diary3 ハナちゃん事件の、帰り道
高く上がったボールに、数人の選手がジャンプで飛び付く。
真ん中には青いユニフォーム。そしてその周りに無数の敵校の黄色のユニフォーム。
空中で黄色に囲まれた青シャツはいっとう高く飛び、そのままねじ切るようにヘディングでシュートを決めた。
ホイッスルが鳴り響く――。
「っきゃぁぁー!賢悟先ぱぁーい!」
「信じられない、ケンゴっ、これでハットトリックだよ!」
飛び上がって歓喜するハナちゃんの手を掴み、あたしまで一緒になって跳ねた。
スコアを付ける手も興奮で震えた。
全国大会にむけての都道府県大会が始まっている。
強敵といわれていた敵校を制し、今日あたしたちサッカー部はまた一つ駒を進めた。
この大会、無事にケンゴが出場できて良かった。
出場できるか心配していた頭の怪我も影響はなかった。
抜糸を待たずに大会は始まってしまったけど、ケンゴは最初から出場した。
そりゃそうよね。だってケンゴなんだもん。
それにもしもベンチを指示されたとしたら、監督にあの「とーう」を決めていたかもしれない。
晃くんの事件に関して、あたしたちに警察からのお咎めはなかった。
沖先輩とケンゴが一度署に呼びだされて事情を聞かれただけで、こちら側が被害届けを出さない限りは特に何もなしとのことだった。
ただ何度かあたしとサトおばちゃんは、個人的に晃くんの事について色々と聞かれたけれど、その事件と直接関係していない学校やサッカー部に影響はなかった。
「わーん、賢悟先輩、かっこよすぎですぅ!」
試合後にハナちゃんのクネクネが始まった。
ケンゴは座ったと思えばまた立ち上がり、バラバラの荷物を抱えて、詰め寄ってくるハナちゃんから距離を取り続けている。
ケンゴが無言で大山くんをビッと睨んだ。ビクッとして大山くんがハナちゃんの制止にかかる。
「おい、上代さん困ってんだろ」
「フンだ、何よ大山。ひょっとしてヤキモチ!?」
「そ、そんなんじゃねえよ!」
「あっそ、じゃね。賢悟先輩ー、記念の写メ撮らせてくださぁい」
効果ナシ。何か言いかけた大山くんを遮ってハナちゃんはケンゴに戻った。
そうしていると、ケンゴがこちらに側に移動してきた。そしてあたしの前を通り過ぎる時、
「………!」
言葉は発さない。でも、何を言いたいかは……分かる。
分かるんだけどでも、でも。あたしもハナちゃんには弱いというか……
また追跡を始めたハナちゃんに、スパイクすら脱げないまま移動を続けるケンゴ。
その顔の引きつり方と言ったらない。
試合がハードだっただけに、段々可哀想になってきた。
「ねえハナちゃんっ?ケンゴ疲れてるし、ほら、こっち来て片付けしよ」
(どうか触った神にたたられませんように……)
そうしたらハナちゃんは、意外にもあたしの声に足を止めた。
お、と思ってホッとしかけたその時、ハナちゃんの首がゆっくりとこちらを向いた。
ギ、ギ、ギ、ギギ…… そう音が聞こえそうなほど、緩慢に、そして不気味に――。
触った神の、たたりが……
ついに視線があたしに照準された。
そしてスタタタと足早に近寄ってきたハナちゃんはピトッとくっついてきた。そして小声で、
《菅、波、先、輩。先輩はあたしの賢悟先輩を奪ったんですから文句言えないですよねえ?》
《う、奪っただなんて、やだなハナちゃんあははは……》
《嗚呼。憧れを奪われたハナはまるで翼をもがれたかわいそうな、コ・ト・リ》
《ハ、ハナちゃん……?》
今度はあたしがSOS。助けてケンゴ~……
それを見計らったようにハナちゃんはまたケンゴの方にくるりと向き直ったけど、大山くんがすかさずその腕を掴んだ。
「おい、いい加減にしろチビハナ」
「うるさい!チビっていうな」
「お前が言わせるんだろ!ムカつくんだよ」
「何よ!大山なんて、あたしのこと全然分かってないくせに!」
そんな短いやり取りがあった後……
「昨日は悪かったって言ってんだろ!これ見よがしに他の男にべたべたすんなよ!」
大山くんが叫んだ。
これには部員くんたちもあたしも、他の男=ケンゴもビックリ……
勿論、周りは水を打ったように静まり返った。
久々に出たよ、またしてもハナちゃん絡みの事件……一体この後どうなるの!?……と思いきや、大山くんがみんなの前でこれまたビックリの「俺たち付き合ってます宣言」をぶちかました。
しかもこれが吉と出て、最後にはすごくいい感じで事が治まった。
雨降って地固まる、ね。
これで沖先輩と瑞樹先輩に続く、サッカー部公認の新しいカップルが誕生したことになった。
結局、なんだかんだ言ってラブラブなのよね、あの2人。
そーんな衝撃的でHOTな事件のあった、試合の日の帰り道。
他の男でキューピットで被害者のケンゴは、案の定とっても不機嫌だった。
いつもハナちゃんに振り回され、確かに気の毒ではあるのだけれど……
「ねぇ」
「んあ?!」
「ちょっ、顔が怖いってばケンゴ……」
「……」
「せっかく今日記録増やしたんだしさ、機嫌直してよ」
「別に機嫌が悪りーわけじゃねえよ」
「じゃあなーに?」
「なんつーか、やられた感があんだよ」
「え?やられた?試合勝ったのに?」
「試合じゃねェよ……」
低い声でケンゴは言った。そしてぶすくれた。
ケンゴのよく分からないところは相変わらずで、ヘンなところも相変わらず。
でもそんなとこも、あたしは好きだったりするんだけど。
そんなことを考えながら、肩を怒らせて歩くケンゴの隣を歩いてた。
そしたらケンゴが急に、「ガッ」とあたしの手をとって繋いだ。
驚いた。
「びっくりした……どうしたの?」
「あ?別にっ」
やっぱりケンゴはぶすくれている。
それ以上喋るなと言わんばかりに、視線を道のずっと先の方に飛ばし、歩みを止めずにそのまま進んだ。
手を繋いだのは初めて――。
少し、照れる。
手の平を合わせるって、こんなに気持ちがくすぐったいんだね。
さっきよりも酷くなった仏頂面具合で、ケンゴも同じ気持ちなのがわかる。
きっとこんな感じが苦手だから、手を繋ぐのも苦手なんだろうなと思った。
ていうことは、きっと次はいつのことになるか分からない。
じゃあせめて、今くらいはこの時間が続くように、なんでもない話しをして場を繋ごう。
あたしは咄嗟にそう思い、今日の出来事を振り返った後、大山くんのことを話題にした。
「ね、最近大山くんって背が伸びたよね」
「……。知らねえよ」
「ダメだよ知っとかなきゃ。大山くんFW向きだし、そうなるとこの先ケンゴとコンビ組むことになるんだよ」
「……」
「大山くんさ、次の、……わっ」
繋いだ手をグイと引っ張られた。
「オレにも‘あいつ’みたいに叫べっつーの!?」
「えっ?」
近くで見るヘの字口。そして目だけであたしを見下ろして、睨む。
でも……
その鋭い目とはとってかわって、少し曲がって、下がった眉――。
「くそ、今日あいつにやられっぱなし……」
前に向き直ると、ケンゴはポツリと呟いた。
なるほど……そっか。
なんとなく分かった。ケンゴがご機嫌斜めの理由。
『男心』も、色々複雑なんだ。
この帰り、ぶすくれケンゴはずっと、あたしの手を離さなかった。
あたしにとってはすごく嬉しい帰り道になった、ハナちゃん事件の帰り道だった。