diary6 番号交換
授業の中休み。今日は珍しいことが起きた。
「よぅ。ちょと顔かせ」
ケンゴが声をかけてきた。
喋りかけてくること自体珍しいのに、今日はなんと‘お呼び出し’を受けた。
(なんだろ…?)
そのままあたしの机を通り過ぎてベランダに出て行った。その後を慌てて追う。
外に出ると、しゃがみこんでから一つ伸びをし、腕のストレッチを始めたケンゴと目が合った。
月初に衣替えが行われ、ブレザーを着た生徒もちらほらし始めている。
それなのにケンゴは長袖のカッターを腕まくりし、今日なんかはネクタイもしていない。
暑いし鬱陶しいからなんだろうけど、そんな格好を見ていると、本当に授業は部活のオマケなのかもって気がする。
でも。あたし個人としては、上着を着ていないケンゴが好きだったりして。
カッターシャツ越しに、あの肩と、リーチのある腕のラインが見えてると何故かとても安心できるから…。
(こんなこと言ったら、また「変態」呼ばわりだな、きっと…)
中庭に面したベランダで、しゃがみこんだままのケンゴがいつもの仏頂面であたしを見上げた。
その前まで行くと、あたしもつられて小さく身をかがめる。
「どしたの…なに?」
窓より下にかがんだせいか、つい小声になって聞いた。
「おぅ、ちょっと待てよ」
何やらお尻のポッケを探っている。
それから四角い、黒い物体を取り出した。
「うそ… 信じられない… け、ケンゴ、携帯… 持ってるんだ…!?」
軽く‘カルチャーショック’入りました………
「失礼だろそれ。どんだけビビッてんだよ」
あたしの反応に憮然とするケンゴ。
でも、突っ込み返してきたわりに、聞けば電源を入れたことは今までに3回くらいしかないらしい。
意味がないというか、意味不明というか、呆れるというか…
でもどこか納得もできる。
「使わないけど一応持ってるってこと…?」
「一応つ〜か、オレ的には別に必要ねんだけど…」
そう言ってあたしに、携帯を持っている理由をポツポツと話した。
何せ粗い説明だからザックリとしか分からなかったけど、なんとこれをきっかけに、ケンゴの家族のことをちょっと知ることができた。
おじさんは企業勤めの会社員で、現在は仙台に単身赴任中なんだとか。
で、毎週週末になるとおばさんも仙台に行っちゃうんだとか。
だから、土日にも部活があるケンゴだけ、一人で自宅に残留してるんだって。
「でもサッカーとかで殆どいねぇだろ?その間空けてる家が心配だから、留守番人の責任として携帯持ってろっつ〜の。…オレはセコムか何かか??」
「あはは…頼りにされてるんだよ。それなのに電源はOFFなの?」
「むしろ放置。部屋で化石化」
「ダメじゃん。まったく意味ないし… それじゃ‘不携帯’電話じゃん」
「ほぅ。うまいこと言うね」
ま、持ってたことに違和感あるくらいだし、ケンゴらしいと言えばケンゴらしいけど…。
あ。…ということは、当然……
「ひょっとしてさ、メールとかやったことないでしょ?」
「あるわけね〜だろ」
「やっぱり…」
「なんだよ?」
「んん、なんでも〜…」
ということで、わたくし菅波温彩は、‘ラブメとは無縁の女子高生’だということが分かりました。
まぁいいけど。ケンゴがメール打ってるとこなんて想像できないし…
「でもよ、今日はホレ…」
じゃじゃ〜んとばかりにケンゴは、‘電源がON’になった画面を突き出してきた。
「ありがたく番号メモっとけ」
「ほんと?」
「おぅ。このためにわざわざ充電した」
「こ、このために?…化石化ってリアルに本当なのね…」
「文句あんならいいぞ」
「ないないないありがたくメモらせて頂きます!」
う… 嬉しい…。 死ぬほど嬉しい……
まさかケンゴと、携帯番号の交換ができるなんて思ってもみなかった…
(ていうか、持ってるなんて思ってもみなかった、か…)
感動と喜びで、叫びたい気持ちを堪えるのにもう必死!
「…でもケンゴ、繋がらないと意味ないよ?」
「わ〜ってるよ…」
ベランダからは中庭のフェニックスの木が正面に見える。
ゆれるフェニックスの葉に視線をやったままケンゴは、ボソリと付け加えるように言った。
「最近集中してっからさ。用があったらそっちから呼べよな…」
そしてちらりとあたしを一瞥し、眉だけ少し動かすと、またすぐに目線をそらした。
突然の番号交換の…意味が分かった。
試合続きでいっぱいいっぱいの時期なのに…あたしのこと、気にしてくれていたんだ…
それで化石化した携帯を掘り起こして…
「でも…ケンゴだって疲れてるだろうし、あの件だってもう…」
「おい…」
ケンゴの黒髪がフェニックスの葉と一緒にざわめく。
地獄の門から聞こえてきたような声で、話しを遮って言った。
「怒るぞ。『アタシは大丈夫だから』みたいなのはもうやめろ」
下から突き上げるようにあたしを見ると、握り拳でハンマーを作り、モグラたたきみたいにズドンとあたしの頭に置いた。(い…痛い)
「お前ね、少しは自覚しろ。日ごろから全っ然大丈夫じゃねェぞ?お前の危険度国家レベル並だろうが?だから、い〜から呼べ。セコムでもなんでもやってやっから…」
頭のハンマーよりも、…ケンゴの台詞がズドンときた (もー泣きそ…)
いつも思うけど、不思議…
目は怖いし口は悪いのに、どうしてそんなに人をじ〜んとさせられるの?
この上なく悪魔なくせに、本当はすごい隠れキャラ…
瑞樹先輩の言う通り…
ケンゴとの距離を、不安に感じる必要なんて、どこにもない。
誰よりもずっとずっと何倍も、こういう優しさを持ってる人…
「…じゃ、携帯は『ケンゴ呼び出し機』だね… なんだかアラジンのランプみたい…」
「なんだそりゃ」
「…グスン」
「おい…頼むから泣くなよこんなとこで」
そんなやり取りで、あたしはケンゴの携帯の番号をゲットした。
たったこれだけのことだけど、妙に胸が高鳴った。
いちいち感動してちゃ身が持たないんだけど、でも…
他のカップルに比べると、普段‘ライトテイスト’なあたしたちだけに、余計すぐにじんときて泣きそうになってしまう。
続いてケンゴの携帯にも、あたしの番号を登録。
「うそ…メモリー4件しか入ってないの?」
「そうだっけ」
「いや、あたしに聞かれても…」
そうこうしてあたしの番号は、無事、黒の携帯に納まった。
5件目のメモリー… 空いてた一番頭の番号「0」に『アツサ』を登録。
これまたちょっと照れくさい。
そう言えば、一軒目の「1」は家の電話だとして、「2」と「3」は両親だとして、んじゃ「4」って誰なんだろうな…
「もうしまうぞ」
「ん?あ、うん、ありがとう」
「うし。電源切っとこ」
「早速?」
「今いらねェだろ、目の前にいんだし」
「そっか… だね。クスクス」
キュンときてはにかんだあたしの様子に気づいたのか、魔王ならぬランプの魔人は居心地悪そうにして目をそらした。
周りから身を隠すようにして、教室のベランダにしゃがみこんだあたしたち―。
秘密の暗号を交換したみたいで、ドキドキした。
ありがとう、ケンゴ…
こんなドキドキも、ケンゴ的気遣いも、本当に、本当に―。
「そうだ。次の日曜試合ないでしょ?部活も休みだし、河原行くの?」
「おぅ。朝走って、一回帰って、そんで…昼からな」
「じゃさ、電話するから、よかったら待ち合わせしてから一緒に行かない?」
「つか、いちいち待ち合わせなくても、適当に来りゃいんじゃね?」
「だって…せっかく番号交換したからさ、ちょっと使ってみたいかなって…」
「………」
黙りこくるケンゴ。まさか面倒くさいなんて言うんじゃ…
緊急時以外は、電話しちゃ、ダメなのかな…?
「…つかさ、他でもいいよ別に」
しばらく黙ってたケンゴが口を開いた。
他…?
「だから他に行きて〜とこあんなら付き合うっつってんの。そうじゃねぇとまたしばらくヒマねェし」
そう言ってケンゴは、窓下の壁に背中をつけた。
「ほ…、ホントっ!?!?!?」
「声デカイ」
「ゴメ…。でもっ、いいの?練習しなくていいの?邪魔してない?」
「してね〜よ。たまには体も休ませねェとって思ってたし」
「んじゃ、んじゃさ、そのことで一度電話かけてもい〜い??」
「い〜よ…」
高鳴るどころか、ドキドキどころか、心臓がグルグル回りそう……!!!
携帯番号と、休日の約束をダブルでゲットできるなんて…
こんなんじゃきっと、次の授業は上の空…
授業開始のチャイムが鳴った。
立ち上がったケンゴが、通り際にあたしの頭にポンと手を置いた。
「中、戻るぞ」
そう言うと、手のひらであたしの髪をクシャクシャッとさせてから、教室の入り口に向かった。
―クシャクシャッ―
いっぱいいっぱいになりかけだった頭が、余計にシャッフルされた。
大変… しばらくの間放心しそう。
ケンゴの両親、ケンゴの生活、ケンゴの携番…
セコムなケンゴ、隠れた優しさ、そしてその手のひら……
グルグル回る。
やばい。この10分の間に、たくさんのことが起こりすぎた。
それに…
電話で話すケンゴってどんなだろ?
OFF日のケンゴってどんなだろ?
休日に一緒に歩くケンゴって………
どうしよう。
かなり激しく ‘妄想族’ になってしまいそうです―。
「おい、授業始まるって」
「んん〜?」
「…またそれかよ」