【卒業式SP】 ~春を連れてきた人~
梅の花が散り、桜の木が小さなつぼみをつける頃、先輩達は旅立って行く。
いるのが当たり前だった人達が校舎から姿を消すんだと思うと、胸に大きな穴が開くみたい。
「温彩」
呼び止められ、思わずその肩に顔を埋めた。
「瑞樹先輩……」
「あなたが泣かないで、温彩」
聡明な笑顔であたしをなだめる瑞樹先輩。
「だって」
女神のようなオーラで、最後まであたしを包んでくれる。
その後ろに誰かの気配を感じて顔を上げると、卒業証書を手にした沖先輩が、小首を傾げて立っていた。
「菅波」
沖先輩のやさしい声を聞くと、また涙が出そうになった。
前方では、サッカー部だった先輩達が集結している。そしてその周りには、在校生の後輩達。
休校のはずの一年部員くんたちやハナちゃんまでもが、先輩達を見送りに登校して来ている。
用意していた花束や、皆で一筆ずつ添えた寄せ書きの色紙などを渡して回ったりと、忙しそう。
そんな一団が向かい合ったり輪になったり、思い思いに声を掛け合う風景が、一枚の絵のように思えた。
「ぐすん……」
「ほら、もう泣くな菅波。サッカー部の連中のこと頼んだからな。それから上代……」
あたしの頭にのせた手を下ろしながら沖先輩は、壁の影で退屈そうにしていたケンゴに声をかけた。
ケンゴは、「ゲ、気づいてたのか」というような顔をして、壁際から姿を現した。
「今年こそは、絶対選手権狙っていけよ」
「はい……」
先輩が差し出した拳に、ケンゴが答えた。
その様子を見て、またしても涙が溢れ出た。
あたしがこれだけ感極まるんだから、きっと先輩達はもっと、感慨深いはず。
三年生は今日という日を、どんな気持ちで迎えているのだろう。
懐かしい風景と、数々の思い出。
言葉にならない、言葉にはできない色んなこと。
それらをそれぞれの胸に、新しい未来へ向かって旅立っていく。
あたしにも沢山の思い出がある。
沖先輩から告白されたり、瑞樹先輩との間で揺れたりしたこともあった。
それから色んな事件があって、ケンゴとあたしは付き合うようになったのだけれど、今が充実している分、なんだかそれも遠い日のことだったように思える。
そんな思いに浸っていた時、突然「あれ?」と迎くんが言った。
「なあ、筒井さんは?さっきからいなくね?」
「ほんとだ。どこ行ったんだ?そういえば、式の後から見てないよな」
数人がきょろきょろして、筒井先輩の姿を探した。
あたしも先輩に渡す物を預かっていたので、その立場上きょろきょろに加わり筒井先輩を探す。
どうしよう。今日見失うと任務を果たせない。
騒然としていると、脇から突然三崎くんが現れた。
ヌッと音もなく沸いて出た三崎くんは、その表情も加え、ちょっと不気味だった。
しかし、「あそこを見てください」と言って指差した方向に視線を移すと、引き気味だったみんなの反応は一気に覆った。
なぜならば木の陰で筒井先輩が、一年生らしき女の子と差し向かいになって、ラブラブオーラを出し合っていたのだ。
「実は一緒にいるあの子、筒井先輩の彼女かもしれないんです」
「ええええーっ!!」
一通り驚愕の声を上げた面々は三崎くんを取り囲み、いつかのように円陣を作っていた。
感度良好のアンテナを持つ大山くんとハナちゃんも、いつの間にか加わっている。
みんなは円のまま、筒井カップルの方を見守った。
女の子は筒先輩の袖口に掴まって、明らかに好意の眼差しで先輩を見上げていた。
反対に筒井先輩の顔は、‘何種類もの表情’が入り混じっている。
嬉しい、恥ずかしい、信じられない、感動で魂が抜けそう、しかし毅然としていなくては……などなど。
しかしどんなに隠そうとしても、赤くなった顔とショボショボとしばたたいている目から、その心根は丸見え。
筒井先輩、完全に有頂天モードに入っちゃってる。
でも、これが本当に筒井先輩の『春』だとすれば、これ以上に嬉しいことはない。
「あの子、噂によると、‘超’が付くほどのテディ・ベアマニアらしいんです」
「テディ・ベア?」
皆の声が揃う。
「テディ・ベアっていえば、クマのぬいぐるみのこと、だよね?」
あたし達は、身を隠すことも声を潜めることも今日が卒業式だということも忘れ、三崎レポートに聞き入った。
「彼女、とにもかくにも『クマ』系のキャラクターが大好きらしくて、テディ・ベアに限らずクマのプーさんとか、リラックマとか、好みの男子のタイプまでもが『クマさんみたいな人』ってことなんです」
「はあ~、なるほどねえ……」
迎くんがあごをさすりながら妙に納得している。
「きっかけはバレンタインの時みたいなんですけど、筒井先輩、最初は勘違いしたみたいで……」
「出た!筒井さんの十八番、勘違い!」
「いえ、それがそうではなくてですね。若干女性不審気味になってた筒井先輩は、自分宛てのチョコなのに、間違って混入したチョコ及びキューピット依頼のチョコかと勘違いして、勝手に発狂してたそうなんです」
「あぁ~」
またみんなの声が揃った。
きっとみんなの目には、教室で暴れる筒井先輩の図が鮮やかに映し出されているはず。
「で、その誤解が解けたってわけだ?それでめでたくあの様子?」
「はい。彼女の天然ぶりも功を奏し、あの様子みたいです」
三崎くんの話を聞く限りでは、相性は良さそうな感じ。
それにしても三崎くんの情報収集力ってすごい。サッカー部に在籍しているのが謎に感じる。
新聞部だったら、部長になれるかもしれないのに。
そうこうしていると、筒井先輩があたしたちに気付いて、こちらにやってきた。
「おーうい、キ・ミ・タ・チ~!」
緩んだ顔と気取った顔を交互させながら、誇らしげに手を振りつつドスドスと駆けてくる。彼女も後ろからちょこちょことついてきている。
「ゴホン。えと、お前らに紹介しとく……」
あたし達の前に、クマというよりはロボットみたいな筒井先輩と、彼女が並んだ。
「今日から筒井先輩とお付き合いさせてもらうことになりました園原小春です。どうぞよろしくお願いします」
二つに結んだ髪に黄色い髪飾りをつけた、小柄でかわいらしい子だった。
この春で二年生の彼女。先輩が卒業した後は中距離恋愛になるけれど、そんなことなんか全然問題ないと小春ちゃんは言う。
「俺は卒業だけど、今後も彼女のこと、何かと気にかけてやってくれな」
小鼻を膨らませて興奮気味に語る筒井先輩の袖口に、ニコニコしながら再び彼女が掴まった。
今度は嬉しくて涙が出てきた。なんだか今日は、泣きっぱなし。
「クマさんの鼻先に、黄色いチョウチョがとまったみたい……」
涙声で呟くあたしに、ケンゴがボソリと返す。
「お前はすぐ落下するんだから、蝶でも何でも見習っとけ」
「う、うるさい……」
ケンゴの後ろにそびえる桜の木に、一輪だけ早咲きした桜の花を見つけた。
ひしめくつぼみの間で光る小さな花。
ひっそりと咲いた一片が、幸せを祈るかのようにあたし達を見下ろして微笑んでいる。
桜の眠りを覚ましたのは、きっとこの2人。
麗らかな卒業式の日、筒井先輩が、‘小さな春’を連れてきた。
始まったばかりの春とこの恋が、どうか大きく、花咲きますように――