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diary17 サト叔母ちゃんの恋

午後からの雨で部活が早めに終わった日。

帰宅して二階の部屋に上がったあたしを、一階の店先の方から呼ぶ声がした。

「温彩~帰ったのぉ?今ちょっと平気かしらぁ?」

サト叔母ちゃんだ。開店時間にはまだ少し早い時間だったけど、もうすでにお店に出ているみたいだ。

「は~い、なあに~」

まだ着替えていなかったけど、あたしは荷物だけ置いて制服のまま下におりた。


階段を下りて居間の横を過ぎ廊下をつきあたったところに、店の厨房へと繋がる勝手口がある。

「今日は随分早いんだね、叔母ちゃん」

そこにかかっているのれんを割ってくぐり、自分用のサンダルをつっかけて厨房へと降り立った。


「おかえり温彩」

声のする方を見ると、サト叔母ちゃんは客席に腰をかけていた。カウンターを挟んだ向こう側に顔が見える。

「ただいま…」

返事をするあたしを見てサト叔母ちゃんはニッコリと笑った。と…その横にもう一つの影が。

そちらに目をやると、叔母ちゃんの隣には見知らぬ男性が座っていた。

「…?ええと…いらっしゃい、ませ…?」

開店前の見慣れない面相に、あたしは戸惑いながら挨拶をした。

その人は温厚そうな目元を細めて会釈を返してきた。

「どうも、お邪魔しています」


きさくそうな優しい面差しの男性だった。20代後半から30代前半くらいの、うちのお客さんにしては若い年齢層の人。

「やだあ温彩、不思議そうな顔しちゃって。彼のこと、あなたも知ってるはずよ?」

「え?知ってる…?」

しまった、誰だったろう。

冷やりとして肩が持ち上がった。お店のお客さんであれば大体の顔ぶれは分かるつもりでいたけど、カウンターに座っている姿を見ても、どの顔とも重ならない。

「ええと…」

頭をフル回転させるあたしを見ながら、叔母ちゃんはクスクスと笑っている。そんな様子に、男の人の方はちょっと困っていた。

「ハハ…分からないよきっと。普段僕、帽子被ってるし。それに知ってるって言っても、そう度々顔を合わせているわけじゃないから」

「そうなん…ですか?」

「うん」

「言っちゃダメよ、哲也くん」

テツヤくん…??それこそ覚えのない名前。でも叔母ちゃんはまだ、ナゾナゾの続きをご所望だ。

ええと、帽子、帽子、…言われてみれば見たことがあるような気もするけど。

カウンター上の時計がチクチクと、考えるあたしを急かすように鳴っている。

「う~ん…」

「まだ分からない?彼…青木さんよ。ア・オ・キ・さん」

「青木さん…??」

余計に混乱した。誰だろう。青木テツヤさんなんて名前の知り合い…いない。

「ご…ごめんなさい」

降参したあたしを見て、サト叔母ちゃんは「青木さん」の肩にもたれかかりながら笑った。


その後、自身による自己紹介によって「青木さん」の正体は判明。

青木さんとは、なんと近隣商店街の八百屋の『青果のアオキ』の‘青木さん’だった。

行きつけの八百屋の二代目、若店主のお兄さんだ。

「あああ!」

「思い出したかしら?いつも良くしてくれる、『アオキ』の哲也くんよぉ」

「本当だ…、すみませんあたし…思い出せなくて」

「いやいや。いつもは作業着に帽子だから無理はないよ」


青木哲也さん。叔母ちゃん曰く、ちょっと地味めの小出恵介。歳は31だそうだ。

店先で聞く売り声や動きはともかく、顔をじっと見たことがなかったからピンとこなかった。

そうだ、店頭での身のこなしが機敏なのが印象に残っている。


しかしそのアオキのお兄さん…哲也さんが、今日は一体どうして店に…?配達?

そんなことを思っていた時、サト叔母ちゃんが満を持してと言わんばかりに椅子を引いた。

意味あり気な表情を作り、咳払いの変わりに髪をさっと肩に払う。

「実はね、温彩…」

「う、うん」

そして…

「実は私たち菅波サト子と青木哲也は、正真正銘の大真面目な、‘真剣交際’をしたいと考えているのでーす」

そう言うと叔母は、イエイとピースサインを作ってあたしに突き出した。


当然、まずは驚く。

「ほ…ホント、に?」

あたしは叔母よりも、哲也さんに尋ねていた。満面の笑みの叔母の横で哲也さんは微苦笑を浮かべている。「ちょっとサトさん…」と叔母を諭しながら、恥ずかしそうに、しかし満更でもなさそうに叔母をなだめている。

「実はそうなんだ。ごめんね急に、しかもこんな形で驚かせちゃって」

「いえ…それは別に。でも…本当なんだ」

「やだぁ、私あなたにウソなんか言ったことないでしょぉ~」

「それはそうだけど」


サト叔母ちゃんと、『八百屋のアオキ』さんが、真剣交際――。

…そう言えばこの頃日曜の度に早くから出かけてたなぁと、今になって思い至る。

しかしゆくゆく聞けば、叔母ちゃんが哲也さんにお熱というよりは、哲也さんの方がもう長い間、サト叔母ちゃんにご執心だったんだそうだ。


しばらく2人の初々しい(?)やり取りと、叔母ちゃんによる馴れ初め話しなどが続いた。

端から見ている感じでは、6つの歳の差が逆転したかのようなカップリングで、37歳の叔母ちゃんが楽しそうに話すのを31際の哲也さんが見守っている感じだった。



つい今年の秋口まで、サト叔母ちゃんはKコーポレーション社長の‘片岡さん’と付き合いをしていた。

Kコーポレーションは、サト叔母ちゃんが独身の頃に勤めていた会社でもあったのだけれど、叔父と結婚するために退職をした。しかし結婚して間もなくして叔父が他界。叔母は夫婦で営むはずだった店と一緒にポツリと取り残され、何のノウハウもない身一つで途方にくれていた。

そんな折、ひょんなきっかけで失意の叔母と遭遇し、‘善意’で手を貸したのが片岡社長だった。

そして片岡氏の善意は、見る間に好意に変わっていった。


叔母には不思議な魅力がある。魔性というよりは純真な少女のようであって、それでいて色香もあり、また聖母のように温かい。あの気位の高い大物社長が何故?と言う人もいたらしいけれど、片岡社長もそんな叔母に魅せられてしまったうちの一人だった。

叔母も、叔父への愛情が薄れたわけではなかったのだけれど、叔父の残した店をたたまずにやってこれたのも、片岡社長の善意のおかげだった。

いつしか叔母の恩も情へと傾き、しばらくの間を経て片岡社長からの申し出を受け入れた。

前妻を亡くしている片岡氏だったけど、あくまで‘恋人’として幾年かを過ごしたのだ。

でも、片岡の息子、晃が起こした事件にあたしやケンゴが巻き込まれ―――

それが白日の下にさらされた日、驚くことにサト叔母ちゃんは、きっぱりと片岡社長と縁を切ったのだった。


そのサト叔母ちゃんが今日、歳下の八百屋の哲也さんとの新しい恋を宣言した。

あたしとしても勿論嬉しい。相手がこの哲也さんなら余計に。だって見るからに純愛という感じがして、なんだか心が温まる。


「ねぇ温彩。哲也くんも昔、サッカーやってたんだって」

「へぇ~、そうなんですか」

「って言っても中学までだけどね。温彩ちゃんは学校でサッカー部のマネージャーやってるんだってね。選手権予選の準決勝まで残ったK高だろう?すごいね」

「いえ、そんな」

「そうそう哲也くん。最近温彩にね、そのサッカー部の彼ができたんだけどぉ、その彼がと~っても…」

「んもぉ!サト叔母ちゃん~」


しばらく雑談が続いた。

饒舌なサト叔母ちゃんと、はにかみ屋の哲也さん。この2人はこれからどんな時間を紡いでゆくのだろう――


「あっ、そうだ温彩。クリスマスはお店、お休みしまぁす」

「えっ…」

「だからあなたもケンちゃんとラブラブでアツアツなクリスマスを…」

「んもぉぉ~~~!叔母ちゃーん!!」


哲也さんが眉を下げている。

自分よりも数倍も落ち着いた年下のこの人に寄りかかって、叔母ちゃんが笑っている。

あたしの顔からも思わず笑みがこぼれる。

天真爛漫なサト叔母ちゃんの新しい恋。

ずっと苦労してきたサト叔母ちゃんだから、今年のクリスマスはとびきりハッピーに過ごしてほしい。


お店の開店時間が迫った。

「じゃあ今度は、クリスマスの日に」

「ええ、クリスマスに」

2人は子供みたいな約束の言葉を交わし、席を立った。

そして哲也さんは帰っていった。雨に濡れるからと心配する叔母の手にそっと傘を戻して、優しい笑顔を置き土産に、雨の中を走りぬけて。

思わずあたしはそんな2人の姿にキュンとなった。

(よかったね…サト叔母ちゃん。ステキな恋をしてね)

クリスマスの日にはこの雨を雪に変えて、2人の幸せに花を添えてあげたいものだ。


哲也さんの後姿が消えた商店街の方から、イルミネーションの輝きとクリスマスソングが微かに届く。

日の暮れたこの時期の商店街はとても華やかだ。

「さてさて、うちも看板点けなきゃね」

「ん、そうだね」

あたし達は店内に戻った。


「あの…叔母ちゃん…?」

「なあに~?」

「お店が始まる前に…」

「始まる前に?」

「その…ちょっと電話してきてもい~い…?」


あたしは無性に、ケンゴの声が聞きたくなっていた。

振り返ったサト叔母ちゃんはクスリと笑い、「どうぞ」と言って少女の微笑みを見せた。



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