‐K’s side‐ 「賢悟の憂鬱な一日」
ちょっとブレイクSS。
‐K’s side‐とは、賢悟くん目線のお話です。
練習に明け暮れていた11月の上旬。賢悟は17の誕生日を迎えていた。
決勝リーグの真っ只中だったし、毎年のことながら特に気にも留めていなかったのだが、
「試合も終わったし、あらためて手料理でお祝いさせてほしいの――」
温彩にそう言われ、断る理由もなく了承した。
温彩の叔母の営む小料理屋は毎週日曜が定休日だ。それを見計らって店を借り、広い厨房で腕を振いたいと言う。
いちいちタンジョービを祝ってもらうような趣向など持ち得ていない賢悟だったが、温彩の気持ちは普通に嬉しかったし、昼飯にありつけるのなら悪くないと思った。
翌、日曜日。
日中は叔母が留守だからということで、そいつはさぞ安穏無事に過ごせるだろうと、賢悟は気軽に足を向けた。
が…
店の引き戸を開けた途端、おもちゃ箱でもひっくり返したかのような情景に思わず目を眩ませた。
「ハッピ~バースデー!賢悟~~~!!!」
クラッカーが鳴り響く…
(な、なんじゃこりゃ…)
変な被り物やキンキラ帽を頭につけた‘見知った顔’がひしめき合っている。それに、店内のあちらこちらからヒラヒラとした紙がぶら下がり、まるで幼稚園のお遊戯会さながらの様相を呈している。
おまけに誰だ?正体も分からないほど顔中にペイントをしているやつは…
(正気の沙汰じゃねェ…ニューヨークのカウントダウンかよ)
賢悟はその場に立ち尽くした。
しかしそんな賢悟に構うことなく、狂気じみたコールとクラッカーの破裂音は増すばかり。
開かずの押入れを開き、布団や衣類が一気に雪崩れ落ちてきたかのような気分に陥った。驚きと焦りと困惑が一緒くたに襲いかかる…
――ガラガラ、パタン。
取り合えず引き戸を閉めてみた。
これでリセットにならないだろうか。見なかったことには…ならないだろうか?
賢悟は頭髪に五指を差し込むと、頭の重みを支えるようにして髪をむしった。
溜息とも呻きともいえるような嘆息が漏れる。
店に背中を向け頭を抱えていると、衝撃と同時に後ろから錘がのしかかってきた。
「うおーい賢悟ちゃぁ~~ん、何やってんの!さあさあ中に入って入ってぇ~」
90キロ近いバーベルだった。そんな巨体で懐かないでほしい。それに、いくらなんでも全体重かけるな…重い…
賢悟は身じろぎながら声を絞り出した。
「つ、筒井さん…なんなんスか、これ」
「何って、お前の『バースデーパーティー』に決まってんだろ!?」
ガハハと高笑いする筒井に肩を掴まれ、くるりと体の向きを変られる。
「ば…ばーすで~って…」
「ほらほら、パーティーパーティー!早く、入って入って!」
続けて、大きな手のひらでぐいぐいと押された。
「ちょっ、…マジかよ」
ダメだ、人の話し聞かねェ上に、変な勢いと重量に歯がたたねェ。
賢悟は完全にマワシを取られた。そして心身ともに土俵際に追い込まれ、とうとう店の中に押し込まれてしまった。
「わーい、賢悟先ぱぁ~~~い!」
店の入り口をくぐると、今度は腹にタックルがきた。
「お誕生日おめでとうございまぁ~す」
(でた…なんでこいつまでいんだよ……)
最初の難関は一年マネージャーのハナだった。
100年分くらいの疲労感が一気に押し寄せた。歳をとるなら今年分だけで充分だ…
しかし、賢悟の長い一日は始まったばかり。ハナは賢悟の胴に巻きつくと、いつかのようにくっ付いて取れなくなってしまった。
「コラ、こびりつくな、離れろガム女…!」
「にゅーん、ハナちゃんガムで~す」
やっぱりアホなのか…?
返しも‘宇宙はなはだしい’が、軟体動物のような動きのハナに防御も攻撃も出来ない。
誰か…NASAに、連絡してくれ。
困窮を極めていると、ペイント顔が脇に回って来てひょいとガムをつまみあげた。
「お前はぁ…座ってろぉぉぉ~~」
「いやぁ~ん」
「いや~ん言うな!」
MIBならぬ、MIGの登場に助けられた。
どうでもいいけど…顔面が緑色のお前、…お前は大山だったのか。苦笑いすら出ない賢悟。
それに…若干もう一名いる。緑の大山に対して、あの赤い方。
賢悟は店内を彩る奇妙な‘もう一色’に目をやった。ありゃ一体誰なんだ…
「クス…あっちは、一年生の三崎くんだよ」
口に出していないのに、瑞樹が説明した。そう言えばいたなそんなヤツ…補欠の三崎か。って、あんたまでいんのかよ藤沢マネ……
もはやここはビックリハウスだ。見世物小屋だ。安穏無事とは程遠い事態…
この狭いところでこの面子の大集結を見るだけでも鬱陶しいのに、それに加えこの惨状、この騒ぎ。
もーダメだ。疲れた。朝と晩に20㎞のランニングに出かけた方がよっぽどマシだ。
賢悟は珍無類な休日にすっかり滅入ってしまい、ガックリとうな垂れた。
「随分憔悴してるな」
壁際の席から話しかけられた。沖だった。こんな状況下にもかかわらず笑みを蓄え、頬杖を突いて悠然と静座している。
頭の上の妙なトンガリ帽子も、沖が被ると何故だか‘さま’になっている気がする。
「つか、沖さん…」
「なに?」
薔薇を背負い王子スマイルを投じてきた。嫌味なまでの余裕の笑みが、嫌味じゃないのが嫌味な男だ。
「つ~か沖さんまで何やってんスか」
「何って、上代の『お誕生会』だろ?」
そう言って小首を傾げ、今度は笑いを堪えた。
「ど~考えても嫌がらせだろこれ…」
「クスクスクス… ああごめん」
「……」
ム、ムカつくな…、くそ…
賢悟の仏頂面にランクがあるとしたら、きっと現在の顔はSSクラス。
最上級にへの字を描いた口と上がった双方の肩。隆々と続く大連山の稜線のように、賢悟のいたる箇所は吊り上っている。
とにかく。
とにかくオレは、こんなこと、一言も聞いてねェ。
「ケンゴ」
厨房の中から声がした。
温彩がカウンターから顔を覗かせた。部活でもないのに、髪をポニーテールにまとめている。
「いらっしゃい…」
そう言って、暢気な顔でにっこりと笑った。
「おい聞いてねェぞ」
「うん、えへへ」
温彩は頷くかわりに首をすくめると、少し気まずそうに笑った。
「勘弁してくれ。めちゃくちゃ疲れんだろ~が…」
「ん、ごめん…」
今度は舌を出しながら、やっぱり笑った。
目を細めると、より長く見える温彩のまつ毛――。
「あのね、思いがけず変なことになっちゃって。実は……」
温彩は賢悟を見上げ、楽しそうに話しはじめた。
「い~よ、もう。今さらどうしようもねェだろ…」
賢悟はプイと横壁を睨んだ。
温彩が笑う―――。
光そのもののような純美な笑みで、見ているものを優しく包む。
温彩の笑顔は、何故だろう、不思議だ。硝子越しに見る、余所の世界の光彩みたいだ。
目の前にあるはずなのに、幻のような気がして思わず掴みたくなる。
無意識に手を、伸ばしてしまいそうになる…
だから賢悟は、いつも温彩から目を逸らす。
それに今日、温彩は『エプロン』を着けている。
だからちょっと、なんというか、目を逸らすというよりもむしろ、目のやり場に困ったりもしている。
取り分け変な意味ではない。
「ね、そんな怖い顔しないでよ?」
「し、してねえよ別に。悪人面で悪かったな」
賢悟がそう言うと、温彩はまた笑った。
温かさを宿しているような、光彩を放つような、天使みたいな面差しで――
視線の落ち着き場所をテーブルの料理に定めた賢悟は、お皿を受け取ると、ひたすら飲食に向かうことにした。
彩とりどりのサラダに、三色三種類のパスタ。他にも、揚げ物にオードブルに洋風仕立ての煮込み料理…etc
賢悟はいの一番にクリームパスタを皿に盛り、無言で頬張った。
チーズの香りと一緒に、ほんのりと甘い風味が広がる。家庭で作るパスタにしてはかなりの出来栄えだと思った。
そう言えば色んなパスタ、研究してるって言ってたな…
「ね、どう?」
「うん」
「うん…??」
「ん。んまいよ」
「ホント…?おいしい?」
「うん。普通に」
「ホン、ん…?普通に…??」
温彩はうーんと頭を捻っていた。賢悟のつけた感想はいまいち分かり辛かったようだ。
賢悟はそんな様子に、内心で小さく笑った。
(うまいよ。パスタもその他も、フツーに全部、超うまい―――)
その後ろでは、大人しくて気の弱そうな三崎の、‘エアギター’が始まったところだった。
主役もパーティーのお題目も、結局のところは必要ないらしい。皆それぞれに、勝手に楽しんでいる。
今度は筒井が脱ぎ始めた。自慢のポーズを取るつもりなのだろう。
まったく、揃いも揃ってうるさいやつらだ。うるさいし疲れるしムカつく。
本当、ムカつく。
ムカつくけど、でも……賢悟は彼らのことを嫌いではない。
でもやっぱムカつくから、この料理、全部食ってやろうか―――
一皿残らず、オレが全部食ってやろうか―――
その時、耳元で温彩の声がした。いつの間にか横に立ち、飲み物の注がれたグラスを差し出しながら囁くように言った。
「ねえ。今度また、2人だけで、お祝いしよっか?」
同時に、さらりとポニーテールの先が肩から滑り、微かな花の香りが鼻腔をくすぐった。
「………」
何も、答えられない。
やめろ。
今は口の中がパスタでいっぱいだ。
パスタがいっぱいで、のどに詰まりそうだ。
だからやめろ。
今は、いっぱいで、答えられない…
「ケンゴ、ハッピーバースデー」
「ゴフ… ぉ、おぅ…」
賢悟の憂鬱な一日――――
おしまい