★ 利歩と賢悟
「ん…?あれ?」
「なに、どしたのよ利歩?」
「いや、ちょっと見覚えのある後頭部が、棚の向こうを横切った気がしてさ。しかも女連れ」
「ふうん。昔の男かなんか?」
「昔…?」
そう言うと、艶やかな黒髪をした利歩と呼ばれている女性は、フンと鼻を鳴らした。
「‘一生涯’、あたしのオトコよ」
「へ〜、あんたがそんなこと言うなんてね。面拝んでみたいわ」
店員とはまた別の装いの、日に焼けた2人組みの女が、スポーツ店の片隅でイベントの準備をしながら話しをしている。
サーフボードが陳列された棚から商品を下ろして検品し、冬向けにスノーボードの新作モデルを展示している最中だった。
一人は、引き締まった足にミニ丈のショートパンツとボアブーツを履いた、ウエーブヘアーの金髪ガール。
一人は、股上の浅いダメージジーンズをスラリと身につけ、その腰元から小麦色の肌を見え隠れさせている黒髪のワイルドガール。
2人とも、イベントの見出しと、自分の名前が入ったネームプレートを首からさげている。
「で?もちろんいい男なんでしょうね」
「当たり前。愚問すぎるわね」
一見派手に見える彼女たちだが、ギャルメイクを施した渋谷系などではなく、スタイルのよさが目立つハワイアンテイストのロコガール風といったところだ。
スポーティで常夏の風景が似合いそうな彼女たちは、清涼感のようなものを漂わせている。
その存在は、規則的な雰囲気のスポーツ店内の中においてパッと華やぐようでもあり、一際目立っていた。
「ねえ、ここの入れ替えって今日中に終わらせんでしょ。時間押してないの?」
「そう今日中よ。でも終業までにはまだまだ時間あるし、全然余裕っしょ」
「あそう。じゃ、ちょっとあたし店内捜索に出てくるわ」
「は?もしかして利歩、さっきの男探しに行くわけ?」
「そういうわけ。ついでに、先に昼休入らせてもらうわ」
「ちょっとあたしもお腹減ってんだからさぁ、さっさと戻ってきてよぉ」
「OK,小一時間程で戻る」
「長っ!ちょっと利歩〜、ヒマなわけじゃないんだかんね〜」
抗議の声を受け流すようにひらひらと手を振ると、利歩はしなやかにストレートヘアーを翻し、自分の持ち場から離れて行った。
颯爽と長い黒髪をなびかせて歩く姿とその姿勢のよさは、まるで雑誌モデルのようにも見える。
長身な上に長い手足、切れ長の目。そして天然石の入った大きなピアスが耳元で揺れる。
そんな彼女を、店内にいる多くの客が振り返った。
しかしそんな視線などものともせず、利歩は首にかかったネームプレートを外すと、ぐるりと辺りを見回した。
天井から吊るされた、案内板の番号をたどる。
「さてと… ‘サッカー用品売り場’は、…どこだっけ?」
その頃、賢悟と温彩は――
「おい… そのお揃いっての、やめてくんねェか…」
「え?あ、ダメ? ごめん。ちょっと、はしゃぎ過ぎちゃった?」
「いや、そういうわけじゃねェけど、林家ペーパーじゃねんだからよ」
「そ、そっか。…だよね」
温彩が握って離さなかった、鮮やかなピンク色のスポーツタオル。
まさか自分の分まであると思っていなかった賢悟は、レジに並ぼうとする温彩を慌てて止めたところだった。
「結構ピンク使ってる部員くん多いし、いいかなと思って、つい…」
「オレは無理だ…林家ピンクは」
「お、落ち着かない…か。確かにケンゴには向いてない、かな…」
「へこむな。気持ちはありがてェよ。代わりにこのチビタオルの方、お前にやっから」
賢悟は黒とベージュのナイキのフェイスタオルを手にしていた。
それとセットになっている、同デザインのハンドタオル。
色は、赤とベージュ。
その色違いの小さなタオルを、賢悟は温彩にやる約束をした。
「これでペーは勘弁してくれ」
「は〜い。わかりましたぁ」
2人はこみ上げる笑いを殺しつつ、清算を済ませた。
「ねえケンゴ。あっちにアンダーシャツ系、いっぱいあるよ。あそこ見てなかったね」
「そういや去年のやつボロボロ」
「じゃぁちょっと行ってみようよ」
温彩はふわりと賢悟の腕をとった。
さすがは大型店のリニューアルセールだ。
始まったばかりなのもあり、ワゴンに積まれた特売品の中にも選りすぐりの品が揃っている。
しかもワゴン周辺はさほど混雑もしておらず、2人はゆったりと並んでシャツの山を臨んだ。
「ね。あたしが見てもいい?」
「おぅ。いいけど林家はナシだぞ」
「わかってますっ。ぷくくく…」
「お前今想像してんだろ」
「何をっ?プクククク…もうやだっ」
「オレの方がやだっつの」
「ちょっと笑わせないでよぉ。それよりもケンゴ、サイズはL?それともLL?」
「規格自体がでけェし、Lでい……」
何の気なしに顔を上げた時、ワンブロック先の陳列棚の柱の横から放たれる、何かの「気」にあてられた。
そして、腕組みをし、仁王立ちでこちらを見ている女性と目が合った。
(う、うそだろ…)
一瞬、妖術にでもかけられたかのように賢悟は凍りついた。
そして全身の毛が逆立ったんじゃないかと思うほどの悪寒に襲われた。
「やべェ…」
「え?どしたの?」
「やべえ、『利歩』だ……」
「リホ??何?どこっ?」
温彩は、目を見開いた賢悟の視線の先を辿った。
するとそこには、明らかにこちらに眼をくれている女性が立っていた。
かなりの美人だ。
黒木メイサにも引けをとらない、堂々たるクールビューティ…
「何でこんなとこにいんだよ…」
「誰?知り合いの人?」
「おい…逃げるぞっ」
「えっ??」
「い〜から逃げるぞっ」
「わっ、えっ…!」
賢悟は温彩の手を掴むと、隣の商品棚の通路に突っ込んだ。
そしてウエアーの並ぶ長いジグザグコーナーを一気に突っ切る。
「何…??ケンゴ、ちょっと…!」
「説明は後だ、走れっ」
すると後ろから、女性の声がしてきた。
「ちょっと待ちなさい賢悟っ!!」
(待つわけね〜だろ…)
賢悟は商品の袋と温彩を引っ掴み、店の外に走り出た。
そのまま次の街角を目指すと、赤になる前のスレスレの信号を渡りきった。