-K's side- タブーの小箱
プーッ、プップ、ププー、プッ!――
小刻みに鳴る耳やかましいクラクションが近づいてきた。続けて騒がしい声。
「おいっ、上代っ、上代ってば、おいっ」
国道沿いを歩く賢悟の隣で車は停車した。
ウインドウが下がると、運転席から助手席側に身を乗り出した凌一が中から叫ぶ。
「ちょっと待った上代ー」
凌一の勢いに乗せられ、しぶしぶ車に乗り込んだ賢悟。
勢いというか、乗らないとクラクションと恥ずかしい名前の連呼が止みそうになかったから仕方なくだ。
「いやあ間に合ってよかったー」
(ったく今度は何事だよ……)
賢悟は渾身の仏頂面で凌一に問うた。
「で、なんなんスか」
「だってさ、おうちをピンポンして『上代くーん』なんて呼び出すのやだもんなあ」
答えになっていない。
賢悟はシートに後頭をもたげた。やれやれ、今日はとことんおかしな日だ。
「上代、今からちょっと時間ある?」
「ないです」
「いやそう言うなって、お前さんと話したいこと山積みなんだよ。家まで送ってくからさ、その分の時間俺にくれない?」
「……」
‘温彩奪取宣言’でもするつもりだろうか。賢悟は益々顔をしかめると横目で凌一を見た。
まったく騒々しいやつだ。凌一が監督に着任してからのこの数ヶ月間、多くの意味で落ちつかない。
技術やセンスはかなりのものかもしれない。凄いやつなのかもしれない。しかし、どうにも引っかき回されてる気がしてならない。
車は川を越えた。
道を示したわけでもないのに、凌一は賢悟の自宅を把握しているらしく悠然とハンドルを切る。
「で、さっそくなんだけど上代。さっきいただろ? グランド」
「……」
気付かれていたのか。動体視力も並みじゃないらしい。
だったらいきなり本題と思われるものに触れてきたようだ。賢悟は後に続く会話に身構え、ぴりぴりとしたものを肌に走らせた。
「で、俺らを見たんだもんな?」
「あン?!」
ストレートな凌一に気持ちのやり場をなくし、振り払うように声を放った。
どうでもいいけどこの状況とこの空気、すごく嫌だ。苛つく自分、ひきかえ余裕のある凌一、そして妙な駆け引きみたいなこの会話。
「悪りいけど下ろしてくれよ」
「だめだめ、俺の話し聞いてからにしてよ」
「いいから止めろって」
「言っとくけど、さっきのあの抱擁なら誤解だぞ?」
(って、どの辺がだよっ!)
内心で突っ込む賢悟。
誤解――。
自分の周りでそんな急速に欧米化が進んでいるとは思えないが。
「でも、やっぱ一応、ごめんなさい」
凌一はぺこりと頭を下げてきた。
「は!? 意味分かんねんだけど」
「どのあたりが?」
「どのあたりとかじゃねーだろ。誤解だとか一応ごめんだとかバラバラの切れっぱしばっか好き勝手ばら撒きやがって、おちょくって遊んでんのかよ」
「そうじゃないって、だったら色々を順を追ってちゃんと話すからさ、下りないで聞いてくれるか?」
「いや、マジで今日時間ねえし。もうここでいい」
あんたの話なんか聞きたくもない―――。
赤信号で停車した隙に、賢悟はドアに手をかけた。先頭で止まったため目の前は横断歩道だ。そこを目指す。
賢悟は車を降りてドアを閉めた。するとそれを追うようにしてウィンドウがおりる。同時に「こらこら」という凌一の声がした。
「じゃあこれだけ言っとく」
「しつこいな」
「俺と温子は血の繋がった兄妹だから―――」
「……!!」
信号が青に変わる。後続車が早く進めとクラクションで合図をよこしてきた。
後ろ髪を引かれる形へと気持ちが転じた賢悟は、足早に脇の舗道へあがると素早く凌一の車を振り返った。
「得意の冗談か? 適当言ってんじゃ……」
「いーや事実だよ、でもまだ温子には言うなよっ、色々事情もあってさ、本人は今んとこ知らないから~」
そう言い残しながら車は行ってしまった。夕方の国道の交通量に紛れ、あっという間に凌一の車は消えた。
「な、なんだっつんだよ……!」
取り残されたような後味が悪いような、妙な気分になった。
温彩と凌一が、リアルに兄妹―――!?
「今までん中で一番わけが分かんねえじゃねえか……」
疑いと入れ替わりに、思いもしなかった複雑なパスが飛んできたことに困惑する賢悟。
頭の中はすっかり砂嵐だ。
しかしそれが事実だったとして、このことを温彩に知らせていないのは……何故?
そう言えば2人は名前も違う。
妙な宿題……いや、タブー入りの小箱を投げ渡された気分だった。
「当の本人に言ってねえようなこと……先にオレに言うなよ……」
そのまましばらく車の行った方を見ていた。
帰宅後。久しぶりに家族全員がそろった食卓で夕飯を取った賢悟は、自室に入って父親が風呂からあがるのを待っていた。
今度は自らの身の振り方について考えなければならない。
切り替わらない頭を鎮めようと、久しぶりに雑誌を手にした時、リビングの方でインターホンが鳴った。
そのまま部屋で雑誌に目を通していると、利歩がガチャリとドアを開けた。
「お前はノックってもんを知らねえのか?」
「賢悟、温彩ちゃん来てるわよ」
「は??」
「下のロックは開けたけど、上に着いたら外で待ってるって」
雑誌を置くと靴を引っ掛け玄関を出た。
するとちょうどエレベータが到着して、中から温彩が出てきたところだった。
「ケンゴ……」
制服のままの温彩が手を振る。
2人は通路で肩を並べると、すっかり帳の下りた町並みを見下ろした。
「で……どしたんだよ」
凌一のよこした小箱を隠し持ったまま、賢悟はぎこちなく言葉を発した。
「うん、特に用はなかったんだけど、ちょっとケンゴの顔が見たくなっちゃって……」
俯き加減に笑う温彩。
「毎日見てんだろ」
「だってクラス別れちゃったでしょ。顔合わせるのって部活の時くらいだし。でも、急にごめん。変な時間に」
「オレは構わねーけど」
「だってケンゴ、全然電話が繋がらないから」
「あ、と……」
ぼそりと詫びた。
さて。なんだか気まずい。温彩が今どんな状況で、どんな心境なのかよく分からない。
ふさわしい言葉は何だろうと、考えれば考えるほどに混乱する。
「あたし……」
「お、おう」
温彩が口を開いた。
「将来はやっぱり、料理の仕事に、携わりたいの」
途切れ途切れにそう言って口をつぐんだ。
急な展開に戸惑いつつ、賢悟も言葉を返した。
「えと……いんじゃねーか。合ってると思うけど……」
「でもね」
「はい」
「進もうに進めなくって……」
気のせいか、温彩の目の縁が光った気がした。
「つか、その、進学の話しか?」
「ううん。学校とかのことじゃなくて、あたしの気持ちが前に進めないってこと……」
そういうと温彩は、小さく鼻をすすり始めた。
「おいどした、泣くことたねーだろ」
一瞬驚いたが、賢悟は腕をまわすと温彩の頭をすとんと自分に寄せた。
「だって、あたし独りぼっちで……」
そう言うと温彩は、賢悟の腕に額をうずめた。
「独りじゃねーだろ、お前には、その……みんながいるだろ」
変な気を回し過ぎて、ドラマに出てくる熱血教師のような言い回しをしてしまった。
オレは何言ってんだと身を固くする。
動揺すると、心の中でタブーの小箱がよりカタカタと音を立てる。
消化しきれないことが脳裏をかすめ、温彩の頭に添えた手に変な力が入りそうになった。
そうこうするうちに、玄関から利歩が顔を出した。
「ラブラブなとこ申し訳けないけど賢悟、父さん待ってるわよ。温彩ちゃん、良かったら上がっていかない? お茶でもどう?」
「いえっ、すみませんっ……おじさん帰られてたなんて知らなかった。今日はあたし、これで失礼します」
「じゃあ、賢悟じゃなくて悪いんだけど、車あるから家まで送ったげる。今日はこいつ、親子会議なのよ。進路未定のままぼさっとしてるから」
「うるせぇよ……」
利歩と一緒にエレベーターに乗った温彩から笑みがこぼれたのを確認し、賢悟は家の中へ戻った。
そして、ホッとした自分と小箱を心の隅に追いやりながら、リビングに足を向けた。