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顔に当たる熱風がチリチリと皮膚を焦がした。
空は分厚い雲に覆われ冷たい雨が降り注いでいると言うのに街は変に明るい。
鼻に纒わり付く異臭は種類はあれどその全てが同じ事を意味する物だった。
ー街を、人を、土地を殺すのだ、と。
最初に異変に気が付いたのはシルフィーであった。
ガタゴトと揺れる馬車の中、バチバチキャンディーを楽しんでいた彼女はヒクヒクと鼻を動かす。
「…何か臭いっす」
「えっ私かい?」
「何かこう…饐えたと言うか、そんな感じの臭さっすね」
「そんな臭いする?
…お風呂入ったんだけどなあ」
レイモンドは首を傾げながら自身の袖口に鼻を当てスンと吸い込むが自分ではよく分からない。
「兄上、私臭いますか?」
「…俺に嗅げと?」
「まあ出来たら」
「弟の臭いを兄が嗅ぐってどんな絵面だ」
「それこそ腐った香りがしそうっすね」
「貴様が言い出したんだろうが。
貴様が確認してやれ」
「嫌です」
「酷いなフィー」
わざと悲しげな表情を作るレイモンドを無視してシルフィーは馬車の窓から身を乗り出した。
…やはり臭う。
草木の青臭さに混じって醜悪な臭いが微かに、だが確かにあった。
臭いの根源を辿ろうと目線を動かすが特に異変は見当たらない。
決して勘違いではないはずなのだが。
「ぐぇっ」
「危なっ…!!」
馬車が小石に乗り上げ大きく跳ねた瞬間、窓の外に投げられかけたシルフィーの首根っこをまるで猫の子を持ち上げるが如くレイモンドが掴む。
そのまま反動でシルフィーはゴスッと音を立ててレイモンドの腹部へと突っ込んだ。
シルフィーの肘が綺麗に鳩尾に入ったのだろう。
レイモンドはシルフィーを腕の中に後ろ向きに抱えたまま俯きプルプルと身体を震わせた。
シルフィーの腹部に回された掌も痛みを逃す為かギュッと拳を作っている。
「何かすいません」
「…ちょっと…じっと…してて…」
「へい」
他人に抱えられる趣味はないが、さすがにこの状況で離せとも言い難くシルフィーは大人しくされるがままである。
シルフィーの背後でゼイゼイと言う荒い呼吸音が聞こえるが、それを無視して窓から入り込む風に意識をまた戻した。
「やっぱ臭いっす」
「……一応助けて貰ったその状況でそれを言うのはさすがに鬼畜の所業だぞ貴様」
「レイモンド様可哀想…」
キースに冷たい視線を送られ、ミリアにすら批判めいた小言を貰う。
ミリアの横に座るアナベルは最早得体の知れない何かを見る様な目でシルフィーを見ていた。
どんな目だ。
絶対に失礼な事を考えているに違いない。
「違いますよ。
レイモンド様じゃなくて外っす」
「外?」
「風に混じって変な臭いが混じってるんすよね。
なんだろう…えっと…」
スンスンと鼻を動かすシルフィーを見て皆が風に集中するが分からないと首を横に振る。
「絶対どっかで嗅いだ事あるんすよ」
「…私もさっぱり分からないや」
「何の臭いだっけこれ…。
モヤモヤする…」
臭いの原因が気になるのか、レイモンドに抱えられている事を忘れたままシルフィーはうーんと唸りだした。
その何時になく真面目な表情にレイモンドは集中を欠けさせるのもどうなんだろうと下ろすに下ろせない。
諦めてそのまま抱えているとシルフィーの頭部の高さがレイモンドの顎を置くのに丁度良い事に気が付き、彼はシルフィーの頭に顎を置いたまま本をパラパラと捲り始めた。
「どんな体勢だ。
付き合いたてのカップルか貴様ら」
「いや高さが本当に丁度良いんですよ。
兄上も試してみますか?」
「そんな危ない顎置きは死んでもいらん」
「なんだっけなあ…なんだっけ…」
「シルフィーさん凄い…。
無反応を極めてます…!!」
「…レイモンド様に触れられてこの反応は今まで見た事が無いですわ。
この子大丈夫なんですの?」
「たぶ…んっっっ!!!!!!!!!!」
「分かったっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
グワッと顔を上げたシルフィーの頭頂部が勢い良くレイモンドの顎を擦る。
それは顎に鑢掛けをされたかの如き痛みを伴い、レイモンドは顎を抑え呻いた。
「うわぁ痛そう…」
「だから危ないと言ったんだ」
「ゴリッて言いましたわよ今」
「分かった!!
あれだあれ!!」
「…頭を動かすなら予告してフィー」
「人間が焼ける臭いだ!!!!!!!!!!」
その言葉に馬車の中は静まり返り、誰かが小さく喉をゴクリと鳴らした音がやけに響いた。




