diary39 動き出さなきゃ
サト叔母ちゃんは昨日のことを、頑として話してくれそうにない。
でも、凌お兄ちゃんならどうだろう。
叔母ちゃんの考えがどうであれ、あたしに関わることを、当人であるあたしが知りたいと思う事はごく当たり前のことで、決してわがままではないと思う。
あたしだって知りたい。あたしにだって、知る権利はある――
「凌……じゃなくて、高下監督」
「はい、なんでしょうか菅波マネージャー」
声をかけると、振り返った凌お兄ちゃんは、元のおちゃらけモードで答えた。
「えと……、練習の後、少し話したいことがあるんだけど」
人目を避けるように小声で言うあたし。
すると凌お兄ちゃんは「お、愛の告白? 大歓迎」と、あたしの醸す空気をごまかすようにして答えた。
でもその後、
「ガッコでそんな顔してんなよ……」
と、小さく付け加える。
声と同時に表情の奥が変化する凌お兄ちゃん。あたしはハッとして、思わず固まった。
子供みたいな顔をしたり急に大人の顔になったり……器用と言うか、めまぐるしくて翻弄される。
あたしが俯いていると、「分かったよ」と、凌お兄ちゃんは呟いた。
「部活後。一度教官室行ってから戻るから、雑用片付けたらそのまま待ってな」
そして今日もピッチに上がるつもりなのか、グランド脇の一年部員くん達に混じって柔軟を始めた。
知りたい。知りたい。あたしにまつわるすべてを。
だから教えて、凌お兄ちゃん。
そうしないと、いつまでたっても自分の足で立てない気がする。
あたしなりに、それなりに、前向きに考えた。叔母ちゃんのことや自分の将来のこと。
そして思った。自立に向かうこの時期だからこそ、大人になるために必要なのは、まずはやっぱり「知ること」なんじゃないかと。
(知りたい反面、怖い気もする。お父さんの謎……凌お兄ちゃんとの過去……)
ベンチに戻ると、グランドで走るケンゴに視線を向けた。
颯爽と風を切る黒髪を遠目に見る。
どんな時も走ることを止めない、どんなことがあってもその足を止めないケンゴ。
きっと、あたしなんかよりも、ずっと強いんだろうな。
あたしがすべてを知った後、その時は過去のことも将来のことも、その悩みのすべてをケンゴに打ち明けてみようか……弱い自分やトラウマなんかも、いっそさらけ出してみようか……
(やっぱチョト重いかな?)
そして折をみて、ケンゴの現状と気持ちにも触れてみたい。
そしてお互いの未来予想図なんかも、語り合ってみたい―――
それからしばらく経ってのこと。ベンチに座っていると、ランニングを終えたケンゴが帰って来た。
「あ」
「……」
ちらりと目が合う。
昨日のことが気になって声をかけようとしたのだけれど、頭から降ってきたタオルに視界を遮られた。
「わ」
少し高めにしたポニーテールの結び目に、ケンゴのタオルがひっかかる。
あたふたしていると、頭上から「どんくせ」という低い声。
「う、ひど」
あたしはもたつきながらタオルを外すと、膝の上でたたみながら声の主を見上げた。
ケンゴは給水している。
早くも日に焼けた腕でドリンクを掴み、天を仰ぐケンゴ。汗の滲んだ喉元がすらりと伸びて、喉仏が上下している。
肩も腕も首元も、そのどれもが力強くてドキリとする。
「そう、昨日電話くれたでしょ?」
部活中にときめいたりしていることを悟られないように、なんでもないふりで話しかけた。
ケンゴは無言のまま、あたしからタオルを受け取ると、同じベンチに座りスパイクの紐を直しはじめる。
「なんだかすごく損した気分だったよ。せっかくケンゴがコールしてくれたのに、出そびれちゃって」
すると、ぶっきらぼうな返答が返って来た。
「だからどんくせえっつの」
「な、またぁ」
にべもなく‘どんくさい’の一言。
やっぱり学校だと、2人きりでないと、まともな会話にはありつけないらしい。
心の中でブツブツ言っていると、スパイクを直し終えたケンゴが立ち上がった。
そしてタオルを置き、グランドに視線を据えて言った。
「オレはもっとどんくせえけどな」
「え?」
ケンゴにしては珍しい、自虐発言。
ケンゴがあたしよりどんくさいわけないじゃない、と返そうとしたのだけれど、言う間もなくすでにケンゴはグランドへと走り出た後だった。
「ヘンなケンゴ」
ホイッスルが鳴った。
ブルーの練習着に身を包んだメンバーが、ゆっくりと動き出す。
ケンゴはチームの守護として今日も頑張っている。
これからはインハイに向けての実践式の練習がメインになってくる。
サッカー部の本格的な夏は、ここから始まる。
あたしも前に向かって、動き出さなきゃだよね。