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あの強い春風に似た突風が吹いた瞬間。
幸福にも似た何とも言えない感情に支配された。
それはまるで待ち望んだ主君が帰って来たかの様で。
跪きたくなる様な、傍に馳せ参じずにはいられない様な、何とも不可思議な感情だった。
そして周囲に漂う魔素がその正体を告げていた。
ー魔王だと。
ー次代の魔王が生まれたと。
魔王だと思うとこの感情もやけにストンと納得出来た。
そしてガウルと同じ様に抱いていた疑問の答えも分かったのだ。
これは封印の儀ではない。
魔王を産む儀式なのだ、と。
魔王は母体を必要とせず、自然発生すると言われている。
そしてそれが生まれた事は4眷族とされる4家系の魔族にはすぐに分かるのだと。
4眷族の当主は生まれた事を悟ると確認の為魔王の元へ馳せ参じるとされている。
そしてその4眷族に認められて初めて魔王誕生が宣言されるのだと。
ただ今回と絶対的に違うのは魔獣の討伐が行われた事。
本来の魔王誕生の儀では魔獣は討伐されたりはしない。
魔族に魔獣は逆らわないからである。
ましてや魔王を襲おうと考える魔獣等皆無だ。
だからあの魔獣討伐は結界内に入り込んでしまった魔獣に街を襲わせない為であり、決して塔の中の聖女を守る物ではなかったのだ。
そして塔の中にいるのが魔王であると魔素を騙す為に眷族の方が魔獣より圧倒的に強いのだと、4人だけで討伐させる必要もあったのだろう。
我々が本物の4眷族だと思わせる為に。
そんな事を考えつつ魔獣を殲滅し、痛みと疲労を訴える身体を引き摺り塔の扉を開けるとアナベルが倒れミリアが泣きながらその頬を叩いていた。
アナベルは塔の中でずっと宝玉を抱え立ち続けていたらしい。
そしていきなり倒れたのだと。
「…人間には毒にしかならないだろうからね」
後からやって来たレイモンドがそう言ってしゃがみ、アナベルの抱えていた宝玉をそっと腕から外すと豪奢な木箱の中にしまった。
さすがに宝玉単体では魔王とは認められない為、擬似的な肉体として聖女が使われるのだろう。
だが完全に魔素を纏ったその宝玉は人間の身体では受け止める事さえ出来なかったのだ。
意識が飛んだのはそれが原因だろう。
帰りの馬車の中でキースに治療が済み次第地方を回ると言われた時も、ミリアは目を見開いていたがシルフィーはぼんやりと外を眺めレイモンドは目を閉じていた。
魔王は生まれた後、4眷族と共に支配下となる領土を巡り次代の主君であると認めさせると言われている。
言わば挨拶回りと言った所だろうか。
本来は魔素の量を見せ付けるだけで済むその行為ではあるが、こちらはどう足掻いても偽物。
本物だと欺く為に魔獣討伐等して力をアピールせねばならないらしい。
まあそれ以前に結界に澱が貯まり緩んでいたせいで魔獣がかなり入り込んでいる為、それを排除すると言う意味合いも大きいらしいが。
ならば騎士団を使えば良いかと言うとそうでもない。
魔族というのは厄介な事に根本的に仲間意識や協力という物が欠けているのだ。
強い者は個々で無双出来てこそ強いのである。
それで負ける様であればそれは弱者なのだ。
だから大軍を率いて魔獣という下等生物を倒す等、魔王には有り得ない話なのである。
まあそもそも大軍で戦うという事が出来ていたならば、人間との戦争が終わらないなんて事にならなかったはずだが。
というわけで偽の魔王と偽の4眷族で力を見せつけろと言う事なのだろう。
何ともまあ笑える話だ。
聖女が偽魔王、勇者が偽眷族などこれ程嫌な配役もあるまい。
忌み子として生まれた経緯から魔族を嫌いつつも、魔素を得る為に魔族のフリをせねばならない事へのやるせない感情から聖女や勇者と言った配役名にしたんだろうか。
ガウルだって4眷族役だなどと言われていたらきっと引き受けなかったに違いない。
難儀な事である。
それもまあ人間の血を選んだ以上、仕方がない事だったのかもしれないが。
そんな事を考えている内に意識が飛んでしまい、目が覚めたのは5日後の事であった。
全身の裂傷や打撲に加え過労や栄養不足による衰弱のせいで一時は生死の境を彷徨っていたらしいが、全く記憶にない。
意識が回復して一週間は熱が上がると耐えられない程の身体の痛みに目が覚め、解熱剤と鎮痛剤が効くとまた眠りに落ちると言う事の繰り返しであった。
シルフィーが作った最上級ポーションは既に王宮の騎士団に使用し尽くしてしまった後だったらしく、中級までのポーションしかなかったのだと後から医師に説明を受けた。
熱に浮かされた頭の中で騎士団どんだけ修羅場だったんだとツッコんだが声にはならなかった。
今週になって漸く熱が引きウダウダと会話が出来る様になった次第である。
命があってほんと良かったと思うと同時に魔王産み等と言う行為を、聖なる儀式かの様に行っている国に対して不信感は抱いたが言ってもどうにもなるまい。
諦めて多少なり気楽に過ごせる様楽しい事でも考えてみるべきだ。
だからシルフィーはこうして次の街のガイドブックを取り寄せ読みふけっている訳なのだが。
「ワイン工房見学ツアーか…。
試飲ありとなると参加すべきっすよねやっぱ」
「さすがワインの名産地だよね。
でも6社あるけどどのツアー?」
「そりゃこのワムゼル社に決まってんだろ。
昨年の全国ワイン大会の優勝会社だぞ」
「事前予約必須…。
退院の目処が経ったら予約入れてみるしかないっすね」
「私が予約入れておこうか?」
「じゃあ俺も行くから頼むわ」
「お願いします」
「ん、了解」
レイモンドが手元のガイドブックにペンで記入していく。
キースが見たらブチ切れ必須だが黙っていれば問題ないだろうと言う意見で纏まった。
ただの愉快な旅行計画である。
3人が次はご飯を何処で食べるべきかという議論に移っていると病室の扉がガラっと空いた。
顔を向けると果物が入った籠を抱えたミリアがニコニコと立っている。
「あっミリア様」
「こんにちは。
今日は市で梨を買って来ました。
旬だそうですよ」
「おーありがとうな!!」
「ありがとう。
私が剥くよ」
レイモンドが手にしていた葡萄をポイッと口に放り込みミリアから籠を受け取る。
シルフィーは隅に置いていた椅子を引っ張りミリアに差し出した。
「あっミリア嬢も行くか?
ワイン工房見学ツアー」
「わあ行きたいです!!
昨日仰ってたチーズ工房見学はやめたんですか?」
「やっぱ酒に気持ちが傾いちゃうんすよね」
「なるほど…。
アナベル様にもお聞きしてみますね」
「兄上の耳に入らない様にね。
兄上は参加出来ない上に領主との話し合いがあるから、バレたら怒りそうだし」
「大丈夫ですよ。
分かっておりますから」
はい、剥けたよとテーブルの上に綺麗にカットされた梨が置かれる。
口に入れると瑞々しく甘い果汁がシャリシャリと齧る度に溢れてきた。
美味である。
「そういえば先程封印の儀が地方巡りも含めて終わったら王家から褒賞が貰えるとお聞きしたんですが…」
「えっまじで?!」
「最初の披露目の式典の時宰相が言ってたでしょ」
「聞いてなかった…」
「私も緊張でお話が頭に入りませんでした…」
「宰相話ししてましたっけ?」
「多分私とフィーが喋ってる間に話してたよ」
「あーなるほど」
そんな大事な事喋ってたのか。
全然気が付かなかった。
「褒賞ってどんなの貰えるんだ?」
「歴代は基本的になるべく本人の希望に近い物をって感じだったはずだよ。
爵位やお金が多かったかな。
後は変わり種だと婚約破棄の認証とか逆に身分差の婚姻を認めるなんてのもあったかな?」
「まじかよ。
俺何にしよう…」
「私も悩んでしまって…。
やはりお金かなと思いましたが神官が望むと少々欲深過ぎるかなと…」
「何か欲しい物あるんすか?」
「はい。
私が元々働いていた教会の孤児院が建物も劣化しておりましたので建て直せたらと思いまして」
「やりたい事はかなり無欲っすね」
「そんな事は…あと学校も欲しいとか思ったりもしてますから…」
「さすが神官。
ガウルの桃色頭とは全く違うね」
「んだとゴラ」




