第一話
◇ ◇ ◇
あの後ティアナは泣き疲れてその場で眠ってしまって、ティアナの兄――ロザーリオに抱かれてここまで運ばれてきたそうだ。
ティアナが目覚めた時にはもうロザーリオはいなかったが、エイミーによるとロザーリオはティアナをかなり心配していたらしい。
(あのお兄様が心配だなんて……あり得るのかしら?)
ロザーリオは、昔からティアナにだけ厳しく、そして意地悪い兄だった。だからティアナは皮肉や不満の一つでも言われるのかと思っていた。
まぁ、でも、今まで我儘三昧だった妹が突然泣き出したら心配もするかもしれない。主に頭の方を。
(もしかしたら、後で精神科のお医者様でも紹介されるかもしれないわね。……ふふっ、そっちの方が余程お兄様らしいわ)
本当に久しぶりに会ったロザーリオに想いを馳せながら、ティアナは口を開いた。
「エイミー、今日の食事は部屋に運ぶようにしてくれる?」
「? それは何故ですか?」
「少し具合が悪くて」
「……畏まりました。陛下方にもそう伝えておくように致します」
エイミーはその言葉が嘘であると見抜いたようで、理由を知りたがるように口をつぐんでいたが、少しすると頷いた。
ちなみに本当の理由は、普段一緒に食事をする家族達になるべく会いたくないからである。
(きっと、みんなに会うだけでまた泣いてしまうから……)
本当は、父親を除く全員がもうこの世を去ったはずの人間だ。
それに、ロザーリオと妹のフローラとは先ほど出会ったが、あと一人、会っていない人がいるのだ。
(お母様………)
元々病弱で、風邪をこじらせて死んでしまったティアナの母親。彼女の慈愛に満ちた微笑みを見ただけで、ティアナはきっともう涙を耐えられないだろう。
そこで、エイミーが静かに尋ねた。
「ティアナ様、今日は本当にどうされたのですか?」
疑わしげに、そして少し嬉しそうにエイミーが言う。ティアナはその様子に小さく笑った。
「今日はとっても機嫌がいいの。これも、神様のお陰ね」
すると、エイミーが複雑そうな表情をして俯く。
「……では、私を抱きしめてくれたのも神様のお陰ですか?」
ティアナはその言葉に数回目を瞬かせた。まさか、そんな質問をされるとは思わなかった。
少し考えた後、不安そうな表情をしているエイミーに、ティアナはにっこりと微笑んだ。
「それは、エイミーのお陰よ」
すると、途端にエイミーは嬉しそうに頬をほころばせた。
その様子を見るなり、ティアナの心に一気に後悔の念が押し寄せる。
(なんで私は、エイミーに優しくできなかったのかしら……)
エイミーはこんなにもティアナのことを想ってくれていたのだというのに、一回目でも、この時間軸の‘‘昨日‘‘でも、ティアナはエイミーに散々酷いことをしてきた。
(………これからは、絶対にそんなことはしないわ。そして、私の手で、エイミーを幸せにしてみせる)
その為に、自分がやるべきことは――――
ティアナは、エイミーに尋ねた。
「そういえば、エイミーは東の方で活動をしている‘‘聖女‘‘の噂を聞いたことがある?」
聖女。それは、一千年に一人しか現れないと言われる、莫大な神聖力を持った乙女のことである。
神聖力とは教会や神殿の神官が使うもので、主に傷を癒すことを目的で使われる。
しかし、聖女ほどの力となると、国に永遠の平和をもたらすことでさえ可能になるのである。
聖女が誕生すれば、きっと大陸上の国々が彼女を喉から手が出るほど欲しがることだろう。
普通、聖女は神に愛されし子なので心が清らかであると言われているが、ティアナの知る聖女はそのような女性ではなかった。
――――アレは、私利私欲の為に人の命を軽々と踏みにじるような女だ。
(あの女のせいで、みんなが死んだ。エイミーも……あの作られた事故のせいで……)
エイミーがティアナを庇って死んだあの事故。あれは事故ではなく、れっきとした事件だった。
―――それが分かったのは、エイミーが死んで少し経った後のこと。
一国の王女が死にかけたということで、あの事件は念入りに調査された。
その結果――壺に細工が仕掛けてあり、人がある程度近づくと落ちる仕組みになっていることが分かった。
王室の人間を対象とした殺人未遂ということで、更に調査が大規模なものとなり、専門家が調べに調べた結果、犯人が特定された。
その犯人は、王宮で勤めていた中級メイドで、彼女はすぐに逮捕された。そして、そんな高度な仕掛けをたかがメイドが出来るはずがないと、早急に彼女に対する尋問が始まった。
しかし、彼女は主犯の名前を口にしなかった。それどころか、「私が全部やった」と必死に自分の有罪を主張する始末。
エイミーを殺されて怒りが収まらなかったティアナは、一度だけその尋問に立ち会ったことがある。それのせいで、ティアナはその事件の全貌が嫌でも分かってしまった。
彼女は――話せなかったのだ。
聖女に、神聖力で口止めをされていたから。
でも、それはティアナにしか分からなかった。
今考えれば、ティアナには聖女の素質があったのだと思う。神聖力が普通の神官よりも多い王室の人間でさえも見えない神聖力のオーラがはっきりと見えていたのだから。
そして、そのオーラの強大さによって、ティアナは聖女が犯人であると確信した。
――しかし、メイドの首回りに金色の光が纏わりついている、あれはきっと聖女の仕業だ、と言っても、周りの大人は我儘王女の戯け言だと言って聞く耳を持たなかった。
だから、あの事件はメイドを処刑することによって闇に葬り去られてしまったのだった。
暫く考え込んでいたエイミーが口を開いた。
「ティアナ様、申し訳ございませんが、私は聖女様のことを耳にしたことはありません」
「そう……」
(じゃあ、まだなのね)
聖女が名声を広めるのは、もう少し先の事らしい。
ティアナはほっと息をついた。取り敢えず、まだ誰かが死ぬようなことはないだろう。
(聖女が来る前に……なにかやることはないかしら)
先手を打っておいて損はない。ティアナは思考を巡らせ、ふと一つのことを考え付いた。
(…………アレクシス様は、私から遠ざけた方がいいのかもしれないわね)
アレクシスとは、ティアナの婚約者のことである。一回目の人生で唯一死ななかった、ティアナの愛しの人。大国の王太子で、我儘なティアナに文句一つ言わない、聖人君主のような人だった。
アレクシスは優しい人だ。自分を愛していないとはいえ、婚約者を亡くして心に傷を負ったかもしれない。それに、ティアナを貶めるだけではこと足りず、ティアナが死んだあとに聖女の魔の手がアレクシスに届いたのだとしたら……思わずゾッとする。
もしアレクシスと聖女が結婚でもしたのなら、ティアナは耐えきれない。それほどに、彼女はアレクシスのことを心から愛していた。
(最善策は……やっぱり、婚約破棄よね)
アレクシスを傷つけたくない。アレクシスにも幸せになってほしい。
その為には、彼を遠ざけ、関わらないようにするのが一番だと思った。
(問題は、どうやって破棄するかだけど……)
チクチクと痛む胸に耐えながら、ティアナは最大の難関である国王陛下のことを思い浮かべた。
自身の利益を優先するべく、冤罪と分かっていながらも淡々と娘を処刑したあの父が、果たして婚約破棄を認めてくれるだろうか?
(………駄目元でやってみるしかないわね)
アレクシスの未来がかかっているのだ。仕方がない。
取り敢えずお父様に婚約破棄の交渉を持ちかけよう、と静かに決意を固めたティアナであった。