデリアの灯りが、白い壁に二人の影が重なる様子を写していた。
◇◇◇
クラウスにエスコートされて、再び広間に戻った。しばらく休憩を取ってきたが、嫉妬したクラウスのせいで、ちっとも休まらず、むしろさっきより色んな意味で疲弊している。
エルヴィアナは鋭い目付きをしている上、人を寄せつけない威圧的な雰囲気があるので、魅力的といえる女性像にはあまり当てはまらない。この国で理想とされるのは、くりっとした瞳に庇護欲を掻き立てられるような可愛い女性だから。
一方。礼服姿のクラウスは、まるで物語から飛び出してきた王子様のよう。女性たちが彼のことをうっとりと盗み見ている。
しかし、人気を集めているといえば、もう一人。第七王子ルイスも、クラウスと同じように女性たちの目を引いていた。クラウスは硬派な美形だが、ルイスは柔らかい雰囲気で、人好きのしそうな美形だ。そして、適齢期でありながら未婚というのも人気の理由。女性たちは我こそが見初められようと躍起になる。けれど彼は――リジーのことを慕っている。
リジーに会うために度々ブランツェ公爵邸に通ってくる彼。軽薄そうに見えて、一途でマメだ。
「こんばんは。エルヴィアナ嬢にクラウス」
彼はこちらに来て、紳士的に一礼した。そして彼の隣には――ルーシェルが。
「ごきげんよう、クラウス様」
彼女はエルヴィアナには目も向けず、クラウスだけを見つめている。分かりやすい人だ。
相変わらず、ルイスの周りには鬱陶しいくらいのキラキラしたオーラが漂っていて、目を眇めてしまう。ルイスはクラウスの方を一瞥して、意味ありげに口角を上げる。クラウスも、元々鋭い目付きを険しくさせていて。謎のアイコンタクトに、エルヴィアナは首を傾げる。
そういえばこの狩猟祭の間、やたらと二人はこそこそ話していたが、何を話していたのだろう。
「エルヴィアナ嬢は相変わらず女性に人気だね。黒の長髪の美男子は誰だって何度も尋ねられたよ。僕よりモテるんじゃない?」
「ご冗談を」
クラウスが不服そうに「エリィは俺にだけモテれば十分だ」と呟いた。一方、ルーシェルはふふと優美に微笑みながら言った。
「本当。エルヴィアナさんは凛々しく逞しくて……羨ましいです。わたくしも格好いい女性になりたいのですが、小柄で童顔のせいで、可愛いと言われるばかりですので」
もう一度言うが、この国の女性の理想像は、格好いい女性ではなく、彼女のように華奢で可愛らしい女性だ。少しも羨ましいなんて思っていないだろうことは見え透いている。これは遠回しに見下すような発言だ。
「恐れながら王女様は、今のままでとても魅力的に見えます」
「ほ、本当ですか? そんなことありませんわ」
ルーシェルは謙遜しつつも満更でもなさそうな様子で、クラウスの方をちらちらと見上げていた。けれどクラウスから気の利いた言葉は何もない。
「でも――エルヴィアナさんも素敵ですよ。いっそ、女性でなく男性なら良かったかもしれませんわね? クラウス様」
そう来たか。ルーシェルは、エルヴィアナに女性らしい魅力がないことをほのめかしているのだ。
「……俺は」
それまで沈黙していたクラウスがおもむろに口を開いた。
「俺はエルヴィアナが男になっても好きになるが、彼女は俺を選んでくれるだろうか」
顎に手を添えて真剣に考え始める彼。
(違う。そういう話じゃない)
シーン……。ルーシェルは若干引いた様子で目を細めている。この国の宗教では、同性愛は禁忌とされているのだ。軽々しく口にすることも咎められている。
「はは……クラウス様ったら冗談がお上手ですね。お二人が仲良しなのはよく分かりました」
すると今度は、ルイスがエルヴィアナとクラウスを交互に眺めて、掴みどころのない笑みを浮かべた。
「二人、仲直りしたんだね? 犬猿の仲って感じだったのに」
「……おかげさまで」
ルイスは長らく、エルヴィアナとクラウスの不仲を心配していた。仲直りするまで紆余曲折あったのだが、クラウスに魅了魔法をかけてしまっているとは口が裂けても言えない。当たり障りのない返事で濁してみれば、今度はクラウスのことを睨みつける彼。それはいつもの人好きのする笑顔ではなく、不穏な気配がする。
(……ルイス様?)
クラウスも険しい顔でルイスを見据えていて、一触即発の雰囲気だ。
「どういう風の吹き回しだい? 今まで散々彼女のことを放ったらかしにしていたくせに、今更婚約者面するなんて」
まるで、喧嘩を売っているみたいな言い方だ。二人が仲直りしたのが気に入らないような。
「婚約者面ではない。彼女の婚約者なのは純然たる事実だ」
「書類上はね。相変わらず君は女性の感情の機微に疎いらしい」
棘のある言い方に、何か引っかかりを覚える。次の瞬間、ルイスがエルヴィアナの肩に手を伸ばした。彼は、他人の婚約者に不用意に触れるような人ではないのに。おかしい。
「エルヴィアナ嬢。君の気持ちはよく分かっているよ。もう我慢することはない。僕が君を守るから」
「……はい?」
言っている意味が分からなくて首を傾げる。肩に置かれた彼の手を振り払い、「どういうことですか」と聞き返す。ルイスは同情したような様子で言った。
「君がクラウスと別れたがってるってことだよ。聞いたんだ。君はクラウスのことを嫌っているのだと。――それから」
ルイスは懐から少し歪な飾り紐を取り出した。
(これ……王女様の)
狩猟祭初日に、ルーシェルがクラウスに渡そうとしていたものに似ている。これも彼女の手作りだろうか。彼は飾り紐を大事そうに握りながら目を細めた。
「君の気持ちは受け取ったよ。君が僕を選んでくれるなら、僕もその気持ちに応えよう。その男が嫌なら、僕の妻になればいい」
どうやらルイスは、その飾り紐をエルヴィアナがルイスのために作ったと勘違いしているらしい。しかも、僕の妻になればいいと求婚まがいなことを言ってきた。
彼がずっと慕ってきたのはリジーのはず。けれど、恍惚とした彼の瞳を見たとき確信した。
(ルイス様に……魅了魔法がかかっている)