★ To the next… ②
背後で扉の開放音がした。微かにいい匂いが香る。
「侑、筒井くん、」
舞い上がるロングヘアを手で押さえながら、ベンチコートを羽織った瑞樹が顔を覗かせた。今日は風が強い。
「おっ、瑞樹ちゃんおつかれ!沖、女房殿のお出ましだぞ」
「2人の姿、下から見えてたわよ。私、さっきまで温彩たちのとこにいたの」
「それでベンチコートなんだ」
「うん」
よく見えるね…と、ベランダに下りてきた瑞樹もグランドを見下ろした。手に持っていた白いマフラーを巻きつけながら2人に並んだ。グランドに向かい、筒井、瑞樹、沖の順だ。
入部して以来、何かとよくつるんできた3人だったが、もうすぐ共に、この学び舎を卒業することになる。
「そうだ瑞樹。入学の手続き、無事に済んだんだって?」
「うん…おかげさまで」
「おお!おめでとう瑞樹ちゃん。春からは晴れて女子大生かぁ」
「うふふ、筒井くんもファイトだよ。受かったらみんなでお祝いしようね」
瑞樹は年内のうちに、都内の女子大への推薦入学が決まっていた。将来は管理栄養士を目指し、家政学科を専攻する。大学へ通うために、三月末には上京する予定だ。そしてその折…
「侑の入試の結果が出次第、どの辺りの部屋にするか決めようね」
「ああ」
「頑張って」
「もちろん」
筒井が一人、きょとんとした。
「へ?なになに…部屋?それ、どういうこと?」
その問いには、瑞樹が答えた。
沖の受験する大学もまた都内だった。お互いの両親に承諾をもらい、経費削減の為に賃貸のマンションをシェアリングするつもりであること、目標を定めて勉学に励むのならば、切磋琢磨し合いながら頑張ってみなさいと、お墨付きをもらったことなどを筒井に報告する。
「えええー!聞いてないぞそんな話しー」
「今、筒井くんに話したのが初めてよ。他の誰にも、まだ言ってないもの」
「でもよ、経費削減って…シェアリングっつってもよぉ、お前らの場合、いわゆる同棲じゃん」
「まあ、俺が受かってからの話だけど」
「実はね、筒井くん」
瑞樹が続けた。
「あのね…」心もち声を顰めると、筒井の耳元に近づく。
「えええ…!」
再度、筒井が声を上げた。
瑞樹は笑顔だ。
沖は筒井の表情を見て、嫌な予感がし始める。
「…けけけけ結婚!?!?」
「やだ、この間両家で食事に行った時にチラッと出ただけの話しよぉ。勉強は勿論のこと、将来に向けても、協力し合って道を切り開きなさいっていう、エールというか…」
「そ、その前に両家って響きが…馴染めないんだけど…。それにしても親も気が早いっていうか、ちょっと話しが飛躍しすぎじゃなんじゃない?!」
「っていったって…まだまだ全然先の話だよ。あくまで、‘それも視野に入れて’ってことさ」
「そうよ。飛躍しちゃってるのは筒井くんの想像の方よ。でも、シェアの許可がもらえたのは、その前提があってこそ、なんだけどね」
特に瑞樹の両親は、温和で折り目正しい沖をとても気に入っていた。しかし、その気に入りようは、沖の人柄や気品からだけによるものではない。小さくも個人院を営む開業医の瑞樹の父は、たとえ今は目標であっても医学を志す沖に対して、密かな思いを抱いていたりする。
跡継ぎのいない藤沢家。それゆえ、事あるごとに『沖君、沖君』と、やたらと構ったりして、すでに婿でも持ったかのような気分でさえいるのだ。
「うちの親もだけど、侑のお母さんもすごく良くしてくれるの。この間は一緒にお菓子を作ったりしてね、それに…」
そんなことを、ほっこりと語る瑞樹。
…筒井は絶句している。
確かに大人びた2人ではある。しかしまだ18だ。いくらなんでも受験と並んでこんな話がでるなんて、どこか遠い国の話しようだ。
「許可…、視野…、けけ結婚…、お、おかあさん…」
筒井の周りには怪しい空気が充満しつつあった。光線を放つ前の兆候だ。
「(み、瑞樹…)」
沖は隙を見て、瑞樹のベンチコートを小さく引っ張った。
「と、ところで、下の様子はどんなだった…?」
こんな時は、話を変えるに限る。
「え?ええ…みんな調子よさそうだったよ。あ…そうだ、二年生はもうすぐ修学旅行だから、その話で盛り上がってた」
すると、ブツブツ唱えていた大きな肩がピクリと動いた。
「修学旅行?ふ…ふふ…あいつらは修学旅行だって?沖と瑞樹ちゃんはホットな未来予想図、そんであいつらは修学旅行か…ははは、いいよなぁ青春で…。なんでだ?…なんで俺だけ……」
「(まずいな、完全にスイッチが入ったかも。火に油を注いだみたいだ)」
「(どうしちゃったの?筒井くん)」
「(瑞樹、一先ずここは引こう…)」
「(え?でも…いいのこのままで)」
「(最近は俺の手にもおえなくって)」
予想通り、筒井の雄叫びが始まった。
グランドの部活生達が、何の騒ぎだと筒井らを見上げている。
沖と瑞樹は、そろりそろりと後退し、ベランダを後にした。
「こらうるさいぞ!そこで何やってる筒井!勉強せんか!今週末はセンターだろうが!」
グランドの飯田から怒号が飛んだ。
「やべぇな筒井さん、エネゴリくんみたい」
ゲーム中の迎らもベランダを見上げる。
コーナーキックを待つ賢悟もベンチの温彩も、校舎の方を振り仰いだ。
To the next… さらなる道へ。新たなる場所へ。
歩み続けるもの、次へ進むもの、みな順風に風を受け、それぞれの『先』に向かって歩む。