diary37 何を言っているの
眼下に田舎町を見渡せる山際の霊園は、清々しい中にも新緑が満ち、すでに夏の匂いに包まれていた。
「いいとこだな」
「うん」
駐車場に車を入れて霊園に降り立つと、凌お兄ちゃんはジャケットを羽織り、後部座席から花束を取りだした。
あたしの父の眠る場所。中学生で父を亡くしてから、何度と訪れた。時には電車とバスを乗り継ぎ、一人で来たりもした。
「監督、亡くなってから四年だっけ」
「ん。今年で五年目になる」
「まだ、寂しいか?」
ふいに神妙な声で問われた。でも、その質問には答えず、あたしは水汲み場に凌お兄ちゃんを案内した。
二つのバケツに水を入れて渡す。代わりにあたしが花束を持ち、長い階段を列になって下る。その両脇には、整然と並んだ沢山のお墓。その間を、お父さんの墓標目指して黙々と進む。
地形に沿い、同じ形の区画に別れて並ぶ、同じ形の石たち。まるで大きな住宅地みたいだ。右を見ても左を見ても同じ風景に見えて、初めはお父さんのお墓を探すのに一苦労した。でも今は、間違えずにたどり着くことができる。
「ここだよ」
まだ新しい墓石の前で立ち止まると、凌お兄ちゃんの方を振り返った。お兄ちゃんはしげしげとお墓を眺め、小さく嘆息した。
「やっと会えた。お久しぶりです……菅波監督」
簡単に掃除をしてから花を挿した。今の時期にはなかったからと、凌お兄ちゃんはチューリップの代わりにトルコキキョウを持参していた。「菅波家」と記された重厚な文字の前で、ピンク色のキキョウのフリルが、山風にそよそよと揺れる。まわりのお墓には菊などの仏花が供えられている中、どことなく墓前には不釣り合いな気がしたけれど、きっとあたしの趣向に合わせて選んでくれたのだろうなと、揺れる花弁を見てなんとなく思った。
お線香を立て、手を合わせる凌お兄ちゃん。いつになく真剣で、しかも随分と長く目を瞑って手を合わせている。
それを見て、ふと不思議に思う。凌お兄ちゃんはどうしてこんなにも、あたしやお父さんに対して、義を尽くすのだろう――。
そう思った時、サイレントモードにしておいた携帯電話のランプが、バッグの中で点滅しているのに気が付いた。着信だ。車に乗っていた時だろうか、全然気付かなかった。
かちりと携帯を開く。行き先を言わないまま出てきたから、サト叔母ちゃんかもしれない。そう思いながらディスプレイの不在着信を見た。
(え、ケンゴだ……)
ケンゴから電話してくるなんて滅多にないのに、あたしときたらこんな時に限って気付かないなんて。
着信してから一時間以上が経過していた。どうしよう、と少し慌てた。
そしてそれと同時に、ケンゴに言わないまま、凌お兄ちゃんとこんなとこまで来たことに後ろめたさを感じた。
お参りを終えた凌お兄ちゃんが煙草に火をつけた。あたしを見てにっと笑う。
「どした、電話か? 俺に気を使わなくてもかけていいぞ」
「う、うん……」
「あ。ひょっとして、あいつ?」
そう言って、さらに「ニッ」と笑う。
「何なら俺、外そっか?」
からかわれたみたいで、ぶぅと頬を膨らせた時、突然手の中で携帯が震え始めた。
咄嗟にケンゴからだと思って慌てたのだけど、電話をかけてきた相手はケンゴではなく、サト叔母ちゃんだった。
それはそれでどうしようかと思った。でも、帰りが遅くなることが予測できたので、あたしは電話に出ることにした。
「はい、もしもし」
すると、いつもは明るい叔母ちゃんの声色が、少し曇っている。
「温彩……?」
「う、うん。どうしたの?」
「あなた……私と約束したわよね?」
「約束? 約束って……?」
あたしは、大事な予定でも忘れていたのかと頭をフル回転させる。
「私、言ったわよね?」
そう言ったサト叔母ちゃんの声が、電話口と重なり、外からも聞こえてきた。
「凌一くんとはあまり関わらないでって、言ったはずだけど」
「お、叔母ちゃん……!」
振り返ったあたしと凌お兄ちゃんの後ろに、サト叔母ちゃんと哲也さんが立っていた。
驚いた。
「ど、どうしたの!? 今日お墓参りする日だったっけ?」
問うあたしを、叔母ちゃんは目でたしなめた。それからゆっくりと凌お兄ちゃんに視線を移した。
「こんにちは、凌一くん。兄のお参りかしら?」
思いもよらないことに凌お兄ちゃんも驚いている。そして気まずそうにしながらも、笑みを作って返答すた。
「ええ、まあ」
「私に断りもなく勝手に温彩を連れまわしたりして、どういうつもり?」
サト叔母ちゃんから発せられるオーラが、不穏な空気を形成し始める。
「温彩は未成年なのよ。随分と不謹慎ね」
それをさっした哲也さんの方は、叔母に注意を払い始めた。気色ばむ叔母ちゃんの肩に手を添え、凌お兄ちゃんに気まずそうに会釈した。
それに対して会釈を返すと、凌お兄ちゃんは俯き加減に、呟くように言った。
「酷いなぁ」
懐から携帯灰皿を取り出し、煙草を消す。それからゆっくりとサト叔母ちゃんを見た。
「まるで温子の周りをうろつく輩みたいな言われようだ。さすがにちょっと傷付きますよ」
一瞬対峙したかのように見えたけれど、おどけた表情を作ったお兄ちゃんは、叔母ちゃんに向かい上目づかいに笑って見せた。
「‘みたい’じゃなくて、実際そうでしょう!」
反対に叔母ちゃんは語調を強める。
凌お兄ちゃんは静かに溜息を吐くと、目を伏せた。そして再び顔を上げ、引き下がらずに続けた。
「あなたこそ人が悪い。僕らの後をつけてきたんですか?」
「まさか。あたし達は主人のお墓参りに来たのよ」
叔母ちゃんの亡くなった旦那さん、すなわちあたしの叔父のお墓も、同じこの霊園にある。
もしかすると哲也さんと一緒に、叔父ちゃんへの結婚報告に来たとか……? ふとそんなことが頭をよぎる。
「今日のことはすみません。でも、あなたが防衛線を張るおかげで、仏壇に手も合わせられないでいたから」
「当然よ……!」
凌お兄ちゃんが話しているのを遮るように、叔母ちゃんが感情をあらわにする。
「やだ、どうしちゃったの、叔母ちゃん? 黙って出かけたことはあたしも悪かったし……」
「黙ってなさいな、温彩」
あたしは息をのんだ。そして、ただならぬ気配の叔母ちゃんに困惑した。一体どうしたというのだろう。
あたしは助けを求めるように哲也さんを見た。けれど、哲也さんは黙ったまま小さく首を振った。
何? なんなの? なんだというの?
「そんなに嫌わないでくださいよ」
伏し目がちな凌お兄ちゃんが、薄く笑いながら口を開いた。
「僕だって苦しんだんです。分かってもらえないかもしれないけど」
「そうじゃないわ……! 嫌ってるわけでも、分からないわけでもないの! だた私、どうしても許せなくて……」
許せない? 何を? 凌お兄ちゃんがチームを辞めて海外に渡っちゃったこと? でもそんなこと、あたしならともかく、叔母ちゃんが怒ることではないように思う。
ますます混乱するあたしをよそに、サト叔母ちゃんが続けた。
「そうね……あなたに罪はないわ。でも私は許せないのよ。兄を苦しめた‘あなた達’が……」
あなた達?
何? 誰のこと?
お父さんが何? 苦しめたって何? あなた達って、誰のこと?
「サト……叔母ちゃん……? さっきから、何を……言っているの……?」
あたしが顔色を変えると、サト叔母ちゃんと凌お兄ちゃんがちらりと目を合わせた。
さっきまでのうわずった雰囲気が、潮が引くようにさめてゆく。
「ねえ、何のことなの……?」
「温彩……」
「……」
叔母ちゃん達は一体、何を言っているの―――?