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9、山中さんとあたし

「おい! 美咲ちゃん!」


 あたしがトラックで出ようとしていると、馬駒さんが声をかけて来た。


 振り向き、「なんですか?」と顔で聞いてみた。


「聞いたぞ? おまえ、大卒に留まらず、お医者の娘なんだってな」

 キザなサングラス越しに睨むように見て来る。

「おれ達のこと、やっぱり馬鹿にしてたのか? この底辺どもがって思ってたんだろう?」


「同じ仕事してるでしょ」

 あたしは即答した。

「底辺の仲間に入れてくださいよ」


「カハハッ!」

 馬駒さんがあたしの答えに笑った。

「そうだよな。産まれがどうあれ、俺達は底辺仲間だよな!」


 なんでそんなに卑屈なのかなぁ。同じ人間だってだけじゃんと思いながら、気になったことを聞いてみた。


「ところで誰から聞いたんですか?」


 っていうか、あたしが医者の娘だと明かした人は、1人しかいなかった。


「山中のジジイから聞いたよ」


 やっぱりかよ!


 ちょっと見損なった。

 人から聞いたことベラベラ喋るような人だとは思わなかった。


 まぁ、口止めはしてなかったけど。


 ちょうどそこへ白い軽自動車に乗って山中さんが出勤して来た。ドアを開けて出て来た山中さんに、馬駒さんが言った。


「おい、ジジイ! 遅ぇーぞ! シャキシャキ歩かんか!」


「そんな急ぎの仕事じゃござんせん」

 山中さんはくしゃくしゃの顔をおどけさせて言った。


「いいから早くしろや! みんなを待たせんじゃねーぞ! シャキシャキしろ!」


「へいへいっ」

 そう言って笑いながら、山中さんは事務所に入って行った。


 馬駒さん、山中さんがチャンピオンだって知ったら、こんな物言いできないだろうな。そう思ったらあたしも彼の秘密をベラベラ喋りたくなった。

 でもまぁ、今まで誰にも言わなかったってことは、言い触らされたくはないんだろうな。やっぱり黙っておいてあげよう。あたしが言わずにいると、馬駒さんが言った。


「あのジジイ、元プロボクシングの世界チャンピオンなんだってよ」


 知ってた!

 しもか日本チャンピオンが世界チャンピオンになって伝わってる。


「あたしも昨日、鏑木さんからそれ聞きましたけど」


「なんだ知ってたのかい」


「それでどうしてあんな物言いできるんですか?」


「気持ちがいいだろうがよ」

 馬駒さんは快感に震えるように言った。

「チャンピオンを顎でこき使えるんだぜ?」


「強いんですよ? 反撃が怖くないんですか?」


「今までただのオンボロジジイだと思ってさんざん下に見てやったけど、なんにも反撃して来なかった。だから大丈夫だぜ」


「ふ〜ん」


 あたしは馬駒さんを軽蔑の目でじっとりと見てあげた。元チャンピオンという、恐らくは血の滲むような努力をしてその栄光を掴んだことに関して尊敬の念とかはこの人の中には湧かないのだろうか。


 それに何より、自分の目が曇っていることを何とも思わないのだろうか。


 あたしは自分が誇らしかった。


 みんなが見下すからと同調したりせず、自分の目でちゃんと見て山中さんを尊敬できていたことを。




 馬駒さんがトラックで出て行った後、あたしは山中さんを待っていた。

 彼は事務所の扉を後ろ手にぴしゃりと閉めると、ばつが悪そうに顔を背けながら、こっちへ歩いて来た。


「おはよ」

 あたしは友達に言うように挨拶した。


「……おう」

 凄くばつが悪そうだ。やっぱり昨日の大暴れを恥じているのだろう。


 あたしは聞いてみた。

「山中さんって、お酒飲む?」


「酒!?」

 唐突なあたしの質問に、山中さんの声がひっくり返った。

「まぁ、好きは好きだけどな? 今は我慢してんよ」


「今夜、一緒に飲みに行かない? あたし、奢るよ」


「へえ!?」

 きずだらけの顔が可愛く笑った。

「な、なんか説教されるのかな……?」


「そんなわけないじゃん」

 思わず彼の袖をつまんだ。

「楽しいお店、知ってたら教えてよ」



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― 新着の感想 ―
この反応、実は酒で失敗してないかい、山中さん。
[良い点] >同じ人間だってだけじゃん シンプルにそう思える美咲ちゃんは素敵な女性ですね。 なんだかんだ言い訳をつけて、たいてい優劣をつけてカテゴライズして、こっからこっちは同じ人間、こっからそっ…
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