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diary28 グランドの春、再開

春休みも中盤に差し掛かり、今日から四月。

凌お兄ちゃんが監督に就任した後、すっかり雰囲気の変わってしまったサッカー部は、今日も太田くんを中心に練習が行われている。

それを、庭先の盆栽でも見ているかのように日向ぼっこをしつつ、ほのぼの眺めているお兄ちゃん。もとい、高下監督。

足元は相変わらずスリッパだった。ベンチに胡坐を掻き、あくびをしている。

その横にはハナちゃんがちょこんと陣取り、時折他愛のない話しをしては2人で笑い合っている。


「高下監督」

「おう、なあに温子」

「なあにじゃなくて……今日の練習も、終わりまでこのままですか」

「うん、そのつもりだけど。あ、それひょっとしてお茶?一杯もらえる?」

あたしの用意したジャーポットに気付き、高下監督はベンチに肘を預けて顔を突き出してきた。

しまりのない平和顔は、身に着けている着古したグリーンのジャージにより、更に際立つ。

運動部の練習中、こんなに平和であってはいけないと思うんだけど。


「来月からインターハイの予選が始まるのに、いつまでもこんな感じでいいんですか」

「こんな感じがいいんだってば。なあ、ハナ子」

「え、ま~、あはは……」

さすがにハナちゃんも返事を濁した。笑いながら曖昧に相槌をして、不安げにあたしを見ている。

大山くんの機嫌も随分悪いみたいだし。


お兄ちゃんが監督として来てからは、溜息の連続だ。部員くんたちも、不満や不安がかなり溜まってきているとみえる。

「あの監督、本当に大丈夫なのかよ。何考えてんだか全然わかんねーし」

「なあ、菅マネ。高下って一体どういう性格してんだ?」

その矛先は、度々あたしに向けられる。


あたしだってそろそろ限界だ。名簿やメニュー表にすらろくに目を通さない高下監督に、言いたいことが山積み。


「ねえ温子。お茶、もう一杯くれない?」

そう言って振り返った監督のジャージの腰から、Tシャツの裾がはみ出していた。

暢気におかわりを求めてきたこともだけど、あたしの怒りは何故か、シャツのはみ出しをきっかけに爆発した。


「高下監督!!いい加減にきちんとした指導をしてください!部員もそうですけど、あたしだって高校生活を部活に賭けてるんだから!お父さんが果たせなかった思いとか、見ることのできなかった光景とか、あたしはここのみんなと見てみたいの!今年が最後なの……!」


そう言うとあたしは泣いてしまった。泣くつもりなんてなかったし、自分でも想定外だった。

フラストレーションのせいもある。けれども多分、泣いてしまった理由は少し違う。

あたしは後半に口にした自らの台詞にちょっと驚いていた。自分の思いがこんなに強いものだったことを改めて知った気がした。

しかも、それを思わずぶちまけてしまった。


でも心から願っている。この目で、全力でプレーをするみんなの姿が見たい。

晴れの舞台を全身全霊で駆け抜けるイレブンと、ゴールをぶち抜くケンゴの勝利の一点を胸に焼き付けたい。


いつのまにか横に来ていたハナちゃんが、震える肩にそっと手を置いてくれた。

「菅波先輩」

「ん……部活中にごめん」

あたしは気を取り直すと、涙をぬぐって顔をあげた。


「オッケ、分かったよ」

監督の声がした。それと同時にベンチから立ち上がっていた。

「悪かったな、泣かせるつもりじゃなかったんだ。計画より少し早いけど、そろそろ始めるとするよ」

そう言って、あたしとハナちゃんの頭に同時に手を置き、最後にぐんと力を込めてグランドを振り仰いだ。


「おーし、集合ー!」


凌お兄ちゃんがグランドに向かって叫んだ。

突然のことと、監督が初めて掛ける声を聞き、みんなはびっくりしている。

「えーと、これから一年対二年でゲームね。それから太田、お前はベンチで俺が言うことを書記して。両チームとも隊形は2-4-4で。あとメンバーは……」


細部にまで指示を始めた高下監督は、部員全員の名前を覚えていた。

誰がどのポジションなのかもすでに頭に入っているようで、太田くんを欠いた中心部も、的確なメンバーで穴埋めをした。

「んじゃ、ハナ子。キックオフの合図出して」


驚いた。

ここまでの指示に、約数十秒。まるでこのチームを知り尽くしているみたい。

ボーっと過ごしているようにしか見えなかったのに、いつの間にここまで把握していたんだろう。


急に凌お兄ちゃんが別人に見えた。だらしなく座っていた時とは打って変わって、スタイルもよく見えた。

着古したはずのジャージの色も、なんだか新緑を思わせる。


部員くんたちも戸惑っている。しかし、戸惑いながらも彼らに、急激に気が満ちてゆくのも分かった。

総勢二十二人は指示に従い、ばたばたとグランドに散らばって行く。


久しぶりだ。グランドの上で掛け声がはじける。

流れが停滞し淀んでいた川に、せせらぐ水音が再開したようだった。

ようやくグランドで、春が息を吹き返した。


「温子はスコアつけてな。できるだけボールの渡りと選手のプレーとかもメモって」

タバコ代わりに咥えているパイプを口から抜き取ると、凌お兄ちゃんは外国の人みたいに、パチンと片目を瞑った。




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