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diary21 とあるバレンタインデー

2月14日。今日は春めいたいいお天気で、とっても温かい。

あたしはケンゴと一緒に午後からの練習に向かった。河原で少し時間を潰しすぎたため、きっと他の部員くん達はもう来てるだろうな、と思った。

部活生で賑わう土曜日の学校の校門をくぐり、部室へと足を運ぶ。


今日はバレンタインデー。あたしは今、両手にチョコチップマフィンが詰まった紙袋を抱えている。

どうせならお腹に溜まるものがいいんじゃないかなと思って、部員のみんなにはマフィンをチョイスしてみた。お店のオーブンを使って焼いた、ハンドメイドだけど。

「お前って何でも作んだな。そんな沢山、面倒じゃねェの?」

「ん。人数分を考えると、買い物する手間とかコストとか、作った方が全然いいの」

「ふうん」

スポーツバッグを背負い、ポケットに手を突っ込んで歩きながらケンゴは、感心するような呆れるような目を向けてきた。

口がへの字に曲がっている。


あたしはそれを見て、心の中で小さく笑った。

「ケンゴには別でスペシャルを用意してあるの。今日の帰りにお店に寄ってくれる?」

そう言うと、ケンゴはプイと目を逸らした。

「……おぅ」

多分、喜んでくれている。

なのにしかめっ面をしてるケンゴがおかしくて、思わずその腕に頭を寄せた。

「アホ、学校だろが」

そう言ってまた不機嫌そうに腕を引っこめた。しかし、そんな矛盾した態度が逆に笑いを誘う。

だって。

2人きりの時は意外と素直だったりするくせに。



ケンゴより先に部室に入ると、着替えを済ませたサッカー部のメンバーとハナちゃんが見合っていた。

中央に置かれた机を挟んで仁王立ちするハナちゃんと、何故か若干遠巻きに対峙している部員くんたち。


「どうしたの?何かあった?」

隅っこからあたしが問うと、ハナちゃんが大声でまくし立てた。

「酷いんです!ハナが焼いてきたクッキー、みんな食べてくれないんです!」

机を見ると中央にバスケットが置かれてあり、ココア色のお菓子が盛られていた。

ビターで、香ばしい匂いがしている。

「そんなに沢山すごい。頑張ったんだねハナちゃん」

しかし、ハナちゃんは依然膨れっ面のままだった。あたしの言葉は耳に入っていないようで、続けて部員くんたちに詰め寄った。

「何で遠慮するんですか!どうぞって言ってるじゃないですか!」

「だって橘、それ……」

「なんですか!?」


何をそんなに敬遠してるんだろうと、みんなの視線が集まるバスケットに近づいてみた。

「ん……?」

ハナちゃんは確か、クッキーと言っていた。

あたしは、みんなの顔とハナちゃんの顔とクッキーの入ったバスケットを、目で一巡した。

そして最後のバスケットで視線を止める。

ん~。

焼き加減が少し、強すぎた、かな……?


しかし、一生懸命に作ってあるのが見て取れた。分量を始め、仕上がりの質感や焼き加減が難しいクッキー。それなのにこんなに沢山、本当に大変だったろうなと推測した。

形だって独創的で、ハナちゃんらしくていいなと、あたしは思った。


でも。男の子達の意見は違うみたい……


「つーか橘さ、お前、味見はしてみたか?」

ひきつり笑顔の迎くんがハナちゃんに尋ねた。

「いいえ。直が味見してくれましたから」

「大山が?で、その大山は今日どうした?」

口を尖らせながらハナちゃんが答えた。

「休むって連絡がありましたけど」

「……」

部員くんたちが、さらにさらに、顔を見合わせている。


それにしたってみんな、少し神経質すぎやしないかしら。後ずさりするほどの見た目でもなければ、そこまで遠ざける必要もないように思う。

一言で言うとハナちゃんのクッキーは確かに焦げている。でも、この愛と努力の軌跡そのもののような品に誰も手を付けないないなんて、そんなのちょっと酷すぎる。


あたしはというと、持参したマフィンを出すタイミングをなくしてしまった。

せっかくだけど、この状況ではさすがに出せない。

あたしは一番端の使っていないロッカーを気付かれないように開くと、持っていた紙袋を押し込みそっと扉を閉めた。


その時、着替えを済ませたケンゴが、テーブル横のベンチまでやってきた。

ドサリと手荷物を放り、スパイクを履きながらバスケットの方を振り返る。

立ち上がるとハナちゃんを見下ろしてから言った。

「お前が作ったの?」

「はい」

「ふうん」と言うとケンゴは、中央に置かれたバスケットに、おもむろに手を突っ込んだ。


「あ!」とみんなが声を上げた。

「えっ」とハナちゃんが表情を輝かせた。

ケンゴは構わずに掴んだクッキーを口に放り込んだ。

「ひ!」と誰かが叫んだ。

「わぁ」と嬉しそうにハナちゃんが喜んだ。


突っ立ったままケンゴは、頬張ったものを無言で噛み砕いている。

少し前屈みないつもの姿勢で、バリバリと口から音を立てている。

そんなケンゴを、みんなは固唾を呑んで見守っている。

ハナちゃんは「賢悟先輩~」と、眼をきらきらさせている。

みんなそれぞれに、さあどうだどうなんだと、ケンゴの顔色を窺っている。


やがて無表情のままにそれを飲み下すと、何事もなかったような顔でちらりとハナちゃんに横顔を向けてこう言った。

「別に、悪かねェけど?」

ハナちゃんは神様でも崇めるように両手を組んでケンゴを見た。

「ほ、本当ですかっ!」

「あー、少し焦げてっけど、全然――」

「本当に本当?!」

嬉しさにすっかり頬を上気させたハナちゃんは、今にも机の上にあがってピョンピョン飛び跳ねそうだった。

しかし、

「――全然いけるよ、そのラスク」

と、ケンゴが続けた。

その言葉に、

「え?」

と、ハナちゃんが固まった。

「ラスク……?」

復唱したのち、小さな体は完全に石化してしまった。テンションも急降下。


後ろで誰かが言った。

「ラスクって、あのガリガリした、揚げたフランスパンだよな?」

「バ、バカ……」

他の誰かが制したけど、遅かった。


「んもういいです!!みんなキライ!」

そう叫ぶとハナちゃんは、ドスドスと大きな足音を鳴らしながら、派手にドアを開けて部室を出て行ってしまった。

「待ってハナちゃん!」

追いかけようとしたけれど、一旦こうなった彼女はなかなか難しい。

「やだ!賢悟先輩も、菅波先輩も、キーラーイー!」

「ええっ」

あたしまで嫌われてしまった。


「仕方ないよ、今はそっとしておこう」

太田くんが言った。

「しゃーないよな。賢悟の勇敢な行動、思いっきり裏目にでちまったし」

迎くんが言った。

ケンゴはというと、なんでだよ?とでも言いたげな顔で、憮然としている。


どうやらケンゴは事態を把握しきれていないみたいだ。まさか自分がとどめをさしたなんて思っていないらしい。

勇敢というか鈍感というか何とも言い難いところだけど、悪気がない分余計にケンゴという人は、罪を深めたりする。

(後でハナちゃんに、謝らなきゃね……)

あたしは、腑に落ちなさそうな顔をしたケンゴの様子に笑いがこみ上げた。

微苦笑を浮かべるあたしに気付いたケンゴは、「なんだよ」と今度は声に出して言った。



グランドに出ると、ハナちゃんがベンチの前に立っていた。本日二度目の仁王立ちだ。

「全員遅いです!今日はランニング倍です!!」

あわわ、今日のハナちゃんはきっと怖い。

「ええ~……」と力なく不平を口にする部員くん達に、ハナちゃんは拳を振り上げて言った。

「えーじゃありません!走って!!早く走れバカー!」


鬼コーチと化したハナちゃんに、誰も逆らえなかったサッカー部のバレンタインデー。

グランドに出てきた飯田監督に「今日はどうした?基礎強化か」と問われながらも、瞳に燈った復讐の炎はめらめらと燃え上がっていた。

「監督は黙っててください!」

八つ当たりの飛び火を撒き散らしながら、ハナちゃんはメガホンを手にとって叫んだ。

「あと18周ーー!!」


部員くんたちが列を成して走っている。

釈然としないながらも、ケンゴも無言でそれに加わっている。


マネージャーとして、随分とたくましくなったハナちゃん。

トレードマークの明るい色のショートボブが、穏やかな冬晴れの日差しで煌めいていた。




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