★ 修学旅行④ 感じあえばいい
コンコン、とドアをたたく音がした。
「ケンゴー、いる?」
廊下から温彩の声がした。
「お、菅波マネージャーの登場じゃんっ」
迎はそう言うと、「はいはーい、賢悟もみんなもいますよぉー」とドアの外に返事を返した。そして賢悟の方にだけ意味ありげな顔を向ける。
それに対し、賢悟は冷やかな視線を返した。
入りまーすという声と共にガチャリとドアが開き、温彩の顔が覗く。
「わわっ。どうしたの?サッカー部が勢ぞろいしてるじゃない」
馴染みのある顔ぶれではあるが、敷き詰められた布団の上だと、取ってつけたように感じる。
話しも一段落つき、形の崩れた円座から太田が振りながら答えた。
「菅波も呼ぼうと思ったんだけど、女子は風呂みたいだったから声かけそびれたんだよ」
「一体なあに?ミーティング的な感じ?」
「そそ、そんな感じー」
今度は迎が返答。そして温彩にも意味ありげな顔を放つ。
迎の修学旅行ハイは、しつこく継続中のようだ。
「今日はもう時間もないし、菅波には修学旅行明けにゆっくり話すよ」
部員達がぱらぱらと腰を上げ始めた。
「込み入った話しでもしてたの?」
「別に込み入ってないよ。新しく来る監督の話ししてたんだ。少し情報が入ったからさ」
そうだったの、と温彩は湯上りの頬を傾けた。
「そんじゃあ後は賢悟にでも聞いとけよ。同じ班なんだろ?俺らは早々に撤収するからさ」
ニヤケ顔の迎が、部屋を出ていく行列の最後尾に立って言った。
そして最後に、『おやすみ』とサイレントモードで言い残すと、必要以上にドアを丁寧に閉めて退室した。
どうだ、俺って気が利くだろ?そう言いたげに。
賢悟の方はというと、妙な空気を残すなよと言いたげだった。
それから寝そべったまま、足元の布団を引き上げた。
特にやることもない。
やることといえば、寝るためのベストポジションを探すことくらいだ。
「えっと……お疲れ様」
そんな賢悟に、温彩は遠慮がちに声をかけた。妙な空気はこちらにも伝染していて、なんとなくぎこちない。
それでも温彩は、おぼつかない会話に挑んだ。
「全身が痛いです先生。いくらなんでも初心者なんだから、少しくらい手加減してよね」
イタタタなどと口にしながら足腰をさすり、賢悟の一つ隣の布団の上に腰を下ろした。
案の定、午前中の初心者講習に間に合わなかった2人。
その代わり、賢悟の怒濤のスキー指導が繰り広げられたのだ。
「手加減なんかしてたら今日中に滑れなかっただろ」
布団の中から悪魔の声が返ってくる。
「礼を言われても文句言われる覚えはねえぞ」
抗議する温彩を横目に、賢悟はふふんと鼻を鳴らした。
実際、憎まれ口ほど賢悟のコーチングはスパルタというわけではなかった。
ただ単に、温彩のしりもちの回数が想像の遥か上をいっていたのだ。
転ぶ回数が多いほど、指導にも熱が入る。ただそれだけのこと。賢悟の言うように、文句をつけるところではない。
「す、すいません。ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました……」
想像を超えていたのは、温彩のこけっぷりぶりだけではなく、賢悟の熱心な指導ぶりにもだった。
ことがスポーツだと、雑念が絡まないのかもしれない。手取り足取りと、教えるその表情も真剣だった。
それに賢悟のバランス感覚や重心の取れた体、そしてその強健さ。改めて賢悟を頼もしく思った一日だった。
温彩は何気に、賢悟の方に目をやった。
すると、賢悟と目が合った。
横たわった賢悟の顔が、すぐ向こう隣にある。
温彩はドキンとして言葉を探した。
廊下では、自由時間を過ごす生徒達の声が盛んに飛び交っている。
「そ、外はあっちもこっちも大騒ぎだよ。ここのみんなは?」
「UNO持って出てった」
一言で会話は終了。
いつものことだ。
「そ、そう。ケンゴだけ残留?相変わらず単独行動なのね」
「自由時間に何やろうが勝手だろ」
ぶっきらぼうな応答。これもいつもと同様。
しかし、
「相変わらずお前はそこに割って入ってくるよな」
続けて放たれた賢悟の台詞に、温彩は反応した。
「割って入る…?」
神妙な顔で賢悟の方を向く。
『割って入る』……言われれば確かにそうだ。
元々は一人で居ることが多く、それが自然だった賢悟。
河原、教室、通学路、グランド、踊り場、そして学校外でさえも、今では賢悟のいる場所全てに自分がいる。
「だ……だよね。ごめんあたし」
温彩は、走った緊張と共に身を起こした。
いつのまにか自分は賢悟を想うあまり、空気の読めない厚かましい女になってたのかもしれない――
今日だって、一日中一緒だったのだ。夜くらい一人で、ゆっくりと過ごしたかったかもしれない。
それに、突然物思いにふける近頃の賢悟を、誰よりも敏感に察知している。
だから尚更、「割って入る」という言葉に過剰に反応した。
その時、「ばーか」という声がした。
同時に、温彩の頭の上に布団が降ってきた。
「きゃ」
ばさりと被さった布団に賢悟の体温が移っている。
「お前、今何考えた?」
温彩は布団から頭を出そうともがいている。
「どうせ、『邪魔しちゃってごめん』とか言って出てくつもりだったろ」
やっと頭が出た。温彩は布団でくしゃくしゃになった前髪の間から、不安げな眼を覗かせた。
「だって」
「オレの冗談分かりにくいか?」
「冗談、なの?」
「当たり前」
そう言うと賢悟は寝そべったまま、温彩の腕をぐいと引いた。
ひゃ、と声を上げる温彩を、そのまま自分の方へと引きずり寄せた。雪の上で今日は、何度こうやって温彩を引きずったことか。
「全然いつでも割って入ってこいよ、お前は」
手繰り寄せた温彩の顔を見上げながら言った。
「つーか今更だろが。今になって居なくなろうとかすんなよ。慰謝料とるぞ」
これでも、本音を伝えているのだ。
つい出てしまった不相応な言葉に対しての言い訳と、精一杯の陳謝。
そして――。
温彩は、すぐそこに潜んでいる賢悟の本心を、気付かないふりで受け止めた。
前のように、無理に好きだと口にさせるつもりはない。
表現が苦手な賢悟の、不器用で照れ屋な賢悟の自尊心を、そっとベールに包みこむ。
「ん……わかった。じゃあこれからもあたし、どんどん割り込んじゃうからね」
しかし賢悟は、そんな温彩の様子に少し逡巡した。遠慮がちなその態度をもどかしく感じ、仰向けの胸の上に温彩を引き寄せてから、ぎゅっと抱きしめた。
こんなに誰かに気持ちを揺さぶられたことは今までにない。
こんなにも自分が誰かを好きになるなんて思ってもみなかった。
こんなにも誰かに胸のうちを伝えたいと願うなんて、そんな自分を想像したことなんて一度もなかった。
賢悟は引き寄せた温彩の上にくるりと状態を翻すと、温彩の襟元にそっと顔を落とした。
「わ、ちょっと、ケンゴ?」
拒もうとすると、賢悟の手に力がこもった。
何も言うなと、賢悟がそう言ったように思えた。
賢悟なりの手段で、何かを伝えようとしているのかもしれない。
そのうちに、温彩の体から自然と力が抜けた。
お前はオレを好きでいてくれて、でもオレだって同じように、お前のことが好きなんだ……そう言いたいのだろうことを、なんとなく賢悟の手のひらから感じとった。
温彩は賢悟の背中に手を回した。
ちゃんと想いは伝わったよと、そう賢悟に伝心するために。
お互いに、なんて不器用なのだろう。
何も恐れることはない。恐れることも、焦ることも、戸惑うことも――
一番そばに居て一番理解したい人の、何を恐れることがあるだろう。
手を伸ばせばすぐ触れられる位置にいつもいる。
こうやって、息がかかるほど近くで、お互いを確認することができる。
いつでも、感じあえばいい。
不安ならば、身を寄せあえばいい。
必要ならば、素直に言葉を交わせばいい。
「ケンゴ。一つだけ聞いてもいい?」
「何……」
賢悟は顔を伏せたまま答えた。答えながら、温彩のシャツの裾から手を入れた。
存在を確かめるように、その肌に直接触れた。
「最近、何か考え事してるでしょ。ずっと気になってたの」
「……」
賢悟は顔を上げた。
「オレ、ボーっとしてた?」
「うん」
しばらくじっとしていたが、そのうち温彩をそっと開放し、並んで仰向けに寝転んだ。