第五話
「そういえばティアナ様、私に手伝ってほしいこととは何でしょうか?」
それを聞いてティアナは思わず顔を上げた。
それはエイミーをジェネットから遠ざけるために作った口実なので、実は手伝ってほしいことなど何一つない。
ティアナは嘘だと言うのを少し躊躇いながら口を開いた。
「実は、それは嘘で――」
「もしや、今夜の舞踏会に向けての準備ですか?」
「舞踏会?」
ティアナは思わず聞き返した。
「はい。こちらのベルティーユ王宮殿ではなく、王妃様の別荘であるノーヴァリオ宮殿で舞踏会が開かれると今朝耳にしました。――ティアナ様はご存知なかったでしょうか?」
「い、いいえ、ご存知よ」
ご存知? とエイミーが首を傾げたので、ティアナは「……知っているわ。数日前にお父様から聞き及んでいるもの」と言い換えをした。その不可思議な言葉の通り、内心は焦りと驚きでいっぱいだった。
無論、舞踏会についてティアナは知らなかった。誰からも全く聞かされていなかった。
今日の朝食はいつも通り素っ気なく周りをあしらったし、昼食は自室で済ませたので、家族と話す機会がなかったからだろうか。それにしても、使用人を通して伝えてくれればよかったのに、とティアナは思った。
(日頃の態度が問題だったのかしら。あの調子では舞踏会に出られそうにないと判断したのかもしれないわ)
しかし、こう見えてもティアナは王家の端くれだ。王家主催の舞踏会に出席しないわけにはいかない。
父であるジルベルトに出席の許可を貰おうかと考えたところで、ふと足を止めた。
舞踏会に出席すれば、アレクシスと出会う可能性が高くなる。それにロザーリオやフローラ、カロリーヌと共に王室の人間として挨拶に立ち会わなければならないだろう。会場への登場も一緒だろうし、座る席も近い。出席はしない方が無難だと十分に判断できた。
突然足を止めたティアナを気に留めて、同じく足を止めたエイミーが尋ねた。
「ティアナ様、舞踏会は出席されるのですか?」
(どうするべきなの? 出席しなければそれはそれで問題になりそうだし、仮に出席してもメリットはほぼゼロ。デメリットしかないわ……)
ティアナが考える素振りを見せていると、エイミーはまるでその心を読んだかのように明るく言った。
「招待客は国内の貴族のみなのでディアランド王国の方はいらっしゃいませんよ。それにティアナ様が一度面会を拒否されたのですから、王太子殿下が舞踏会を通されることはありません」
「そう、なの……?」
「はい。具合が悪いと言って最初の方だけ出席するか、遅れて参加することも可能ですから、挨拶に立ち会う必要はありませんよ」
その言葉に安心して、ティアナは出席を決めた。
「エイミーは身支度の準備と、出席の旨を陛下に伝えておいてくれる?」
「!! はい、ティアナ様!」
少し驚いて、何故か物凄く嬉しそうに微笑むエイミーに不思議に思いながら、ティアナは思う。
(私の不安を察知してくれるだなんて、やっぱりエイミーは頼もしいわね)
前の時間軸でも、エイミーはティアナのことをこんなにも把握していたのだろうか。そう思うと、エイミーに対する申し訳なさとそれだけ自分のことを想ってくれることへの嬉しさが込み上げてきて、それを糧にティアナは気合を入れた。
(聖女に復讐をする為にも、他人から信頼を得ないといけないのよ、ティアナ。舞踏会に出席して私の性格の豹変ぶりをアピールするのもまた復讐の一つだわ。……そうだ、今まで気に入っていたドレスはやめて、露出が少ないパステル色のドレスを着ようかしら。化粧も変えなくちゃね)
これからの舞踏会について考えを巡らせながら、ティアナはふと思った。
(そういえば、あの女へ監視を付けるのだとしたら――暗殺者を雇った方がいいかしらね)
「お似合いですっ、ティアナ様!」
終始一人でティアナの身だしなみを豪奢に整え、疲れた様子を醸しながらも頬を上気させたエイミーが満面の笑みを見せた。
一方、それを鏡越しから見ていたティアナは――……数時間前と比べて、げっそりやつれていた。
(一体何時間掛かるのよ……)
今までティアナが我儘を連ねて数十分で終わらせていたドレスや髪の着付けに、七時間もの刻が掛かるとは一体誰が想像していただろうか。
これまでティアナの着付け等々舞踏会の準備の手伝いすら許されなかったエイミーに、「本当に、いいのですか?」とキラキラした瞳で再三聞かれ、何度も頷いた結果がこれである。
最初の二時間はエイミーが喜んでいるんだし、まぁいいか、などと思考していたが、ドレスを何十回も着せられて着せ替え人形と化した時は思わず顔が引き攣った。
おまけにいつもティアナが来ているような派手な色ばかり選ぶエイミーに「今日は控えめな色がいいの」と言うと「本当ですか!? 私もそちらの方がティアナ様に似合っていると思っていたんです!」と瞳に更なる光を宿し、やる気を倍増させたことが原因でドレスを着た回数は多分三桁を超えている。
その他の準備も同じような感じで、いつものゴテゴテな髪型と厚化粧を否定した時にはもうティアナの意識は半分持っていかれていた。
それでもなされるがままに体を動かしていたら、やっとエイミーの自信作が完成したらしい。
ティアナはゆっくりと立ち上がって、等身大の鏡に姿を映した。そして――驚愕のあまり目を見開く。
流石は平民にしてその地位を許された特級メイド。着付けも髪のセットも化粧もプロ並みの腕前だった。
……いや、今言いたいのはそこではない。
ティアナが驚いた理由は、自分のあまりにも豹変した姿だった。
桃色のプリンセスラインのドレスを身に纏い、ティアナの白い肌を生かして透明感を出した薄化粧に、ハーフアップにして緩く髪を下ろしたティアナはさながら天使のようだった。
ストックの花の簪を手で触れて確認しながら、ティアナはこれまでの身だしなみを恥じた。何事も豪華絢爛であればいいわけではないことを改めて学ぶ。
「あら、もうこんな時間だわ。急がないと……」
気が付けばもう王家の入場が完了し、舞踏会が賑わいに包まれる頃だった。
「申し訳ありません、ティアナ様。私のせいで遅くなってしまって……」
しゅんと項垂れるエイミーに、ティアナは微笑んで見せた。
「大丈夫よ」
(少し遅れすぎかもしれないけれど、これで挨拶に立ち会う羽目にはならなそうね。椅子に座らずに貴族達と立っていれば大丈夫かしら。
それに、もとはと言えばいつも準備を手伝わせなかった私がいけないのだし、仕様がないわよね。……七時間は少し、疲れたけれど)
「準備が整ったことだし、行きましょうか、エイミー」
「はい!」
ティアナを見てうっとりとしていたエイミーが気を引き締め、馬車を呼んでくると言って先に部屋を出た。
(やっぱり着飾れば気分も上がるのね。お兄様達のことは少々不安だけれど、舞踏会が楽しみだわ)
ロザーリオたちのことも視野に入れつつ、ティアナは久々の舞踏会に一人心を躍らせたのだった。