★ Crossing
「なに?今度は何だよ」
賢悟はポケットに入れっぱなしだった診察券を取り出し、くずかごに放ってから温彩に視線を戻した。
「携帯……昨日あたし電話したんだよ?」
「そうなのか。携帯携帯…どこだっけ」
面倒くさそうな顔で辺りを見回した。床に転がっている携帯を見つけるとそこまで移動し、辿り着いた先でディスプレイを開いた。
「あれ、電源入ってねェし」
賢悟は画面を覗き込みながら、ベッドを次の背もたれにして再び胡坐をかいた。
「つか、充電切れか…」
またやっちまったかというような顔をして、悪びれもせずに肩をすくめて見せた。
あっけらかんとした賢悟の表情に、温彩はなんとなく傷ついた。そのシンプルさが、今は少し腹立たしい。
温彩は俯き、声をしぼり出した。
「携帯…いつも使うわけじゃなくても、一応電源はONにしてて欲しい…」
色んなものに隔たれ、それぞれの環境に阻まれ、時間いっぱいサッカーに追われる毎日。そんな中、携帯電話の存在は温彩にとっての‘支え’だ。
すれ違いの多かった今までのことを思うと、ダイレクトに言葉を交わすことの出来るアイテムをどれだけ心強く思ったかしれない。賢悟がそばにいてくれているようで、どれだけ安心したかしれない。
いつでも繋がるんだと思うだけで救われたし、‘絆’のようにも感じていたから、かけがえのないものだったから…
「電源一つでプッツリ絶たれてしまうなんてやだよ」
温彩は引き下がらなかった。
賢悟はヒョイと顔を上げて温彩を見ると、少し憮然とした。
「なんだよ、自爆スイッチじゃあるめェし」
そう言うと、充電もせずにラックの上に携帯をポイと置いた。
(あ……)
カタン…という硬質な音が、温彩の胸を圧迫した。
「立派な…自爆スイッチだよ……」
携帯を置いた賢悟は、引き続き立ち上がってブルゾンを脱いだ。
「やけに大袈裟だな。悪かったってば」
そう言いながらパイプハンガーの衣類の山に新たな岳を築いた。何でもないことだが、話しながら別の動作をとる賢悟に、温彩は突き放されたような気持ちになった。
「風邪が悪化してるんじゃないかって心配したし…不安にもなったんだから。すごく凹んだし…」
「でた」
しかめっ面の賢悟が振り返った。
「またかよ」
そう言いながら、立ったまま温彩を見下ろした。
(……!)
一瞬、その顔が妙に冷たく、怖いほど大人びて見えた。
(やだ…)
急速に孤独な気分に陥り、暗闇に追い込まれた。
(いやだ…)
また、賢悟が遠く感じた。
「いやだよ…」
「あ?何が?」
拒絶されるのなんてイヤ…
「いや…」
「いやって何が?」
どうしてこんなに、離れて感じるのだろう…
「やだよ…」
「イヤイヤばっか言ってても意味分かんねェだろ」
賢悟は溜息を吐いた。
「ガキかお前は」
(……!!)
いつもと変わらない賢悟の軽口が、今日の温彩にはとどめになった。
鋭く胸が痛んだ。
「…、…」大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うわ、…なんだよ、泣くことか?!」
慌てる賢悟に、温彩は憤りをぶつけた。立ち上がり、両の手で賢悟のシャツを掴む。
「ケンゴの大バカ…!!」
「はぁ!?」
涙と一緒に呼吸が震えた。こみ上げ沸きあがる思いに身を任せ、温彩は賢悟の胸元をグイと押した。
「ちょ…充電切れなら悪かったっつってんだろ?」
「そうじゃないよ…!あたし、すごく悩んで…… なのに…」
「待てって、興奮すんな」
「どうせガキよ、ガキの言うことなんて分かんないんでしょ…!」
「んなこと言ってねェって、分かったからちょっと…」
「分かってないよ!!今日だって…、かなり勇気を出して… ここまで……」
涙に濡れ、声が声にならなくなると温彩は、増す歯痒さのままに賢悟に強くあたった。
最めはうろたえていた賢悟も、常軌を逸している温彩の様子に、次第に口をつぐんだ。
賢悟は、激高と共にぐいぐいと押してくる温彩に抵抗するのをやめた。
肩を支えながらじわじわと後退してゆき、壁際まで行き着くと、背中からドスンという音がして後退は止まった。
「悪かった…」
「……」
温彩の涙は、止め処もなく落ち続ける…
温彩が何も言わないと、賢悟もそのまま黙っていた。