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diary35 あなたを抱きとめよう

レギュラーメンバーの入れ代わりは運動部ではよくあることで、さして珍しいことではない。

急な転向やポジション変えも、いわばつきものだ。


最近では凌お兄ちゃんもトレシューを履いてコートに入っている。ミニゲームに加わったり、各ポジションごとに直接指導をしたり。

インハイの県予選を勝ち抜いた陣を崩すという大博打に打って出たわけだから、短期間での調節と多少の無理を強いられるのは仕方がない。

メンバーも監督も、決まったからにはやるしかないのだ。


DFラインの最後尾には、ケンゴと一年の迫田くんが配置されている。2人とも凌お兄ちゃんの元、ディフェンスパターンやラインなどのチェックを綿密に行っている。

いつになく細かい指示が飛んでいて、時折言葉端がベンチまで聞こえてくる。


周りのみんなとは打って変わり、今回の采配に対してケンゴは無言を貫いたままだった。

部活中、凌お兄ちゃんの指導内容には従っていた。新たな課題にも黙々と取り組んでいるし、その眼差しも真剣。練習に対する姿勢は以前とちっとも変わらない。

これが功を奏せばいいのだけれど、でもケンゴの中には、ぬぐい去れない‘違和感’が付きまとっているんだと思う。


昨日の夕方、ケンゴの家に行った。

河原を通過し、大通りを越え、背の高い白いマンションに向かって歩いた。

道中、いつにもましてケンゴの口数は極少で、あたしはその空気に馴染むよう勤めて自然体を心がけ、少し距離をとって隣を歩いた。


夏服の襟元でケンゴの黒髪がそよぐ。トレードマークのギザギザヘアは変わらずだ。そしてその向こうのすっかりと大人びた横顔に、あたしは視線をしのばせた。

しばらくの間盗み見ていた。するとケンゴは、歩く方角を見ながらも、目に見えない何かを睨みつけているようだった。


誰もいない家の玄関のドアが開かれた。「どーぞ」と低い声がしてから「お邪魔します」と言って、あたしはケンゴを追って靴を脱いだ。

単身赴任の主と仕事を抱えたケンゴのおばさんは相変わらず留守がちで、だから練習の上がりの早い日はこうやって、ケンゴの方が先に帰宅する。

だからというわけではないのだけど、週末や部活の早い日などは、ケンゴの家にお邪魔することが増えた。雨の日は河原も使えないし、そんな時はたいていケンゴの部屋で過ごすのだ。


西日の射しこむケンゴの部屋。あたしはいつも、デスクから椅子を引き出してそこに座る。

会話はそんなにない。でも、最大のライバルであるボールのない状況のもと、言葉なんかで飾らなくても、ケンゴを独占できるだけで充分だった。

ケンゴは着替えると、大抵ベッドの縁を背にして床に座る。そして胡坐を掻いたり寝転んだりして、必ずストレッチや筋トレをする。

「お前もやっとけ」と、あたしにまでダンベルを渡してきたりして、1.0㎏の重さをもてあますあたしを見ては、どうしようもねぇなと眉尻を下げた。


部屋に2人でいる時は、結構無防備にあたしに微笑みかけるケンゴ。プイと視線を逸らす癖はどこかへと滑り落ち、真っ直ぐにあたしを見る。

誰から見てもケンゴは強面で、せっかくきれいな顔立ちなのに、無表情で無愛想で視線は常に冷やか。でもその鉄仮面の下には意外なケンゴがたくさんいて、あたしにだけはそれをそっと見せてくれるのだ。


だけどこの日は違った。無言で床に座ると、片ケンゴは膝を立ててその上にうつ伏せた。


突然ケンゴが、床からあたしの手を引っ張った。

あまりに強い力で引かれたものだから、あたしは椅子から転がるようにしてケンゴの膝まで飛んでいった。

ケンゴの腕の中に、あっという間にすっぽりと収まる。ケンゴは両の腕であたしをきつく抱きしめた。


鉄の仮面を被ったままで、ケンゴはあたしの首元に顎を滑り込ませてきた。

「いい?」

そして抑揚のない声で言うと、あたしの答えを待った。


「いいよ……」

あたしが答えると、ひと際ぐんと抱き寄せられる。

そしてキスもしないまま、ケンゴの顔を見ないままに静かに床に身を倒した。


ぶっきらぼうだけれど、いつも優しく包み込んでくれるケンゴ。それもこの日は違っていた。

目を閉じたままで藪の中に突進してゆくような、そんなおぼつかない切ない野性を、あたしはケンゴから感じとった。

それでもそっとその背中に、柔らかに手をまわした。


何も言葉を発さないケンゴの心内は誰にも分からない。

違和感を抱えているには違いないにしても、それがどういうものなのかはケンゴでなければ分からない。


ケンゴ……今、何を考えてる? 何を思ってる?


もしかすると、ケンゴ自身にも分からないのかもしれない。

または、何も考えたくないのかもしれない。

だからこうしてケンゴは今、ただただどこかに潜り込みたいのかもしれない―――


あたしはケンゴの頭を撫でた。するとケンゴは一瞬躊躇したように動きを止めたけれど、その後はより一層、あたしに身を預けた。


何も考えないでいる時間が必要ならば、それを受け止める。

ケンゴの視線があたしを通過してしまっても、その通過途中で、あたしはケンゴを抱きとめる。


床に落ちた西日が頬にかかった。

部屋に差し込む光ごと、あたしはあなたを抱きとめよう。



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