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★ BLUE,ON THE BLUE~

「よう菅マネ、おつかれ~」

「お疲れ様。珍しいね、迎くんが教官室にいるなんて」

教官室の奥の部屋はバックヤード的な部屋になっていて、支給前の新しい用具や、試合用のユニフォームなどが置かれてある。監督の管理下にあるそこに入るには、許可が必要だ。

迎はそこから、青いシャツの入った袋を持って出てきたところだった。

「あれ?それユニフォームだよね?昨日の帰りに配り終えてるはずだけど、どうかしたの?」

問いかける温彩に、迎は大仰に眉をひそめてみせた。

「それがさぁ、橘のヤツ間違えて俺に9番渡してんの。大山の分だけきっちり確認してさ、俺と賢悟の分はあべこべになってんだもんな~」

そのおかげで、せっかく持ち帰ったユニフォームをまた持ってくるはめになったと愚痴っている。

「賢悟に俺の方が渡る前に気付いたのは良かったんだけど…」

よく見ると、迎の手元にはシャツの入った袋が二つあった。眉をひそめたまま溜息を一つ挟む。

「それがさぁ…監督ひどいんだって。賢悟のユニフォームは自分が自宅に届けるからって言ってたくせに、今日になって急に俺に持ってけって言い出すの。『取り違いついでだ、よろしく頼む』とか言っちゃって~」


昨日部活を休んだ賢悟には、まだユニフォームが渡っていない。

迎の言うように、飯田は確かにそう言っていた。賢悟の様子見ついでにユニフォームを渡しに行くつもりだったのだろう。しかしそれをあっさりキャンセルしたということは、賢悟は想像してるよりずっと元気なのかもしれない…

「良かった」

温彩からつい安堵の言葉が漏れた。すると「良くないっての!」という声が返ってきた。


鍵を返却し終えた温彩は、迎と一緒に教官室を出た。迎の嘆き節を聞きながら、別館校舎の冷やりとした廊下を歩く。

「なあ菅マネ…今日賢悟んちに行ったりしないの?」

「え?ケンゴの家…?」

「うん。できればさ…ていうか、行くんならこれ、ついでに届けてくれると嬉しいんだけどな~」

嘆き節が猫なで声に変わった。

(あたしが、ケンゴの家に…?)

突然で、温彩は思わず言葉を詰まらせてしまった。


「予定になかった?でもさ、今日時間も早いことだし、寄ればいいじゃん。なっ?」

「え、いや…、えっと」

「約束なくたってかまわないだろ?‘橘の尻拭い’も兼ねてってことで… な?頼むよ。この通り、お願いします!」

合唱ポーズで温彩を拝む迎。そして合わせた手の横からチラリと片目を覗かせ、温彩の答えを待っている。

「何か用事でもあんの?」

「用事なんか、ないよ」

「なに、ケンかでもした?」

「ケンカなんてしたことない…」

迎は怪訝な顔になるとお願いポーズを解いた。

「どうかした…?」


「あたし、ケンゴの家…まだ行ったことないの」

口に出すと、温彩は何故だか急に空虚な気持ちになった。空虚な気持ちが言葉と合体し、ズンと腹の上に落ちてきた。


温彩の予想外の言葉に、「え…そうなの?」と返した後は、迎の勢い迫る懇願も途切れた。

2人は言葉すくなに校舎を下り、そのまま一緒に校門を出た。

温彩の口数が減ったことを気にしてか、迎は何度も温彩をチラチラと見ていた。


学校の外壁を越えて歩道に覆いかぶさる木々。若緑だった銀杏の葉も深秋の装いへと色を移し始めている。

迎は相変わらず温彩を気にしながら、足の先で落ち葉を弾きながら歩いていた。俯きながら温彩は、そのリズムに耳を傾ける。カサ、カサ、カサ、という一定の間隔。聞き馴染みのあるリズムだ。

足元にあるものは何でも転がしながら、賢悟もいつもそうやって歩く。河原で場所を移動する時も、足先でボールを小さく蹴りながらザッ、ザッ、ザッ、というリズムでゆっくり歩む。

他のみんなも同じなんだなと、温彩は迎の繰り出す音の横でそんなことをぼんやりと考えた。


「ねぇ迎くん」

「うん?」

「迎くん、彼女はいないの?」

「いるよ」

迎は賢悟と同じメーカーの色違いのスポーツバッグを下げていた。今日は違う色のバッグを挟み、違う声質の、張りのある声が温彩へと返る。

「中学ん時からの彼女で、高校は別なんだけど、ずっと付き合ってる」

「へぇ、そうなんだ。じゃあもう長いんだね」

「うん、続いてるねぇ。付き合い始めたのが卒業式の日だったから、正直大丈夫かなって思ってたんだけど」


迎のプライベートな話しを耳にするのは初めてだった。

それもそうだ。賢悟は普段から言葉が少ない。友達の話しはもとより、自分のことすら聞かれたこと以外はあまり話さない。

それに、少ない少ない情報をかき集めるための手段も、電源一つで遮られる。

温彩は何となく、うら悲しい気持ちになった。


「…彼女とはしょっちゅう会ってるの?」

「忙しいとき以外は会ってるよ。試合も毎回見に来てるし。そうだ…わかる?いつも制服で来てる2人組みの、髪の長い方」

「あ、わかる。迎くんの彼女だったんだ。すごく大人っぽいよね」

「えへへ、中学ン時はめっちゃガキっぽかったんだけどね~」

大人っぽいと言われ、否定しなかった。

温彩は、迎の見せた照れくさそうなその表情を、そんな表情にさせることのできる迎の彼女を、とてつもなく羨ましいなと思った。


「ねぇ、ヘンなこと、聞いてもいい?」

「ヘンなこと?」

「ん~、やっぱやめとく」

「なにそれ。気持ち悪いから中断すんのやめてくれよ」

「え…うん、その…えとね。…あたしもその、ちゃんと大人になってるのかなぁと思って…」

「そりゃあなってるだろ、俺らも来年はいよいよ最終学年だし」

「んん、ていうかそうじゃなくてその…見た目?とか…なんていうか…女の子としてというか。あ、あたし陽に焼けてたりするし、こう、その…色々と自信がないって言うか…」

温彩は自分が何を言っているのか分からなくなりそうだった。

「色気がないのかもって…」

みるみるうちに、顔が紅潮していった。


最初は何のことやら分からなかった迎だったが、温彩の顔色の変調ぶりで察しが着いた。

一呼吸置いてから小さく笑うと、静かに前に向き直り、手元の袋を温彩の方に突き出した。

「ほらこれ」

「え… な、なに?」

「だからほら…」

パタパタとせかすように、袋で温彩を突付く。

「ほらほら、しっかりと両手で持って」

「え…、ちょっ…」

迎は立ち止まると、突き出したユニフォームを強引に温彩受け取らせた。


「ようするに、その先は賢悟に聞けばってこと」

「え、ええっ!?」

事の成り行きに戸惑う温彩。

そんな温彩に構うことなく迎は続けた。

「いいからさ、とにかく今から行ってくれば?住所は分かるんだろ?」

「わ、分かるには…分かるけど…」


陽気な迎は、手ぶらになった両の手を頭の上にのせた。そして再び前を向くと、ゆっくりと歩き出した。

「思うに、俺に質問したところで、菅波のその問題の解決にはならないんじゃない?」

「も、問題だなんて…」

「いいよいいよ色々言わなくて。そんなことよりもそれ持って行って来いよ。モヤモヤがあるんだったら一緒に届けてくればいんじゃない?ブルーな気持ちをブルーのユニフォームに乗せて~…ってさ!」

迎の付けた何かのタイトルのような言葉が、温彩の内心にじわりじわりと揺さぶりを掛けてくる。

温彩は痛む部分を、最近の自分を、振り返った。


‘ブルーな気持ち’…

賢悟を見て目を伏せてしまう、切ない気持ち――?

大人びてゆく賢悟にも、募る想いにも、全然追いつけていない自信のない自分――?


確かに…今のままじゃいけない気もするけど……


「早い方がいいぞ、だらだらしてるとペース乱れるから。これ、俺らのオフェンスパターンに同じ」

迎は足元の葉っぱを素早く横に弾き飛ばした。

「そ、そうかな…?そうするべきかな…」

「うん、べきだぞ? それにさぁ、自信ないなんてありえないって。サッカー部のヤツラの彼女ってみんな菅波と自分の彼氏との間を心配すんだぜ?」

「ええっ…そんなの困るよ」

「困るのはこっちだって!うちもご多分に漏れずだったんだからな~。ちゃんとしっかりまとまってくれよ?」

「ま…まとまるって」

「アイツ、あんな顔して意外に受身だったりするからさ。待ってたりしてな?菅波が来るの」

「ちょっと、あんまり調子の良いことばかり言わないで…」

「いやいや、そんなもんなんだって。男って!」

まるで仲人みたいな口ぶりの迎は、白い歯を見せながら、悪戯っぽく笑った。


ブルーな気持ちをブルーのユニフォームに乗せて…迎らしい言葉だな、と温彩は思った。

(BLUE,ON THE BLUE… か)

賢悟の家へ。あの河原の橋を越えた国道向こうの町へ。温彩はこの‘一歩’を踏み出せるのか。


「よろしく頼んだぞい菅マネ! 実は今日彼女と会う約束してたんだ」

そう言いながら、迎は前に走り出た。

「あいつんち、ヒョーンとした白いマンションだから、すぐに分かるよ」

名言と一緒に地図まで言い残し、振り返りながら右手の親指をビシッと突き立てる。

親身なんだか自己都合なんだかよく分からない迎に、温彩はとうとう根負けした。

「んも~…強引だなぁ」

ケンゴより彼女に会った方が、明日の試合でいい結果を残せるってわけね?と問い詰めるように言ったつもりの言葉に、「ご名答~!」という、限りなく明るい返答が帰ってきた。

迎は手を振りながら、駅の方へ続く角を軽快に曲がっていった。

「もう少し、易しいパス出してよね…」

手渡された青い道しるべを、指先に少し力を入れて持ち直す。


迎が去った後の歩道には、乾いた秋風に煽られた落ち葉が円を描いていた。

後方から吹く風は温彩の髪をすくい、それと同時に背中を押して、静かに流れて行った。



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