第四話
◇ ◇ ◇
アレクシスの突然の王宮訪問から、数ヶ月が経過した。
あの後ティアナは無事にアレクシスと会わずに済み……それからは日々を慎ましく過ごしていた。ここのところとても平和で、エイミーに関しても少しだけ余裕が出てきた。最近は二十四時間付き纏うなんてことはしていない。
ちなみにロザーリオやフローラ、王妃のカロリーヌとは一定の距離を取るようにしており、食卓は一緒でも、滅多に話はしない。
相手から声をかけてくることは数多あるが、ティアナがそれに対応することは極稀だ。
何度かジルベルトにその行いを正すように注意されたが、ティアナはそれを直そうとはしなかった。
――それが、ティアナにとってのけじめだった。
きっと今後、ティアナはたくさんの人間を手にかけることだろう。そんな中で家族と仲良くなって、情をかけられたら困る。それに――
ティアナは考えを一度振り切って、
(お兄様達と向き合うのはまた後の話……今はエイミーが問題だわ)
そう思い、気を取り直してエイミーの方を見つめた。
先ほどは少しだけ余裕が出てきただなんて言ってしまったが、それは本当に‘‘少しだけ‘‘の話だ。エイミーに命の危機が迫っていることに変わりはない。
まぁ、言ってしまえば危機が迫っているのはティアナの方なのだが、ティアナは自分のことはお構いなしにエイミーが死ぬ‘‘可能性‘‘に神経を尖らせていた。
最近のエイミーは心を入れ替えたティアナを大層大切に――前の時間軸でも十分大切にしていたのだが――しており、このままではエイミーがティアナを庇うのはほぼ確実だろう。
しかし、かと言ってティアナはエイミーに嫌われるようなことはしたくなかった。もう二度と、エイミーのことを傷つけたくはなかった。
最悪の場合、ティアナが復讐を遂げることが可能な範囲内で怪我をすればいいだろう。そうすればどちらの命も助かる。……相手が、どのような方法でティアナを殺しに来るかによるが。
「エイミー、どうかしたの?」
「あ、ジェネット様!」
その言葉を耳聡く聞きつけ、ティアナは思考を無理矢理遮って急いでエイミーの方を見やった。そして、もう一人のメイドの方を力強く睨みつける。その瞳には明らかな殺意が孕まれていた。
(ジェネット、あの女……っ!!!)
『ジェネット・ホーティン。没落した男爵家の元貴族令嬢で、現在は王宮の中級メイドとして仕事をこなしている宮属メイド。父親は借金取りに命を奪われ、母親は王都で売春婦をしていたきり行方不明』。宮にある雇用表に記載してあった情報だ。
――そして彼女は、壺に仕掛けを施して処刑されたメイドであり、ティアナが心から憎みに憎んでいる相手でもあった。
ジェネットが聖女にいい様に操られていたのは周知の上だ。それでも、ティアナにはジェネットが私怨も含めて自分の命を狙ったのではないのかという疑いが拭いきれなかった。
――そう考えるようになったのは、初めて拷問部屋へ足を踏み入れて、神聖力のオーラを感じた時からだった。
ティアナはふと、その時の出来事を思い出した。
エイミーが死んで、一か月が経ったある日のこと。
ティアナがジェネットに罵詈雑言をぶつけるべく、看守には出て行って貰って二人きりで対面した拷問部屋――表向きは尋問部屋だった――では、なんともいえない雰囲気が漂っていた。
ちなみにその看守には一度オーラのことを訴えたが、変なものを見るような目を向けられてスルーされてしまった。
本当ならばその看守を首にして貧民街に放り込みたかったが、エイミーを失って少々精神がやつれていたティアナは看守をそのまま見逃したのだった。
ティアナはそんな看守のことも苛立ちの原因に加えながらも、ジェネットに殺意を飛ばしていた………が、虚ろな目で何も物を言わずに手足を鎖で繋げられているジェネットの姿を見て、なんだか満足してしまっていた。
拷問部屋は異様に明るく目がチカチカして、何か食べ物が腐ったような臭いがした。ティアナは自分の命を狙った上にエイミーを殺した憎き相手と対面するべく、それを必死で我慢していたが……こんなに痛めつけられているのならもう満足、許せないのはこのオーラの正体である神聖力の持ち主――聖女であると思考していた。
だから、こんな不潔な場所から早く離れたくて、部屋に来て一分も経たずにくるりと踵を返したのだった。
―――しかし、ティアナが去ろうとしたまさにその時。
『あはははっ、本当に滑稽ね、お姫様』
『……は、?』
思わずティアナが振り返ると――無様な格好を晒したジェネットが、いつの間にか瞳を爛々と輝かせながら歪んだ口元で弧を描いていた。
『だって今までストレスの捌け口にしていた大切なメイドが死んじゃったのよ? しかも、自分を庇って。そのメイドが滑稽で仕方ないけれど、何より貴女が一番滑稽ね。たかがメイドが死んだだけで高飛車で我儘なおひめさまが自らここに来るくらい躍起になっちゃって、馬ッ鹿みたい。私の口から真実が漏れることはあり得ないのにね。あは、あははははははははははっ!!』
その狂った高笑いに、怒り半分恐怖半分でティアナはジェネットに思わず手をあげたが、頬に鋭い痛みを与えても彼女は気味の悪い笑みを湛えたままだった。
気持ち悪い。きもちわるい。キモチワルイ。
初めてそんな感情を抱いた。こんな生き物が自分のメイドを殺しただなんて考えると、本当に悍ましかった。
そのあとの尋問に立ち会って、ジェネットが必死に「自分がやった」「被害に遭ったメイドには申し訳ないと思っている」と要らない猫を被って訴えているのを見て、胸糞が悪くなり再び彼女を殴ったことは、今でも鮮明に覚えている。
ティアナは改めて今のジェネットの方を憎悪に満ちた目で見つめた。
朗らかな笑みを浮かべている姿と高笑いを叫ぶ姿がふいに重なって、一気に殺意が増幅する。
その歪んだ顔を叩き潰してやりたい。二度と口をきけないように喉を焼いてやりたい。エイミーに馴れ馴れしく触れるその手を害虫に食わせて腐らせてやりたい。腸をズタズタに切り裂いて殺してやりたい。
あの時の脆弱なビンタじゃ物足りない。あの時の生ぬるい折檻と、拷問と、首切りの慈悲深い処刑じゃ物足りない。
地の底を這いつくばるような、二度と立ち直れないような地獄を見せてやりたい。
ティアナはそんな自分の欲望を必死に押さえつけ、エイミーたちの方へと近づいた。
「エイミー、ちょっといい?」
「? なんでしょうか、ティアナ様」
エイミーが『ティアナ様』と呼んでいることに驚いたのか、ジェネットが目を見開く。
ティアナはそんな反応を気にも留めず、エイミーの手を引いた。
「手伝ってほしいことがあるの。一緒に来て頂戴」
「今すぐ、ですか?」
「ええ、そうよ」
エイミーが困ったように瞳を右往左往させると、ジェネットが言った。
「エイミー、大丈夫よ。ここの仕事は私がやっておくわ」
「あ、ありがとうございます!」
エイミーはジェネットに一礼をすると、ティアナとともに廊下を歩き始めた。
ティアナがそっとジェネットの方に視線を向けるが、彼女はもう黙々と仕事に移っていた。
(エイミーとは親しそうだし……やっぱり私怨があるとしたら私の方かしら?)
元々ティアナを殺す為の計画だったのだから、そちらの方が納得がいく。
………と、そう思った時、ティアナは違和感に気づいた。
(あら? そういえば……)
「エイミー」
「はい、なんでしょうか?」
「質問なのだけど、エイミーは特級メイドで、あの女……あのメイドは中級メイドなのに、何故あちらが言葉を崩してエイミーを呼び捨てにしているの? あのメイドは元男爵令嬢といえど所詮平民、メイドの地位を除いたとしてもエイミーと同じ位のはずよ」
すると、エイミーは静かに目を伏せた。
「ティアナ様、そうだとしてもジェネット様はれっきとした貴族の血を引いていらっしゃいます。それに比べ、私はただの一介の平民なのです。これが当たり前なのですよ」
「でも……」
不満を言おうとして、それからティアナはハッとした。
ティアナも同じだった。自分の専属メイドであるのにも関わらず、平民だからと言ってエイミーを露骨に嫌悪していた。
ティアナは項垂れて、エイミーと同じように目を伏せた。
「ごめんなさい、エイミー……」
エイミーはその言葉には答えず、小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ、ティアナ様」