第六話
ティアナとエイミーを乗せた馬車がノーヴァリオ宮殿に着いた。エイミーは初めて乗った王家専用の馬車の乗り心地に心なしか気分が上がり、心ここにあらずという状態で地面に降り立ち、一方でティアナは表情をほんの少し緩めて宮殿を見上げていた。
「おい、あの麗しいお方は一体どなただ? 王家の馬車から出てきたということは王族か?」
「いいや、私生児という可能性を除けば、ベルティーユ王国の王族は俺らが知る限りしかいない筈だ」
「もしや、王太子殿下の寵愛を受けている方では?」
「そんなまさか、殿下には婚約者がいるんだぞ」
馬車を呼んだ時から御者などの様子がおかしいことに微塵も気づいていないティアナは、エイミーが胸を張って誇らしげな顔をしているのを見て首を傾げた。
「エイミー、どうかしたの?」
「いいえ、特になにもございませんよ。それよりティアナ様、お時間もありますので会場に急ぎましょう」
「え、ええ」
急かされているような気もしたが、その理由が見当たらないので気のせいだと思い、ティアナは足を進めた。
給仕の手伝いをするエイミーと途中で分かれ、ティアナは豪奢な扉の前で立ち止まった。
ノーヴァリオ宮殿に来るのは本当に久しぶりだった。前の時間軸でも人生で五回程度しか訪れたことのないこの場所は、カロリーヌの死後はとある侯爵家に引き取られたからだ。
懐かしい扉の装飾を気に留めながらも、ティアナは自分を見てほんのりと顔を赤く染めていた王家直属の近衛騎士隊員に声を掛ける。
「少し遅れてしまったのだけど、今からでも大丈夫かしら?」
しかし騎士はそれには答えず、ぼーっとティアナの方を見つめて小さく呟いた。
「なんと可愛らしい御令嬢だ……」
「……??」
(……聞き間違い、かしら?)
ティアナはお世辞ということはあっても、これまで一度も‘‘可愛い‘‘などと言われたことはなかった。その原因は性格にあるのだが、ティアナ本人はそれに加えて自分があまり可愛くないからだと思っていた。
前の時間軸で好き放題していた頃のティアナは権力を持っていれば大抵のことが成せると考えていて、自分の見た目のことなど微塵も思考したことがなかったのだ。
ティアナは‘‘美しい‘‘よりも‘‘可愛い‘‘寄りの容姿をしているのだが、本人はそんなことにも気が付かずに、大きく背伸びをして派手に装っていた。
まるで人形のような整いすぎた顔立ちも、すらりとした華奢な体型も、‘‘平凡より少し上‘‘という認識に仮定していたのである。
だから、けばけばした衣装や化粧で着飾らずに素を生かせば、性格を含め王国一の美少女だと言われている妹のフローラよりも遥かに勝るのだということを、ティアナは知らなかった。
ティアナの様子を見た騎士が、その場の雰囲気を変えようと慌てて咳をする。
「こ、こほん。……お名前を、どうぞ」
「え?」
今までは顔を見せただけで通してくれていた近衛騎士が名前を尋ねてきて、ティアナ様は不思議そうに彼の顔を見つめた。すると、騎士は顔を真っ赤にして狼狽える。しかしティアナはそれを気にせず、じっと騎士のことを見た。
(この方、いつも会場前で護衛をしている騎士よね? もう数十回は確実に顔を合わせている筈だけど……。それになんだか、周りの様子も少し変だったような気もするわ)
その違和感を拭いきれないまま、ティアナは騎士から顔を遠ざけて口を開く。
「私の名前はティアナ・アル――」
「お、王女殿下ぁっ!?」
ティアナの言葉を遮って、騎士が大袈裟に驚いた。その様子にティアナは目を丸くした。その間にも騎士はその場で跪き許しを請う。
「お、おおおお王女殿下、い、命だけはお助けをっ!!」
「そ、そんなことをしなくても、命を取るつもりなんてないわ」
ティアナも少し慌てて、騎士を立ち上がらせようとする。騎士の肩を掴むと、ビクッと体が跳ねた。
「あっ、ご、ごめんなさい」
申し訳なさそうに目を伏せると、騎士が目を大きく見開いた。
「あ、あの王女殿下が、謝った……? しかも俺に……?」
ティアナに聞こえない程度の小さい声で呆然と呟く。すると、ティアナはどう対応すべきか分からずに騎士に尋ねた。
「それで……今からの参加は可能かしら?」
「あっ、はいっっ!! 大丈夫、大丈夫です!!!」
騎士は勢いよく立ち上がって扉を開けようとして、ふと手を止めた。
「あ、あの、ファンファーレは鳴らさなくても宜しいのですか……?」
「ファンファーレ……? ……あぁ」
ティアナは今までの自分の行いを思い出して呆れた気分になった。
毎度の舞踏会の入場で、ティアナが派手な演出を装う為にファンファーレを用意させていたのは国中の貴族達誰もが周知の事実だった。
(今考えてみれば、私はなんて馬鹿なことをしていたのかしら……)
「鳴らさなくて大丈夫よ。それと、もう二度とそんなことはしないから、演出家の方は解雇しても結構だわ」
「えっ?」
「強制的に雇わされていたと聞いたの。だから早く辞めさせてあげて頂戴」
それは前の時間軸で知ったことだった。ティアナはその時はさほど気にすることはなかったのだが、今この瞬間に自分のせいで人生を潰されている人が多数いると考えるとなんだか心苦しい。それに、それが原因で恨まれて周りに危害が加わったらたまったものではないのだ。
「か、畏まりました」
動揺を隠せずにいた騎士だったが、彼は扉を急いで開けた。
「解雇の件に関しては、わ、私から演出家の方に言っておきますので……王女殿下は、舞踏会をお楽しみ下さい」
扉の向こう側では煌びやかな世界が広がっていた。その傍らで騎士が緊張したような顔をしている。ティアナは騎士を一瞥して苦笑した後、会場に向けて一歩踏み出した。
――刹那、一気に会場内の視線がティアナに集中する。ティアナは驚いて息を呑んだ。
(ど、どうして? 私が遅れたからかしら……?)
少し動揺したが、何事も無さげに装って視線から逃れるように壁に向かって歩く。先ほどの騎士もそうだったが、みんな我儘王女であるティアナの癇癪など買いたくないのは目に見えて分かっていた。だから誰もティアナに関わってこない筈である。つまり、周りと一定の距離を保ちながら、ティアナは安心して壁の花となることが出来るのだ。
(初めて自分が我儘でよかったと思ったわ……)
ティアナは壁側に着いた後、ふぅ、と息をついて立ち止まった。
そして辺りを見回して――思わず固まる。
まだ視線はこちらに集中しているどころか、数人の貴族達がこちらに歩み寄ってきていた。
(えっ!?)
ティアナはどうしていいのか分からずに目を瞬かせる。
すると、ふと遠く向かい側の席に座っていたジルベルト達が目に入った。彼らはティアナの存在に気づいているようで、特にロザーリオの反応が顕著だった。ロザーリオはしきりに「逃げろ!」と声を出さずに口を動かしている。
ティアナは思わず目を見張った。それはロザーリオの反応に驚いたからではなく、ロザーリオの周りに見覚えのある金色の光のような、靄のようなものがふわふわと浮かんでいたからだった。
(あれは……神聖力のオーラ? どうしてお兄様にそれが付いているの?)
もしや聖女の仕業ではないかと勘繰ったティアナはそれを凝視したが、あの時見たような膨大なものではなく、ほんのりと光る薄いものだったので、違う人間が掛けたものであると分かった。取り敢えずは安心し、ほっと息をつく。
(あれが誰の神聖力なのかを知りたいけれど……今はそれどころじゃないわよね)
ティアナはちらりと距離を詰める貴族達を見やって、一旦思考を遮り、取り敢えず壁から離れることにした。
女性の貴族数人はティアナの様子を見てその場で足を止めたが、男性の方は諦めることがなく、執拗にティアナを追ってくる。そして遂に、そのうちに一人がティアナの肩を叩いた。
「あの、すみません、そこのお嬢さん」
「な、なんでしょうか?」
(もしかして、私が王女だって気づいていない……?)
そういえば、さっきの騎士も……とティアナが思ったところで、男性が更に距離を詰めた。
「どこの家の御令嬢ですか?」
「え? そ、それは……」
「もし宜しければ、今度私の家に――」
「すみません、僕の連れが迷惑をお掛けしてしまって」
――突然、後ろから声を掛けられて、ティアナは思わず振り返った。
そこにはティアナと同い年くらいの見知らぬ少年がいて、笑みを絶やさずに男性の方を向いていた。
「つ、連れ?」
男性の方もティアナ同様困惑しているようだった。
「はい。なのでここで失礼いたします。ほら、行くよ」
物知り顔で手を引いてくる少年にティアナはついていくのかを迷った。
しかし、このままここにいてもどうにもならないことを感じ、手を引かれることにする。
座ったまま呆然としているロザーリオの様子に気が付かずに、ティアナはその少年と共に会場を後にした。