★‐other stories‐ 八薙の涙
今日は後輩たちのお話し。。
賢悟たちにそんなことがあっている最中、後輩部員たちの間にもちょっとした問題が起きていた。
すっかり恒例になってしまった大山と八薙の小競り合い。今日は練習後、部室の前で殴り合いに発展し、大山に殴られた八薙が口の中を切ってしまった。
「おい大山、インハイ前だろ、もうやめようよ!」
さすがの三崎も声を上げる。
気持ちの治まらない大山は、残っていた部員達に八薙から引き剥がされるようにして、ようやく沈下した。
八薙は倒れ込んだ姿勢から身を起こし、やれやれと緩慢に腰を上げながら、さらに大山を煽る。
「本当にガキっぽいですね大山先輩は」
そう言うと、余裕しゃくしゃくに薄く笑みを浮かべ、口の中の血をぷいと吐き出した。
大山は再び激しい怒りを覚えたが、これ以上八薙の挑発に乗るのも癪だった。
部室の扉を乱暴に足で開くと、中から荷物を掴んで出てきた。
「マネージャーに先帰るからって言っといて」
三崎にそう言うと、その場を後にした。
いやに大山につっかかる八薙。それに過剰に反応する大山。
今ではすっかりこの2人の犬猿の仲は有名になっている。
美琴と真琴に呼ばれて現場に駆け付けたハナが、背中を向け帰っていく大山を振り仰いだ。
「ちょっと直……!」
横では、口元にあざを作った八薙に双子が駆け寄っていた。
「大山なら、今は放っといた方がいいかも……」
三崎がぽつりと言う。
「でも!」
「多分あいつなら平気だと思う。だいぶ頭に血がのぼってんの、自分でも分かってる。橘に先に帰るからって言っといてってさ。それよりも八薙の方……怪我が問題になってもまずいし、あっちの様子見てきた方がいいんじゃないかな」
三崎に促され、ハナは水道まで傷口を洗いに向かった八薙、美琴、真琴の3人の後を追うことにした。
校舎の間の水道で八薙が顔を洗っている。
そしてその後ろでは、美琴と真琴がびくびくしていた。
最近の八薙には、彼をよく知る双子も手を焼いている様子。
甲斐甲斐しくタオルを持って付き添っているけれど、変に気を使っているのが分かった。
「大丈夫? 犀くん」
「ほっぺたも冷やす?」
心配そうにする2人。しかし、
「うるさい。うざったいからあっち行ってろ」
八薙はそんな2人を、必要以上に冷たくあしらった。
「ちょっとそんな言い方はナシでしょ! ミコマコあんたを心配してんだよ」
その場を見たハナが物言いを付けた。そして小柄な体にそぐわない大股でずしずしと八薙に近づく。
「あれ、ハナちゃん先輩。心配して来てくれたんですか? 僕、ハナちゃん先輩だったら歓迎ですよ」
八薙は氷のような表情を崩すと、甘い笑みをハナに向けた。
「んなっ! あんたもしかして超自己中!? ミコマコの気持ち少しは考えなよ!」
双子をかばうハナに「いいんです……後お願いします」と、双子はハナにタオルを渡してその場を去った。
「あーあ、行っちゃったじゃん。どうしてあんな言い方するわけ?」
問いただすように言うハナ。
「ちょっと八薙くん聞いてんの!?」
八薙は渡り廊下の柱に背中をつけて俯いていた。
口の端で笑ったまま濡れた前髪に隠れ、質問をかわした。
「タオル……もらえます?」
ハナは八薙に近づいた。そして近くから八薙を見上げた。
「ほんといい加減に、え……? 八薙、くん?」
顔を洗った後の滴とは別に、八薙の目に涙のようなものが滲んでいた。
「見られちゃいました……?」
「ど……どうしたの? えっと、私ちょっと言い過ぎたっけかな」
うろたえるハナを見て、八薙は小さく笑った。
そしてタオルで全てをぬぐい去り、再び笑みを湛える。
「ハナちゃん先輩って、大山先輩と付き合ってるんですか」
「なに急に。そうだけどどうして……って、わっ」
八薙はハナに近づくと、迷いもなく腕をまわした。
「ちょっとちょっと八薙くんちょっと?!」
小さなハナは、あっという間に八薙に埋もれる。
「少しの間だけ駄目ですか?」
「いやいや無理だしっ。ハナがかわいくて我慢できないのは分かるけど、無理だし」
「ちょっとだけですから」
そう呟いた八薙が、小さく震えていることにハナは気づいた。
八薙はまた泣いていた。
困惑するハナ。
「ん、んじゃ……ちょ、ちょっとだけ……だからね」
ハナはそう言うと、複雑な気持ちのまま八薙の内側に佇んだ。