★ To the next… ①
西側の校舎の各階には、グランドの見渡せる小さなベランダがある。
センター試験の迫る新学期の放課後。沖は自習室を出てそこを目指した。
四階まで上りつめるとその扉の前で立ち止まり、取っ手に手をかけ静かに引いた。
「やっぱりここか。自習はもういいのか」
正面から吹いた風に目を細めつつ、大きな背中に声をかける。
「よう、沖か。お前こそいいのか?」
背後から呼ばれ、振り向きざまに筒井が返答した。
しかし沖と目が合うと、一瞬の間を作ってから意味深に顎を引いた。そして精一杯顔をしかめると、改めて沖をジロリと見やる。
「…そんな顔をするな。俺が謝って済むのならいくらでも謝るよ」
「い~え結構でございますよぉ~…蹴球の王子様~…」
「よせって…」
筒井は、例の『短大生は沖ラー事件(命題:迎)』を未だに引きずっていた。そしてその癒えない痛みの矛先は、現在、沖へ向けられているのだ。
「神様…次に生まれてくるときは僕を‘沖くん’にしてください…」
「よせってば…」
沖は、筒井の目から放たれる無明長夜光線を手で遮りながら、ベランダに下りて後ろ手に扉を閉めた。
藍色の髪が風になびく。
筒井の横に並んで柵に腕を乗せた。眼下では後輩達がミニゲームを行っている。
筒井も再びグランドに目を落としていた。
四階から見下ろすと、フィールド全体、そしてゲームメークまでもが良く見てとれる。豆粒ほどの部員達の小さな姿も、2人には誰が誰なのか全て見分けが付く。そしてその表情、感情までも。
「予選敗退してからこいつら、妙に気合入ってるよなあ。大山も伸び盛りだし、賢悟の勢いも止まらんし。来年はどうなるんだろ」
「いい線いくと思うよ。気迫だったらすでに国体レベルだ」
ホイッスルの音が届いた。
賢悟のミドルが決まったところだ。飯田がメガホンで何やら囃し立てている。
「そう言えば…どうやら正式に決まったらしいな、後任の監督」
「おう、お前も聞いたかよ」
「午前中に飯田先生と話す機会があったから、その時」
「なんでも飯ちゃんが大学サッカーのOB会仕切ってた頃に選手だった人なんだってな」
「そしてその大学を中退…大学サッカーからJFLに転向後、二年ほどで辞して海外へ渡航」
「で、お次は高校サッカーか。教員としてじゃなく監督専任でくるらしいぞ。学校も思い切ったもんだよなあ…」
学校サイドでは、『来期こそは選手権!』というムードが漂っていた。
沖や筒井らが在籍したこの約三年、サッカー部は幾度となく強豪校に肩を並べてきた。それに、実業団からスカウトのきた生徒が出たのだ。少なからず、それが学園長の考えにも影響を及ぼしたとみられる。
沖がそれに言及すると、筒井は照れくさそうに鼻を掻いた。卒業を期にと、某地元企業のサッカーチームからの誘いがあった筒井。
しかしそれを喜ばしく思いながらも、『スポーツ指導者になりたい』という夢のため、まずは堅実に大学へ進学することを選択したのだった。
「へへへ、もしかして俺って、けっこういかしてる?」
「ああ、いかしてるよ。体格にも技術にも恵まれた、類稀なる逸材だと思う」
「沖に言われるとなんだか自信付くなぁー!だっはっは~」
「ご謙遜。俺は筒井がいかたら、今日までやってこれたんだよ」
「ええっ、うちのエースストライカーだったお前に言われるとなんだかなぁ… って、そっかぁ?そっかそっかぁ?だっはっは、やっぱり俺って、いかしてるよなー!」
沖は思わずクスリと笑った。
この男は入学して間もない頃からすでに大きななりをしいて、その割りにはいつも子供のようだったなと思い返す。今でもまったく、変わっていない。
今日まで、懸命にサッカー部を背負ってきた筒井。いつも自分の背後には、この豪快な笑い声があった。筒井の明るさと鉄壁のディフェンスに助けられ、どれだけ安心し、どれだけ思い切りよくプレーすることが出来たことか。
「沖は大学行ったらサッカーはやらないんだって?」
「多分な。希望の学部に入れたとして、そこで二足の草鞋を履く余裕はなさそうだよ」
「だよなぁ。でもお前ならきっと大丈夫さ!スーパードクター目指して頑張れよお」
「ありがとう。筒井も頑…」
「ドクター…ドクターかぁ…王子ドクター?ドクタープリンス…?くそぅ、またモテんだろうなちくしょう…」
沖スマイルの半面に引きつりが走る。
しかし筒井という男は憎めない。憎めないし愛玩すら感じる。
誰から見ても体育会系の人となりをしているが、どこか愛らしげな筒井。そんな筒井が柵に顔を乗せたまま沖を見上げる。そしてつぶらな瞳で問う。
「なあ、沖~」
「うん?」
「どうして俺はモテないんだ?」
「…」
答えの見つからない質問と友の思案顔を、沖は笑顔で濁した。そして思いを馳せる…
彼と一緒に過ごしたこの三年間、辛い時もあったが本当に楽しかった。躍動にも満ち、実に充実していた。
(お前を嫌いなやつなんていないよ…)
共に重ねた時間とかけがえのない戦友に敬愛を込め、沖は、(ひきつりながらも)再び微笑んだ。