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13_痛み分け

 

「もちろん断った。俺は君以外から受け取る気はない」

「受け取って差し上げなさいよ。慕っているんでしょう? 彼女のこと」

「は? 何言って――」


 クラウスの顔を見ることができない。もっと冷静に振る舞いたいのに、口が止まらない。


「今は、つかの間の悪夢を見せられているだけ。あなたは本当は、本当は……わたしなんかじゃなくて王女様がお好きなのよ」

「なぜそうなるのか理解に苦しむ」

「とぼけても無駄よ。……ずっとわたしには笑いかけてくれなくて……王女様には笑いかけていたじゃない」

「ただの愛想笑いだろう。それに……俺に笑いかけてくれなくなったのは君の方だった」


 エルヴィアナは一度押し黙り、彼を睨みつけながら、掠れた声を絞り出した。


「邪魔者のわたしは要らないんでしょう? クラウス様は、わたしがお嫌いだか――」


 ――パシンッ。


「…………!」


 直後。クラウスに頬を打たれた。まさか彼に手を上げられるなんて思ってもいなくて、目を見開きながら、ずきずきと痛む頬を手で押える。


「二度とそんなことを言うな。俺の気持ちを何も知ろうともしなかったくせに、分かったような口を利くな」


 その声はひどく怒気を孕んでいて。でも、叩かれた本人以上に彼の方が悲しそうな顔をしていて。叩いた手が小刻みに震えている。


(これじゃ……どっちが痛いのか分からないじゃない)


 ようやく冷静になり、肩を竦める。でも彼から次に告げられた言葉が、鋭利な刃物のように心の奥に突き刺さった。


「俺は……――君のことが嫌いだ」

「!」


 はっとして固まる。それは絶対に聞きたくない言葉だった。


「いつも君はそうだ。肝心なことは何も言ってくれないし、よく確かめもせず勝手に分かった気になる。……君が、嫌いだ」

「やめて……言わないで」


 咄嗟に耳を塞ごうとしたが、上げかけた手を彼に掴まれる。


「いや言わせてもらう。俺はずっと、君に向き合おうとしてきた。力になろうとしてきた。なのに君は自分から壁を作って、本心を隠し逃げ続けた。全部一人で抱え込めば、誰も傷つけずに済むと勘違いしている。そういうところが、大嫌いだ」

「やだ……聞きたくない、やめて……」


 ぐさぐさと胸の奥に突き刺さる大嫌いの言葉。エルヴィアナは涙を流しながら、クラウスに抱きついた。もう言わないでと子どもみたいに泣きながら懇願すれば、エルヴィアナを抱き留める彼も泣きそうな顔をしていた。


「本当は……俺のことが好きなんだろう。エリィ。君は不義理を犯していない。――悪女のフリはもうやめろ」

「……うう、ごめんなさい、クラウス様……っ。ちゃんと騙せなくてごめんなさい……。別れてあげられなくて、ごめんなさい……。大好きでごめんなさ、」

「謝らなくていい。ただ、事情を話してくれ」

「……!」


 一体いつ気づいたのだろう。魅了魔法のことはバレていないだろうが、何か事情があって美男子たちをはべらせていると見抜かれている。


「突然婚約を解消しようとしたのは、俺が王女に心変わりしたと思ったからか? それとも他に理由があるのか?」

「……あなたが、王女様に笑いかけていたから」

「それだけのことでか? ただ笑いかけていただけで、早とちりしたのか」


 微笑んでいただけで傷ついたのは確かだ。でもそれだけではない。


「……王女様本人がおっしゃっていたの。クラウス様と思い合っていると」

「それは事実ではない」

「え……」


 まさか。ルーシェルが嘘をついていたというのか。でも冷静に考えれば、ルーシェルの態度は終始怪しかった。彼女の言葉に踊らされて、クラウスに直接確かめることもせずに全部分かった気になっていた。クラウスのこととなると、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。


 クラウスの鋭い眼差しに射抜かれて、一歩後ずさる。


(おかしい。魅了魔法に当てられているはずなのに、こんなに理性を保っていられるなんて)


 今までにこんな人はいなかった。魅了魔法に当てられた男たちは、揃いも揃って恍惚とした表情をして目の奥にハートを浮かべ、自我を失ったようになる。けれどクラウスは、魅了魔法をかけられているにも関わらず、あろうことかエルヴィアナの頬を叩き叱咤してきている。


「……あなたが好きなのは、王女様なの。今は思い出せないだけで」


 もうこれ以上隠しきれない。そう思い、泣きそうになりながら弱々しく漏らす。


「……クラウス様は――わたしの魅了魔法にかかっているから」


「知っている」


 それは、思いもよらない返事で。


「!」


 思わず目を見開き、手に握り締めていた飾り紐が滑り落ちて地面に転がる。どうして、どうしてバレたのだろう。分からない。


「……ようやく話してくれたな」


 色んな感情が込み上げてきて、目を泳がせる。


「どうして、」

「ずっと妙だと思っていた。君みたいな生真面目な女性が、遊びに耽けるなどありえない。それでも、俺がつまらない男だから愛想を尽かされたのだと考えていた。だが、婚約破棄を告げられた日。君が放った光を浴びた瞬間に気づいた。――呪いのことを」


 そう言ってクラウスはこちらに歩んで来て、エルヴィアナの右腕を捲り上げた。魔獣に噛まれた痕が、古代文字のような痣になっている。彼はそれを見て悲しそうに眉をひそめた。


 あのとき、腕から光を放ったのを見たクラウスは、エルヴィアナが13歳の狩猟祭のときに変わった獣に噛み付かれたのを思い出したという。その光と、原始の時代に存在していた魔法を結びつけて、調べることにした。


 まずは、エルヴィアナの実家に行った。けれど両親も、エルヴィアナと一番親しいリジーも、腕の怪我にまつわる一切の沈黙を守った。

 次に、エルヴィアナの主治医に聞きに行った。彼も、「エルヴィアナに口止めされている」の一点張りだった。そして最後に。神殿に行くと、気のいい神父がクラウスに全てを打ち明けたという。


 ――エルヴィアナは魔獣に噛まれたせいで、魅了魔法の呪いにかかり、命を削られているということ。そして、そのことでクラウスに負い目を感じさせないように、全て隠して平静を装ってきたこと。


「エリィが変貌していったのは、13歳の狩猟祭のころだった。今まで何も気づかず、君に不審感さえ抱いていた自分が情けない」


 クラウスは鈍い人だ。それを分かっていて騙していたのはエルヴィアナで。悪いのは全部エルヴィアナなのに。


「すまない。俺のせいで君に苦しいものを背負わせてしまった。あのとき獣に構わなければ、呪いにかかることもなかった。全て俺のせ――」

「違うわ」


 彼の両頬を手で包む。


「……エリィ」


 そのまま首を横に振った。


「クラウス様はなんにも悪くないわ。わたしはね、あなたにそうやって自責してほしくなかったの」


 どの道、エルヴィアナは助からないかもしれないのだ。なら、何も知らないまま、エルヴィアナを嫌いになったままお別れした方が悲しみも少ないと思ったのだ。不器用なりの優しさだったが、結局彼を傷つけてしまった。


「何も言ってくれなくて、君一人に背負わせる方が、俺にとってずっと苦しいに決まっているだろう」

「そうね。……ごめんなさい、反省する」


 そっと手を離すと、彼は俯いたまま言った。


「魔獣はまだ見つかっていないのか」

「ええ」


 これまで王国騎士団とブランツェ公爵家で雇った傭兵たちに捜索させていた旨を話した。


「少し妙なの。あれだけ目立つ見た目をしていれば早々に見つかっていたはず。あの森は国王陛下の遊興のためにいつも整備されていて、小さな規模だし……」


 かなりの大人数で探してきたのに、手がかりひとつ見つからなくて。見た目だけは愛らしいから、きつねやうさぎと間違えられて誰かに捕まってしまったのかもしれない。もしそうなら、見つかる可能性はぐっと下がる。


「昔……王女が珍しい獣を拾ったと自慢していた」

「王女様が?」

「その獣は――白い毛に青と金のオッドアイだと。ちょうど、例の狩猟祭のあとだった。瑣末なことと思い聞き流していたんだが」

「それって……まさか……」


 あの魔獣はルーシェルが所有している可能性があるということか。

 クラウスが険しい顔をして頷く。


 王女は、エルヴィアナの呪いの話を聞いて、魔獣の捜索に協力すると言ってくれた。けれど、嘘をついてエルヴィアナとクラウスの仲を翻弄し、彼に好意を寄せていたことを踏まえると……。


(……あの魔獣を王女様が隠している可能性がある)


 邪魔者であるエルヴィアナを物理的に排除するために、呪いで死ぬのを待っていたとしたら。

 恐ろしくなって、背筋に冷たい汗が流れる。エルヴィアナは、ルーシェルに魅了魔法の呪いについて話してしまったとクラウスに打ち明けた。


 するとクラウスはしばらく思案したあと、暗い顔をしたエルヴィアナの頭を彼が撫でる。


「大丈夫だ。俺がなんとかする」


 どんなにままならない現状であっても、彼のそのひと声だけで安心してしまうから不思議だ。そっと目を閉じて、彼の手を堪能していると――。


「……エリィは、俺が大好きなんだな」

「へっ!? な、なな……何を……」


 頬を赤くして唇を震わせる。クラウスはいたずらに口角を上げた。


「違うか?」

「…………」


 分かりきっているくせに、あえて聞いてくるのは意地悪だ。


「嫌いじゃ、ないわ」

「ふ。そうか」

「何がおかしいのよ。笑ったりして」

「素直じゃないところがいじらしくてな」


 一歩後ろに下がり、顔を逸らす。


「……いじわる。からかわないで」

「からかっているつもりではなかったんだが」

「魅了魔法に当てられているのに効いていないの? この力に当てられた人たちは、もっと理性を失うのに」


 すると、彼がずいとこちらに詰め寄ってきて囁いた。


「分からないか? 俺は元々――君に惚れていたということだ」

「……!」


 嘘みたいだ。だってエルヴィアナは沢山の男と遊んでばかりで、裏切りを働いてきたのだから。


「じゃ、じゃあ、婚約解消しようとしたとき、君のことが嫌いって言おうとしたのは?」

「君の早とちりだ。……エリィがどんな悪女でも、嫌いにはなれない。そう言おうとした。別れるのは考え直してほしいと説得しようとしていた。君は人の話を最後まで聞かないところがある」

「ごもっともです」


 彼は、エルヴィアナのことを不審に思いながらも、理屈ではどうにもならない愛情を内側に抱えてきたのかもしれない。それを知ろうともせずに、エルヴィアナは逃げてしまった。


「それに、魅了魔法程度で吹き飛ぶほどヤワな理性ではない」

「だいぶ吹き飛んでいたわよ(過去話参照)」


 呆れ混じりの半眼を浮かべる。


「……あれは演技だ」

「嘘つき」


 さすがに瞳の奥にハートを浮かべてべったりくっついてきたのは、素だろう。多少なりとも魅了魔法の影響は受けていたのは間違いない。あれが演技だとしたら主演男優賞ものである。


 エルヴィアナはそっと地面に落ちた飾り紐を拾い上げて、土を手で払った。それをクラウスの剣の柄に結びつける。


「怪我、しないようにね」


 そのとき、エルヴィアナの髪を飾るクラウスと対の飾り紐のビーズが、陽光を反射してきらりと光った。

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