8、山中さんの秘密
「またチンケなジイさんが代役で来よったなって、みんなで言うとったんよ」
あたしがいない間に何があったのか、新開さんが話して教えてくれた。
「いかにも仕事遅そうやし、みんな舐めとったんや」
そうしたら山中さんは、みんなの視線を無視して、1人の世界に突入したらしい。
他の現場でS急便の仕事を体験していたので、ハンディーの使い方とかは心得ていたようだ。スムーズに集荷をこなし、センターにやって来た山中さんは、ワクワクした表情で、ニコニコしながら、荷室の中で降ろす順番を待っていたらしい。
「おい、ジイさん。手伝いいるか?」
からかう声が飛んで来るのに、ニコニコ笑いながら、こう答えたそうだ。
「いらん」
そして順番が来るなり、山中さんは動き出したのだそうだ。楽しそうに、信じられないほど軽やかなフットワークで荷室中を動き回り、誰よりも、ベテランドライバーさん達よりも早く、10トントラックの荷室を空にしたのだという。
「たぶんあれは20分切ってたよ」
新開さんが証言する。
「間違いなく新記録や」
その後、山中さんはトラックをバースから退けると、ウキウキした顔で手伝いに戻って来たらしい。そこで手伝いに入ったのが、なんと高木さんの車だったそうな。
高木さんの車のお尻から、凄まじい速さでパンパンパンパンと軽やかな音を立てて荷物が滑り出て来たそうだ。すべての荷物がローラーからはみ出すことなく綺麗に乗せられて、まるで荷物が生きてて、笑顔で産まれ出て来るような光景だったという。
しかしそこに突然、悲鳴が上がった。
高木さんの車の荷室の中から。
「ぶひゃあっ!?」
そんな悲鳴とともに、ゴロゴロガラリとけたたましい音を立てて、高木さんがローラーに乗って流されて来たのだそうだ。
遅れて山中さんが姿を現すと、ちっちゃな仁王像のように腰に手を当てて、そんな高木さんを見送っていたらしい。
荷室の中で何があったのかは誰にもわからなかった。高木さんはそのまましばらくみんなの前でローラーに乗って流れ、なんとかローラーの上から脱出すると、パニックを起こしたように逃げ出し、職場放棄して、自分のトラックすら置き去りにして、自分の足で走って帰って行き、そのまま会社を辞めたのだそうだ。
そして山中さんが、現場中に響き渡る声で、みんなに言ったのだった。
「お前らァ! うちの可愛い後輩、いじめよったらしばくぞゴラァ!」
仕事が終わるとあたしは山中さんに電話をした。
なぜそんなことがあったのに、あたしに電話をして来なかったのだろうと思いながら。
8ベル鳴らしても出なかった。
10ベル鳴らしても出なかった。
13ベルでようやく出た。
『すまねぇ……』
出るなり、ばつが悪そうに謝って来た。
「いや……え……?」
あたしはしどろもどろになった。
「何があったの? なんか……現場の雰囲気が随分変わっちゃってるんだけど」
『また……やっちまった』
自分の頬を殴るような音が聞こえた。
『おまえが高木ってやつに気をつけろって言うからよう……何かあったなとは思ってたんだ』
荷室の中で、山中さんは高木さんに名前を聞いたらしい。会う人会う人すべてに聞いていて、遂に見つけたコイツが高木かと思ったらしい。
とりあえず1人の世界に入り込んで山中さんは高木さんの荷物を楽しくサクサクと降ろしていたそうだ。そうしながら、あたしが言った通り、高木さんの動きに気をつけていた。
するとあたしにしたように、高木さんが山中さんの手をめがけて荷物を投げ降ろして来た。
それを山中さんはパンチで弾き返した。弾き返された20kg超の荷物が高木さんの顔面に命中した。
クッキーを手渡した時のことを思い出した。あの時あたしが触れた山中さんの拳は、そうだった、鉄のように硬かった。
「おまえ、うちの後輩にもそれ、したな?」
山中さんがちっちゃな仁王様のように睨み下ろした。
「許さねぇぞ。こうしてやる」
山中さんは高木さんの制服の首根っこを掴むと、ボーリングの玉のようにローラーの上を転がした。
『すまねぇ……。おれ、どうにも、やっちまうんだ』
電話の向こうの山中さんは平謝りだった。
『現場でいじめられてたんだろ? おれのせいでいじめ加速してねぇか? 大丈夫か?』
あたしはクスッと笑って、答えた。
「みんなが『凄かった』って言ってるよ」
『だろ? あんまり目立つことはしねぇように気をつけてたんだが……。すまねぇ!』
「ありがと」
『何がアリガトだバカ! おれっちは暴れん坊だったんだぞ? おまえの職場荒らしたんだぞ?』
「ありがと」
事務所に帰るともう夜だった。
19時を過ぎると事務員さんも管理職の人達もすべて帰っており、留守番の鏑木さんが1人でいる。
鏑木さんは前の会社を定年退職した65歳の人で、お菓子をモグモグ食べながら会社のパソコンでユーテューブ動画を観るのが仕事だ。たまにドライバーさんからかかって来た完了報告の電話を取り、運行表に書きつける。誰かからその仕事っぷりをチクられたら即クビになりそうな人だった。
「美咲たん、お帰りー」
あたしが入って来るのを見ると、平和な声で言った。
「今日は何か変わったこと、あったかなー?」
「あ、はい。3日振りにS急便出たんですけど、代わりに入ってた山中さんがなんか大暴れしたらしくて」
「えっ? 誰か殴っちゃったの?」
「いえ。それはしてないらしいんですけど」
あたしはつい、吹き出してしまった。
「物凄い動きで荷物をぽんぽん捌いて、ついでに人間まで流しちゃったそうで」
「さすがチャンピオンだなぁ。破天荒なことするなぁ」
「チャンピオン?」
「あれ、知らないの? 美咲ちゃん」
鏑木さんは得意そうに、自分が今日、ユーテューブ動画で見つけて知ったばかりらしい情報を、あたしにひけらかした。
「あの人、元ボクシングの日本チャンピオンだよ? 山中鉄平っていうリングネームで大暴れしたんだよ?」
鏑木さんの見ているパソコン画面の中に、小柄なイガグリ頭の年老いたボクサーの、リング上で暴れ回る勇姿が映し出されていた。
それは10歳ぐらい若いけど、どう見てもあの山中さんで、動画タイトルには『2011年、50歳にして山中鉄平、日本チャンピオンの座を奪回』とあった。
「いや〜、山中さんはさすがだよ。チャンピオンだよ」
鏑木さんが山中さんを褒めるのを初めて聞いた。
「凄いと思ってたんだよ僕は。前からね。ウン」
あたしはびっくりして叫ぶしかなかった。
「どっしぇ〜!?」