diary20 ここにいる
一足お先に新年を迎えます
「温彩ー、温彩ー」
階段を上がってくる音がする。夢では…ないみたいだ。
「あーつーさぁ」
ノック代わりの呼号が、いつものあたしの休日の目覚まし時計。そして間もなくして部屋のドアは開け放たれる。どぉ~ん…
「明けまして、お・め・で・と・う!温彩~」
そうか、今日は元旦なんだと、夢うつつに思う。重い瞼を無理矢理開けると、ぼんやりと天井の映った視界に叔母が割り込んできた。恵比須顔に顔を向ける。
「叔母ちゃんおはよ…じゃなかった明けましておめでとう…」
半目で新年の挨拶を返す。それからもそもそと叔母の方に体を向けた。
「ねぇねぇ?ほら…じゃじゃ~ん!どお?いい感じ?」
嬉しそうに言うと、ひらりと前に躍り出た。そしてくるりと一回転。
「ん…??」
ニットワンピースを着てポーズを決めている。それを刮目しなおし、あたしは思わず驚嘆した。
「うっそ…信じられない」
着ていたワンピースはあたしのものだった。叔母はそれをミラクルフィットさせて嬉々としている。
「すごい、に…似合ってる…」
「でしょ~う?大人が着るとこうなるのよ!逆にいい感じ、みたいな?」
「うん、みたいな…」
永遠に歳をとらなさそうな叔母がうふふと得意気に笑った。今日も一段とご機嫌なご様子。
しかし次の瞬間、あることを思い出した。
突然起こされたこととアダルトなワンピースの着こなしに気を取られてすっかり頭から抜け落ちていたけれど、今日この部屋には……
即座に、足元でこんもりとなって動かない布団山脈に視線を向けた。
でも、遅かった。僅差で叔母は、鎮座する山脈にひらりと手をかけたとこだった。
「起きてるんでしょぉー、ケーンちゃーん?!」
獲物を追い込んだハンターのような冷笑を浮かべ、一気に布団を剥がしにかかった。
しかし、それを予測していたらしいケンゴは、「侵入されてなるものか」と、すでに門扉を‘ロック’済み。
どうやらケンゴの方が一歩上手をいっていたようだ。
叔母の空襲に、抜かりのない自衛をみせている。どんなに引っ張ろうが、頭の先から下には布団は動かない。
「ちょっとぉ、新年の挨拶くらいしてよぅ、ケーンーちゃぁん」
「ちょっとやだ叔母ちゃん、やめてよ」
「いいじゃなぁい、挨拶くらいしたってぇ」
‘くらい’などと言いながら野暮な叔母サト子は、何が何でも天の岩戸を開こうと躍起になっている。
ケンゴは潜ったまま、やまぬ空襲に耐え続けている様子だ。いくら何でもこれはちょっと気の毒…
「やり過ぎだってば…お願いだからそれくらいにしてあげて。まだ夜も明けてないんだよ」
「そりゃそうよぉ。ご来光参拝デートのために早起きしてるんですものぉ」
「だったらこんなことしてていいの?時間は平気なの?」
「ええ、あ、あそうそう。今何時かしら…?」
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
ナイスタイミング。叔母ちゃんの彼、アオキの哲也さんが迎えに来たようだ。
「あ、はぁーい、今いきまぁーす」
天下る神の来訪って感じ。叔母は岩戸の開口を諦め、「ケンちゃんの寝起き見てみたかったな~」などと言いながら階段を下りていった。
完全にセクハラだな、と思った。この後フォローするあたしの身にもなってほしい。
あたしは布団に引っ込みながら、恐る恐る警報の解除を告げる。
「もう平気だよ。ゴメンねケンゴ…大丈夫?」
ケンゴは防空壕に潜ったまま、くぐもった声で答えた。
「アル程度ノ予測ハシテタ」
機械のような発声音から、不機嫌具合が十二分に分かった。
昨日の大晦日。あたし達はサッカー部で、選手権大会の観戦に千葉まで出向いた。
引退した三年生も含めて結構な人数が集まり、監督の飯田先生の引率の元ゾロゾロと足を運んだ。
そしてその帰りのこと。お店の食材の残りを片すのを手伝ってもらいたいからってことで、うちでの晩御飯にケンゴを誘ったのだけれど…
あれよあれよとサト叔母ちゃんに絡め取られ、食後に強引に風呂をすすめられ、気付いた時には貸し付けられた部屋着を着てコタツに座らされていたケンゴ。
そうやって、瞬く間に一泊する運びとなったのだ。
「なんかすっかり目が覚めた…」
やっと布団から顔を出したケンゴがボソリと呟いた。左手で頭を支えて横向きになると、はぐった布団を脇に挟んで不機嫌そうな顔をした。
去年の福袋に入っていた微妙なトレーナーを着せられている様が可笑しい。襟ぐりが窮屈で、袖も短い。
あたしは笑いそうになったのがバレないように目の下まで布団に潜り、一段下で寝転がっているケンゴを見下ろした。
それにしてもこんなにすぐに、再び共に朝を迎えるとは、思ってもみなかった。
さすがに今日は何事もなく一泊しただけに過ぎないけれど、やっぱり、高校生の立場でちょっと自由すぎるよなぁ…なんて自己反省もしてみたり。
サト叔母ちゃんはオープンというか砕けてるというか、うるさく言わないを通り越して逆に焚きつけてくる始末。
本当ならこんなこと…もしもお父さんが生きてたとしたら、何て言われるだろう。
物思いから気を取り戻し、ケンゴに話しかけようとした。話しかけようとして不意に言葉を飲み込んだ。
不機嫌そうにしかめていた顔に静寂が燈り、取り巻く空気がどこか、研ぎ澄まされてる。
そして見るともなく壁を見ている。そんなに広くもない部屋の壁をじっと。いや、壁よりも視線はもっと、ずっと向こうだ。
ふと昨日観戦した大会のことを思い起こしているんだろうなと思った。
あたしは、昨日のケンゴを思い出した。
みながそれぞれの目で全国の舞台で戦う代表校の試合を見る。それぞれの想いで見る。そしてケンゴも。
ケンゴは一言も言葉を発することなく、目の前のシーンに食い入っていた。鋭い視線で眼前のピッチを見やる…
しかし、見ている先が分からなくなるほど、深深たる視線は遥か彼方を突き刺しているようだった。
少し離れたところから、その横顔に思いを馳せた。
あなたのその視線の先には、今、何が見えてるの――
再び、眠気が襲ってきた。
「ね、もう少し眠よう…」
あたしは叔母の点けっ放した電気を再び消すと再び目を瞑った。
しばらく経ってから、「そっち行っていいか」とケンゴが呟いた。
「どうぞ…」
いつだってあたしは、ケンゴのそばにいる。
いつも、ここに、いるからね――