diary29 青嵐吹く
「っへー!」
ベンチを取り囲んだ人だかりから、感嘆の声が上がる。
「それでそれで、その後どうしたんスか?」
「偶然に重なる偶然の後は、そりゃあ必然でしょ。真冬の恋って盛り上がるわけよ。あ、でもそこからは大人のセ・カ・イ。キミらお子ちゃまに聞かせるにはちょっと早い」
「えー何スかそれ!その先が聞きたいのに~」
「もったいぶらずにハナだけにでも教えてくださいよぅ!」
人だかりはうちのサッカー部員くんたちとハナちゃん。そしてその中心には凌お兄ちゃん。
近頃急に仲の良くなった部員と監督は、しょっちゅうベンチ付近で団子になっている。
何をそんなに盛り上がっているんだろう……随分と宴もたけなわな雰囲気。
「その先、聞きたい?」
「聞きたーい!」
みんなの目が爛々としている。
そして、ハーフタイムの時以上の集中力で高下監督の話に耳を傾けている。
困った専任監督だ。それに、部員くんたちにハナちゃんも。
ついこの間まで「高下って胡散臭い」とか、「信用ならない」などと散々言っていたくせに、今では「兄貴」とか呼んで、すっかりなついている。
「彼女の長い髪がふわふわ~っとなびいてぇ」
「なびいてなびいて?!」
「涼しげ~な目で俺を見てぇ」
「兄貴を見て?!」
「きゃ~!ハナどきどきしてきちゃったぁ」
「やばいだろ?彼女超いい女なんだって。でも」
「でもなんスか?」
「その後ぶん殴られた」
「んああ~……」
一体何の話をしているのやら……
険悪ムードよりはましだけど、練習がおろそかになっては困りもの。
今日は入学を控えた次期新一年生達が、グランド脇まで来ているというのに、これじゃ示しがつかない。
まだ時間が早いからいいものの、あくまでも部活動の、もっとサッカー部的な意気軒昂具合を見せてあげて欲しいのに。
ケンゴはと言うと、閑談には加わらず、ゴール付近でシュートの練習をしている。
皆が散っているのをこれ幸いと言わんばかりにゴールを独占し、黙々とボールを蹴っている。
ケンゴのそういうところは相変わらずだ。
自分のペースを崩さないというか、群れないというか、鉄壁なる‘一匹癖’は、とうとう最終学年を迎えようかというこの春に至っても変わらないでいる。
「あいつ、上代っていつもあんななの?」
「ええ、賢悟は‘稀代のサッカーバカ’の異名を持つ男なんス。昔から超ストイックで」
「ふーん、ストイックねえ」
「サッカー以外のことには、ほっとんど興味示さないんですからぁ」
「へん、ホントかねえ」
ふいに高下監督と目が合った。監督はにこりと笑うと、突然あたしの手を引っ張った。
「ん~温子ぉぉ」
「ぎぃやゃああぁ!」
油断していた。
思い切り後ろから抱きつかれ、それだけならまだしも、そのままあたしを持ち上げてグルグルと回し始めた。
「なにするんですかぁぁ!」
グランドで、公衆の面前で、新入生たちの見てるとこで……!
「『ぎゃぁ』は酷いよ温子ちゃん」
「酷いのはどっちですか!下ろして離してバカ監督ー!!」
冷めた目でこっちをじろりと見たケンゴと目が合った。
視線はぶつかったけど、「フン」と鼻白むと、ケンゴはすぐにゴールの方に向き直ってしまった。
「やめてよもー!」
怒って振り払うと、高下監督はニヤニヤしながらケンゴを見ていた。
「ちゃんとあるじゃんねえ? サッカー以外にも興味が」
アップも終わり練習が始まってしばらくすると、次期一年の学年主任がサッカー部を訪ねてきた。
「高下監督、少しよろしいでしょうか?」
「はあ、何でしょう。もしかしてデートのお誘いですか先生」
40代独身の女教師にも分け隔てなく愛(?)を振りまく高下監督。
「ん……コホン!実は新一年生の中に、サッカー部への入部を前提に我が校を受験した生徒がおりまして……」
赤らんだ顔をごまかす様にめがねを直しながら、学年主任が説明を始めた。
学年主任の後ろには、3人の男の子達が立っていた。
「左から八薙くん、迫田くん、柴本くんです。うちにはまだスポーツ特待生の制度がない為、彼らは実に有難い存在です。中学時代に全国大会を経験した者もいますし、できれば春休みのうちから練習に参加させてあげられないかと学園長からのお達しで……」
入部希望者だと言う男の子達は、3人ともジャージを着てきていた。
スポーツをしているせいか物怖じせず、気後れせず、入学前のグランドに凛として立っている。
ハナちゃんがスススとやってきて、あたしのそばで囁いた。
「一番左の八薙くんって子、ちょっとかっこいいかも」
彼らは紹介のあった順に、短い挨拶をした。
まずは八薙くん。中学のときのポジションはMFだった。司令塔をこなしていたそうだが、キャプテンの経験はないという。
彼はすらりとしていて、とても大人びた顔をしている。なんとなく、沖先輩を思わせる。
迫田くんは大山くんタイプだ。ガッツのありそうな、見るからにスポーツ万能少年といった感じ。
ポジションはDF。全国大会経験者というのは彼だった。うちは守りが薄めの傾向にあるので、彼には期待大。
柴本くんはしっかりした体つきをしていて、背が高い分、ちょっと老け顔。
小さい頃からずっとゴールキーパーをやっていて、中学時代はその名を轟かせた名手だったという話し。
小林先輩がいなくなって以来、心もとなかったゴール前。それを任せられるといいんだけど。
つい先月まで中学生だったとは思えないほど、みんな落ち着いている。
「では監督。お願いしましたので、私はこれで……」
「じゃあ先生、デートはまた!」
「……」
高下監督が言うと、学年主任は小走りに去っていった。
まったく、大人の女の人までからかうんだから、呆れてものも言えない。
練習が再開した。
「ん~、じゃまずは、その実力を見せてもらっちゃおうか?」
高下監督が言うと、整列した一番端に並んだ‘新入部員候補生’に注目が集まった。
「ということでキャプテンの太田くん。俺は口出さないから適当にメニュー振ってあげてよ」
「はい」
太田くんが彼らの前に出て、自己紹介と挨拶をした。それから簡単に今日の状態やコンディションを聞いてから指示に入った。
「よし、じゃあ軽く体を温めてから……」
「いえ」
八薙くんが突然、遮るようにして口を開いた。
「それよりも……」
瞳の前でサラサラと揺れる髪が印象的だった。
クールな顔立ちと佇まい。すらりと長い手足。
しかし彼は、そんな清雅な雰囲気を自ら突き崩すような台詞を放った。
「現サッカー部の実力の程を、先に見せてもらいたいですね」
「何……?!」
大山くんの眉の端がピクリと動いた。
「お前、仮部員がずいぶんと偉そうだな?俺らを品定めしようっての?」
「いえ、見物ですよ」
八薙くんは流し目で、小さく微笑んだ。
「それを言うなら『見学』だろうがよ!」
いきり立つ大山くんを迎くんが制した。
「やれやれ。えらく騒々しいところですね。やはり今日は見てるだけにします。どうぞ僕にお構いなく」
そういうと校舎のヘリまで移動した。そして腕組みをして壁に寄りかかった。
「なんなんだよアイツ、バカにしてんの!?」
大山くんは青筋を立てている。
「ジャージの襟なんか立てちゃってな」
憤る大山くんの肩をたたきながら、迎くんも苦笑いしている。
高下監督はいつも通り、終始一貫して楽天観。
「よっこらせ」と言いながらベンチに座り、緊張感のない顔で事の成り行きを見守っていた。
「クールっていうかシリアスっていうか、年下とは思えない感じですよねぇ」
ハナちゃんも肩をすくめていた。
グランドに強風が吹き抜けた。砂が舞い上がった。
青嵐だ。
八薙くんが起こした風みたいに思えた。
季節より少し早めの青嵐は、みんなを鋭く吹き降ろして行った。