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7、山中さんと高木さん

「骨折しました!」

 あたしは新開さんに向かって左手を挙げた。

「仕事、できません!」


「ああ?」

 うざがるように新開さんはこちらを見たが、一応心配はしてくれた。

「どないしたん?」


「高木さんが投げた荷物が、手にぶつかって……」


「そんな大袈裟な」

 高木さんが苦笑する。


「そんなことぐらいで骨折せぇへんわ」

 新開さんも白けた顔だ。


「ごめんなさい。凄く痛くて……動かないんです」


 チッと舌打ちしながら、新開さんが事務所の人を呼んでくれた。


「大丈夫?」

 普段現場には姿を見せない白いワイシャツの男性が出て来て、聞いてくれた。

「病院、行く? 車の運転はできそう?」


 見ると、だんだんと手の甲が紫色になって来ている。


「病院行きます。すみませんが、荷物あとちょっとなので、どなたか降ろしてもらえますか。会社までトラックを運転して帰って、誰かに病院まで送ってもらいます」


「ちょっと僕の放った荷物が手をかすめただけなんですよ」

 高木さんが社員さんに笑いながら説明している声が聞こえた。

「ええ、もちろんわざとじゃないですよ。そんなわけないじゃないですか。彼女も大袈裟ですよ。かすめただけなのに骨折だなんて」


 それ以上高木さんと一緒に荷降ろしをするのは絶対に嫌だった。シフトレバーの操作が辛そうだったが、迷惑をかけたくないので自分で運転して帰ることにした。


 そんなあたしを見送りながら、高木さんが大声でみんなに聞こえるように言った。


「ほら! 骨折してたら自分で運転なんか出来るわけないよね? かすめただけなんだから! あの子、ズルして帰るんだよ? ひどいよね!」


 現場のみんながあたしのことを常識のない人間を見る目で冷たく見送っていた。


 あたしは高木さんに何も言えなかった。「わざとじゃない」の一言で逃げられてしまうのはわかっていたし、何より怖くて、誰にも何も訴えることもできなかった。




 会社に帰ると管理職の人たちが連絡を受けていて、病院に行くように言われた。手の空いた者がいないということで、自分で乗用車を運転して行った。


 骨折していてくれ!


 骨折していてくれ! と、願った。


 でないと職場放棄したいがための嘘だと思われる!




「剥離骨折ですね」


 先生に言ってもらえて、あたしはホッと胸を撫で下ろした。






『大丈夫かよ?』


 電話の向こうに聞こえる山中さんの声に癒された。


「うん。大したことはないみたい。3日ぐらいで仕事に戻れるって」


『でも、こう言っちゃおまえに悪いが、ラッキーだ』

 山中さんの声が悪戯な子供みたいにニンマリとした。

『おまえの代役で、おれがS急便の仕事行けることになった』


「山中さんが? あたしの代わりに?」


『ああ。希望してた力仕事だ。わくわくすんぞ。ありがとな。おまえのお陰だ』


「高木さんって人に気をつけて!」

 あたしは思わず言っていた。


『あん?』

 不思議そうに、孫悟空みたいな声で山中さんが聞いて来た。

『高木? そいつ、悪いやつか?』


「わかんないけど……、隙を見せちゃダメだよ? 気を許しちゃダメだからね?」


 うまく言えなかった。でも心配だった。

 山中さんは小さくて、細い。しかもおじいちゃんだ。

 あたしの代役で入るとはいえ、高木さんが自分より下に置きたがるのは明らかなように思えた。


『わかった』

 詳しいことは何も聞かずに、山中さんは言った。

『ありがとな』





 あたしは3日間、仕事を休んだ。


 病院に通い、薬を飲んで安静にして、好きなお酒も我慢して、右手を使うことは何もせず、真面目に手の治療に専念した。


 山中さんが心配だった。電話してみようかと思っているところへ、意外な人があたしのアパートの部屋に訪ねて来た。


 ドアを開けると高木さんの気弱そうな顔があった。


「やあ、お見舞いに来たよ」

 手にぶら下げたケーキを見せながら、笑った。

「骨折だったんだってね? すまないことをしたと思って、仕事へ行く前に、君の会社に住所を聞いて、寄ってみた」


 中へは入らせなかった。玄関に立たせたまま用件を聞いた。


「本当にあれはわざとじゃなかったんだ。悪かったね。すまなかったと思っている。だから、治ったらまた元気で出ておいでよ。みんな待ってるからね」


 悪い夢でも見ていたような気がした。


 目の前の高木さんは優しい笑顔で、あたしのことを気遣って、わざわざアパートまでケーキを持って来てくれた。


 高木さんに対する警戒心がみるみる薄れて行き、あたしは笑顔になった。


「わざわざすみません。入ってお茶でも飲んで行かれます?」


 あたしがうながすと、しかし高木さんは丁寧に断った。


「ありがたいけど、これからすぐ仕事に行かなくちゃならないんでね」

 そう言うと、あたしの手にケーキの箱を持たせた。

「待ってるからね。また出ておいでね」


 ケーキはイチゴのショートケーキと紅茶のケーキだった。


 全部気のせいだったんだ。高木さんはやっぱりいい人なんだ。


 手が治ったらあの職場へ戻って、元気な姿をみんなに見せよう。そんな気持ちになっていた。





 3日後、あたしは仕事に戻った。


 山中さんから電話はなかった。ちょっとしたことでもすぐ電話して来る人だ。何も問題になるようなことはなかった証拠なのだろうとあたしは思っていた。


 しかし現場の雰囲気は、あたしが休む前と大分違っていた。


「山崎さん」

 ずっとあたしを無視していた他社のベテランドライバーさんが、向こうから話しかけて来た。

「怪我、治ったの? 大変だったね」


 他の人達も、みんなあたしを気遣うような、優しい笑顔で迎えてくれた。


 高木さんの姿が見あたらなかった。

 高木さんの会社のトラックさえ見あたらない。


「あの……」

 あたしは新開さんに聞いた。

「高木さんは?」


 新開さんは少しオドオドしながら、笑顔を浮かべて、教えてくれた。

「辞めたよ。あんたの代わりに来てたあのおじさんに、辞めさせられた」


「は?」

 意味がわからなかった。


「あのおじさん、何者なの?」

 いつも強そうな新開さんが、珍しく怯えるように、あたしに聞いた。

「凄かったんだけど」



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― 新着の感想 ―
な、なにがスゴかったんだろう? いやあ、この会社、問題児が多いなあ。
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