2、青井さんとあたしと山中さん
青井さんを助手席に乗せて走り、積んだ荷物を降ろすS急便のセンターについた。
「ハンディーを持って事務所に行って積んだ総数を報告して来い」
そう言うと青井さんは、顔馴染みらしい他の会社のドライバーさん達の輪の中へ入って行き、愛想のいい笑顔で世間話を始めた。
あたしは言われた通りにしようとしたが、ハンディーが見当たらない。積み込みの最後、難しい操作をするために青井さんが持っていたはずだ。
「青井さん」
あたしが背中に声をかけると、お笑い芸人が客席に向けるように愛想を振り撒いていた青井さんの顔が、うるさそうにこちらを振り向いた。
「なんだ。ハンディーは返却したのか?」
「ハンディーがないんですけど」
「なんだと!?」
大声を出された。
「現場に忘れて来たのか? あれはこちらからお借りしてるものなんだぞ!」
「あの……」
あたしはつい、言ってしまった。
「最後、青井さんが持ってたと思うんですけど……」
「俺のせいにするのか!?」
信じられないものを見るように青井さんの顔色が変わった。
「おまえの仕事なんだぞ? 責任ぐらい持てないのか? ああ……取りに帰るわけにもいかない。そんな時間はない。わかってるのか? おまえのミスがみんなの迷惑になるんだぞ? それを責任を俺に押しつけるなんて……。おまえ、最低なやつだな」
つい、カチンと来て、言い返してしまった。
「教えてもらってるうちは、ミスは教育者の責任でしょう?」
「最低だ、おまえ」
青井さんが顔を手で覆った。
「自分のミスを他人のせいにするとか……。ダメだ、こりゃ」
「私が悪くないとは言いませんけど……、もっとちゃんと教えてくださいよ。青井さんの教え方じゃ私、この仕事ができるようになるとは思えません」
「おーい、みんな! 聞いてくれ!」
青井さんはいきなりその場にいた他の会社の人達に言った。
「この子、これからここの仕事をすることになるんで、今、私が教えているんですが、どうもやる気がない。自分がハンディーを現場に忘れて来たことを私のせいにしようとする。私は教育を終えたら一緒に来なくなるんで、お願いします。私がいなくなったらどうか、みなさんで鍛えてやってください」
その場にいた全員があたしのほうを見た。
その子のこと、人間扱いしなくてもいいんだな? と獲物を見つけたような視線に晒されたように感じてしまって、あたしは一歩後ずさった。
帰りは青井さんが運転した。あたしが運転するとノロいと言うので。
信号が赤に変わりそうになると、青井さんはアクセルを全開に踏み込んだ。完全に赤に変わっていても無視して突っ込んで行った。歩行者が渡りはじめようとしていてもお構いなしだ。かすりそうなほど近くで足を急いで止めた歩行者の人が、びっくりした顔で助手席のあたしを見た。あたしはぺこりと頭を下げて、でも青井さんには何も言えなかった。
右側をずっと走るので、左から次々と乗用車が追い抜いて行った。たまに大型トラックが左から抜いて行くと、ギリギリの近さなので恐ろしかった。
それでもあたしは何も言わず、助手席にずっと黙って乗っていた。大型の運転の練習にもならないが、言えなかった。
言いにくい人、言いやすい人というのはいるものだ。青井さんにとって、あたしや山中さんは『言いやすい人』なのだろう。逆にあたしや山中さんから見て、先輩だということを差し置いても、青井さんは『言いにくい人』だった。あたしも山中さんも会社の中に馴染んでいない。対して青井さんは愛想がよく、自分から輪の中に溶け込んで行ける。みんなが青井さんのことを好きで、青井さんの振り撒く噂話を即、信じていた。
あたしや山中さんをボロカスに言っても、あたしにも山中さんにも守ってくれる人はいない。だから好きなだけ好きなことを言えるのだ。それで言い返されてもみんなが青井さんを守ってくれる。
あたしや山中さんが何かを主張しても、信じる人はいない。『体制を批判するけしからんアウトサイダー』とでも思われて、反感を強くするのがオチだ。
会社の事務所に帰るとすぐに青井さんはその場にいた全員を味方につけた。あたしのことを社会常識がないと言って弁舌をふるい、配車係の山田さんも、大ベテランの寺島さんも、事務員さん達も、みんなのあたしを見る目がその時から変わって行った。
1人で大型の仕事をするようになる前に、あたしは無理やり青井さんにハンディーの操作方法を説明させ、メモに書き留めた。いちいちメモを見ながら操作するので最初は時間がかかり、周囲から「やる気がないんならやめればいいのに」などと舌打ちされていたが、なんとか人並みに仕事ができるようになった頃、トラックを運転して現場に向かっていると、久しぶりに山中さんから電話がかかって来た。
ハンズフリーで電話に出ると、山中さんの困ったような、弱々しい声が聞こえて来た。
『今、いいか?』
「うん、もうすぐ現場に着くけど、ちょっとならいいよ。どうしたの?」
『聞いたぞ、青井にさんざん言われたようだな』
「ああ……」
あれから2週間ぐらい経っていた。
「今頃聞いたの? 遅っ!」
『気にすんなよ? あれはただのバカだからよ。っていうか、喧嘩しなかったんだな? 偉いな』
「口答えはしちゃったけどね」
『俺はムカついてやっちまったんでな、それでお後がよろしくねぇんだよな』
「殴っちゃったの?」
『いや、手は出してねえけどよ、口でさんざん罵っちまった』
なんだかその時の光景が目に浮かんだ。
背の低い山中さんが背伸びしながら、皺だらけのかわいい顔を色んな表情に動かして、青井さんに向かって唾を飛ばしている。
そんなものを想像したら、なんだか気持ちが少しスッキリした。
『青井、会社、やめるらしいぞ』
山中さんがそんな情報を突然くれた。
「え。なんで?」
あたしは聞いた。
「あんなに馴染んでたのに」
『前からあいつ、事故を起こしてばっかだったんだけどよう』
初耳の情報をくれた。
『昨日だか、横断歩道渡ってるばあさん、轢いちまったらしいんだ。軽症で済みはしたらいんだけどな。でも、それでクビだ』
あたしの目の前が真っ暗になった。
あたしのせいだという気がした。
あたしがあの時、信号無視を平気でする青井さんの運転を注意していれば、そのおばあちゃんは轢かれることはなかったように思えた。
でも、どうせ、あたしが何を言ったところで青井さんは変わらなかっただろうとも思える。
あたしごときが何をどうしようとも、そのおばあちゃんは轢かれることになっていたのか。
あたしに出来ることといえば、とてもやるせない気持ちになること。それだけだった。