第七話
「すみません、突然連れ出してしまって」
ティアナを人気のないテラスに連れ出した少年は、突然謝ってきた。テラスは外に位置しており、少年の銀色の髪と純金の瞳が闇を背景に輝いている。
ティアナは極めて心を落ち着かせて、それに対応した。
「いいえ、お陰で助かりました。ありがとうございます」
素直に感謝の気持ちを述べ、一礼をしたティアナを、少年は笑顔で見つめていた。
「初めて見る顔ですね。社交界デビューは最近なのですか?」
「……いいえ、違いますが……」
(やはりこの人も、私が王女だということに気づいていないようね。
……もしかして、ドレスと化粧を変えたからかしら?)
漸くそのことに思い至ったティアナは、しかし、それを否定した。
(……そんな筈がないわよね。確かに印象は変わったかもしれないけれど、顔も体も同じままなのよ?)
でもそれ以外に理由が見つからなくて心の中で唸っていると、少年が不思議そうな顔をして言った。
「そうなのですか? では……貴女のお名前は?」
『可哀想なお姫様、貴女のお名前は?』
―――ふいに前の時間軸での出来事がフラッシュバックして、ティアナは瞠目した。衝撃が奔る。
(そう、だわ……私は―――この人と、会ったことが、ある)
かつて、かの大帝国を乗っ取ろうと画作して失敗し、処刑台に送られた男。
かつて、まだ人生を諦めきれなかった我儘なままのティアナと共闘を企てた男。
昔に昏い過去があり、それ故に大帝国に牙を剥いたその男は、処刑直前のティアナにとって偶に思い出し涙する程度の存在であった。
(でも、その程度。その程度よ)
ティアナはとある理由故に感情を心の底に押しやり、淑女の微笑みを浮かべた。
「私の名はティアナ・アルテネ・フォン・ベルティーユ。この国の第一王女です」
その言葉に、少年が目を見開く。まるで信じられないものを見たような顔をした。それはきっと、ティアナの容姿とその態度が噂とはあまりにも違ったからだろう。
しかしティアナはそれを気にせずに、口元に弧を描いた。
(……使える。今も同じ欲望を持っているのだとしたら、このお方は私の復讐に使えるわ)
ふっと笑みを零し、ティアナはゆっくりと口を開いた。
「ところで――今夜の舞踏会は、他国のから御来席は無しではなかったのですか? 第四皇子様?」
少年の顔が更に驚愕の色に染まった。まさか、身元を暴かれるとは思ってもみなかったのだろう。しかも、我儘王女として知られているティアナに。
少年は暫くその表情のまま固まっていたが――突然、腹を抱えて笑い出した。
「……くっ、はは、あはははははははっ!」
(この笑い方……懐かしいわね)
突然態度を豹変させて可笑しく笑う少年を見て、自分が共闘を共にしたあの男が今ここにいるのだと実感し、ティアナは感慨深い感情を抱いた。
「ベルティーユの第一王女は頭が沸いていると聞いていたが、それは真実ではなかったのか?」
「さぁ、それはどうでしょうか」
はぐらかすティアナを見て、少年が興味深そうに目を細めた。
「王女はご存知かもしれないが、一応自己紹介をしよう。
僕は大陸一の権力を誇るアーネリア大帝国の第四皇子、シエル・ロット・フォン・アーネリアだ」
(僕……ね)
少年――シエルは大胆に見えてその実非常に慎重な男だ。
ティアナは前の時間軸での長い付き合いから、一人称が「僕」であると疑いを持たれているか信用されていないかのどちらかであることを知っていた。
息を吸って呼吸を整え、まず確実にシエルの心を留めるべく、ティアナは口を開いた。
「第四皇子様、私には、幾人もの大切な人がいます」
突然の切り出しにシエルは少し驚いたようだったが、黙ってその続きを促した。
「彼らは我儘でどうしようもなかった私に寄り添い、たくさんの愛を注いでくれた、優しく善良な人達です。しかし、私はその愛に甘えるどころか、その恩を仇で返すという行いを繰り返してきました。
そして、その結果――その人達は全員、とある人間達により罪もなく殺されてしまいました」
「っ!?」
シエルが目を見開く。ティアナはそんな彼を見据えてこう告げた。
「――私にも非はあります。しかし、今頃はのうのうと生きているであろうその人間達が憎くて憎くて憎くてしょうがなくて、いつかこの手で心を引き裂いて壊して殺めたいという感情ばかりが私を蝕んでいるのです。
………幸い、神様の恩恵により、私はそれの機会を得ることができました。残念ながら、詳しいことはお話しできませんが――」
憎悪と闇に満ちた瞳で、シエルを射抜く。
「第四皇子様。私と共に、憎き人を壊しませんか?」
数秒間驚きの顔をしていたシエルの口元が、ゆっくりと弧を描いた。
「王女は、俺のことをどこまで知っているんだ?」
(やっと、言ってくれた)
ティアナは乾いた唇を舐めて、妖しげに微笑む。
「さぁ?」
「……ははっ、面白い」
シエルはそう言うと、ティアナに手を差し出した。
「分かった。その盟、乗ろう」
ティアナはしめた、と思いつつも、その手を取る。
「宜しくお願いします、第四皇子様」
「ああ、こちらこそ。……ところで、その口調はやめないか?」
「第四皇子様に、崩し言葉を利けと?」
「ああ、そうだ。それと、俺のことはシエルと呼べ。俺もお前のことをティアナと呼ぶから」
(そういえば、こういう人だったわね……)
ティアナは躊躇いつつも、意を決して彼を呼んだ。
「分かったわ、シエル」
シエルは満足げに微笑む。
「ところで、ここは人気がないとはいえ、人目がないわけではない。詳しい話はまた今度にしようか」
「そうね。時間も程良く過ぎたことだし、私はもう行くわ」
ティアナはゆっくりと歩き出した。そして、たった今思い出したように口を開く。
「あ、あともう一つ、お願いがあるの」
「なんだ?」
ティアナは目の前にいる懐かしの人――大切な人のうちの一人であるはずの彼との日々を思い出して、ほんの少し、瞳を悲しげに揺らした。
「…………いつの日か、全てが終わったその時は――」
ティアナはすれ違いさまに、シエルの耳元でそっと囁いた。
「貴方の手で、私を殺して」
「ティアナ様、どこにいらっしゃっていたのですか!?」
ティアナが会場に戻ってエイミーを探していると、給仕をしていたエイミーがこちらに駆け寄ってきた。その額には汗が滲んでいる。恐らく、会場内に姿が見えなかったティアナのことを探して回っていたのだろう。
「ごめんなさい、エイミー。少し迷ってしまって」
エイミーはティアナがシエルに連れ去られるところを見てはいなかったようだ。ティアナがそう言うと、エイミーは持っていた銀のトレーを近くに置いて給仕用の白いエプロンを外した。その琥珀色の双眸は、周囲の貴族達に隈無く向けられている。
「ティアナ様、もう帰りましょう。ここは危険です」
「危険……? でも、まだ私が出席しているということは伝わっていないし……」
「そんなことを言っている場合ではありません。卑しい獣達からご主人様をお守りするのも、メイドの役割です」
「?」
普段ティアナに盾突くことのないエイミーが強く言い返してきて、ティアナは目を瞬かせた。
「取り敢えず、今日は帰りますよ、ティアナ様」
さぁ、と出口の扉の方へと背を押され、ティアナは不思議に思いながらもそれに従った。――王座の方から飛んでくる、鋭い視線に気づかずに。