第三話
◇ ◇ ◇
そして紆余曲折の末、ティアナとフローラ、そしてアレクシスの聖アマ―リア学園への留学が決まった。
ダライアの国王は打診を受けた途端頭を低くして三人の来国の歓迎を示し、学園長や教員なども揃って歓喜の声を挙げているという。
それも当然だ。ベルティーユ王国はどの国から見ても大国であり、大陸中の国の中では三番目に権力を持っていると言われている上に、ディアランド王国も二番目と定められているのだから。
そんな国々の王族が、自分達の学園を認めてくれていると知って、彼らは感激したらしい。これも何かの縁だと言って、ダライア王国で有名な特産物の”コメ”を定期的に大量輸入すると言い切ったジルベルトに国王がもはや号泣していたのは今では有名な話である。
ちなみにこのコメ、実は今ベルティーユでは人気かつ非常に希少な食べ物として扱われていて、親切に見えて内では利益しか頭になかったジルベルトに、いかにも父らしい行動だとティアナは呆れ半分感心半分の心持ちだった。
また、同伴者にしようかと思っていたシエルには留学すると既に手紙で伝えてある。するとどうやら拗ねているらしく、次に届いた手紙には「何故俺を誘わなかった?」と何度も何度も綴られており、その幼稚な言葉に、ティアナはくすりと笑ってしまった。
エイミーが不在の間(つまり、シエルに手紙を届けている間)ティアナの世話をしてくれるリタというメイド曰く、「それって絶対相手は姫殿下様のことが好きですよ!!」だそうだ。
ちなみにこのメイド、天真爛漫で付き合い易い上に少しエイミーの面影が感じられるので、ティアナのお気に入りだったりする。最初は先輩からの嫌がらせで我儘王女の世話をさせられて涙目で平伏ばかりしていたが、ティアナと何回か会話をしてその誤解(厳密に言うと誤解ではないのだが……)が解けたらしい。今は自分から親しげに話しかけている時でさえ見受けられる。
またこのリタが流す噂のお陰で、段々と王宮のメイドや使用人達の間でティアナが「本当は凄くお優しくお綺麗なお方」だと思われるようになってきているのだが……それはまあ、今は置いておいて。
「ううっ……」
――そんなことはともかく、今ティアナが頭を悩ませていることがある。
それは――自分が壊滅的に、勉強が下手だったということだ。
ダライア王国には入学試験というものがあり、その試験によってクラス分けがされる。三人は一ヶ月後にそれを受けることになっていたのだが……ティアナはなんとなく嫌な予感を覚えて、試しに数年前の過去問を解いてみたのだ。
するとやはりその予感は正しく、自己採点の結果は、百点満点中四点だとか、十一点だとか、六点だとか、まあ、そんな赤点どころか退学になるのではないかという数字だったわけで……。
(……まずい、まずいわ……)
このままではティアナは大国の姫という立場故に留学を許されたとしても、一番下のクラスに入ることになる。
ベルティーユ王国に泥を塗るわけにはいかないし、王妃教育を受けているであろうエリーザは一番上のクラスにいるだろうから、ここで酷い点数をとってしまうのは非常に困る。
よってティアナは、特級メイドであり基本的になんでもこなすことができるエイミーに教えを乞おうとして……はたと、それが愚策であるということに気が付いた。
これでエイミーともっと親睦を深めてしまえば、命を落とす可能性が高まるのはエイミーだ。
ついこの前も身をもって実感したではないか。今度こそ、慎重に考えなければ。
そして、ティアナは思いついた。
(シエルなら、いいかもしれないわ)
シエルであれば、ティアナの代わりに死ぬこともないし、国に歯向かう時点で元々死ぬ気なのだから、親睦を深めても大丈夫だろう。
(だってシエルは――私との約束を破って、勝手に死んでしまったもの)
唯一の光を失い、壮絶な絶望を味わって遂に壊れてしまったティアナなど、露とも知らずに。
生憎、シエルは自分の『大切な人』に入っていない。あくまで彼は協力者だ。――否、協力者でなければいけないのだ。
(……もう、あんな裏切りに遭うのは懲り懲りよ)
ともかく、試験は一ヶ月後に迫っている。それまでになんとかしなければならないということで、ティアナはまずシエルにエイミー経由で手紙を送った。
前々からエイミーには手紙運びが辛くないのかと尋ねているが、寧ろ鬼ごっこをしているみたいで楽しいと言ってくれているので配達係はずっとエイミーが承っている。一時期はアースに頼もうかと思っていたが、エイミーが悲しそうな顔をするので諦めた。
とまあ、それで了承の返事が来て、そうしてシエルが住んでいる離宮へ向かったティアナであったが――予想以上に歓迎された。もの凄く喜ばれた。
シエルの頬が少し緩んでいるのを見て、ティアナは心底困惑した。
(…………こ、こんな方だったかしら?)
アレクシスの時と同様、ティアナは彼に疑問を抱く。
しかし時間がないことを思い出して、その疑問を無理矢理吹き飛ばし、ティアナは勉強に集中した。
シエルは教え方がとても上手く、もともと地頭が良いティアナは次々と知識を蓄えていった。
そんなこんなあって、数時間が経ったある時、シエルは突然言った。
「ティアナ」
「なに?」
「俺と婚約しないか?」
瞬間、ティアナは手に持っていた万年筆を落とした。
ころころと紙の上で転がる万年筆を傍目に、シエルは続ける。
「婚約すれば、俺も留学に行けるだろ?」
「……いいえ、行けないわ」
「じゃあ、勉強を教えた代わりに行かせてくれ」
ティアナは少し面食らって、思わず眉を顰めた。
「どうしてそんなに、一緒に行きたいの」
「だって、ティアナの元婚約者が一緒なんだろう?」
「……それは誰から?」
「アルファからだ」
はぁ、とティアナはため息をついた。
アルファはアースの仮名だ。前の時間軸でティアナがシエルと出会い別れた時まで、アースはシエルに本名を教えることはなかった。しかし、ティアナにはアースがこっそり教えてくれた。
その理由は、未だに分からないが。
「王太子殿下に会いたいのはどうして? 何か用事でも?」
「用事じゃないが――単なる好奇心だ。未成立で中途半端な婚約の真相を知りたくてな」
「成立――して、いない?」
「知らなかったのか?」
「知らなかったわ……」
おかしい。ベルティーユを足枷のように感じていたディアランドの国王が、婚約破棄を了承しないはずがないのに――。
「まあそれはともかく、成立していないとはいえ、解消は解消だ。だから、俺とティアナは婚約できるだろう?」
「……私と婚約したいっていうの?」
「ああ、そうだ。お前と婚約したら面白そうだからな。それに今後も何かと役に立つことになるだろうし」
「面白いっていうのは納得いかないわね」
「いや、これが凄く面白いんだ」
「どうして?」
「アルファが調べたんだ、お前のことを。そうしたら――何も出てこなかったんだってさ」
「――は?」
「あっさり分かったのは、周りのティアナに対する評価と、出自だけ。個人情報はさっぱり出てこない。まるで、誰かが隠蔽しているみたいだよな」
「誰かって、誰のこと?」
「そんなの俺も知らねぇよ。知ってたら興味なんて持たないし。
後――奇妙なことに、ティアナに一歩でも近づいた男は、全員なんらかの事故や事件で命を落としているそうだな」
「えっ?」
「……もしかして、初耳なのか?」
「勿論よ! そんなの初めて知ったわ!!」
「一人や二人くらい、耳に入れたことならあると思ったんだが……そうなのか。――ちなみに、そしてこれがティアナの元婚約者に会いたい二つ目の理由でもある」
(どうして、王太子殿下が?)
ティアナは不思議そうに首を傾げたが、ふと自分も尋ねたいことがあったことを思い出して、シエルに尋ねた。
「ねえシエル、貴方、エイミーと話した?」
「エイミー? ああ……ティアナの専属メイドのことか」
「ええ。そして彼女には、手紙の伝達係を頼んでいるわ」
「……アレが、メイドなのか?」
「どういうこと?」
「そのままの意味だ。……あの怪物みてぇな女が、本当にたかがメイドなのか?」
「そうだけど? ……というか、怪物って何? エイミーはとっても可愛らしいじゃないの」
「はあ……まあ、どうでもいいか」
「どうでもよくないわよ、もう……」
(シエルは分かってないわ。エイミーがどれだけ愛らしくて、優しくて、温かい人なのかを)
心底腹を立てつつも勉学に励み、数時間が経った。
すっかり夕暮れになり、シエルと別れようとしたその時――シエルがふと、口を開いた。
「――あと、もう一つ、ティアナと婚約したい理由があってさ」
「何?」
「ティアナといると、なんていうか……安心するんだよ。居心地がいいんだ」
「――……そう」
何故だか、寧ろそちらの方がよっぽど大事だという風に聞こえてしまって、ティアナはそっと目を伏せた。
(それは、私も同じよ)
心が折れそうな時、ティアナを傍で支えてくれたのは、いつもシエルだった。だからシエルが傍にいると、無性に安心するのだ。
「――でも、忘れないで頂戴ね? シエルには、私を殺す役割があるんだから。将来自分が殺す相手に、情も婚約も居心地もないでしょう」
「……分かってるよ、勿論。安心しろ、必ず俺がお前を殺してやる」
シエルと別れ離宮を出て、ティアナは馬車に乗り込もうと御者の手を取った。
すると、
「誰?」
「――――っ」
バッと慌てて振り向くと、そこには一人の青年が佇んでいた。容姿を見る限り、皇族ではなく、どこかの貴族だろう。
油断していた。シエルが住む離宮は皇宮や帝都とは程遠いし、前の時間軸で一度シエルに聞いたところによると、シエルは数人の信頼できる使用人と共に暮らしていたのだそうだから、他には誰もいないと確信していたのだ。
ティアナは一旦落ち着こうと深呼吸をし、そして目の前の男と向き合った。
「……私は、第四皇子様にお呼ばれされた者で御座います」
「本当に?」
「――え?」
「いや、あいつには恋人はおろか友人すらいないものだから、宮に招かれた人がいたなんて驚きでさ。しかもこんなに可愛い子を。
――んで、君、名前は?」
追及は逃れることができなさそうだ。ティアナは唇を噛んだ。
――だが、せめてもの悪足掻きとして、口を開く。
「……其方が先に名乗るのがマナーではなくて?」
「! ……ふふっ、面白いこと言うねぇ、君。
まあいいや。君のお望みとあれば応えさせていただくよ。僕の名前はイルス・フォン・リリエント。アーネリア帝国のリリエント公爵家、その嫡男さ」
ティアナはその聞き覚えのある名前に絶句した。
(う、そ……)
一生忘れることのないように、或いは否が応でも心に刻み込まれた、憎き者達の名前。
その中には、ティアナとしては納得のいかないことなのだが――シエルに関与している者の名も含まれていて。
そう、例えば、
シエルを殺した男の名だって、しっかり刻まれているのだ。
「わ、私は……ティアナ・アルテネ・フォン・ベルティーユと、申します」
怒りと恐怖の入り混じった震える声で、ティアナが言う。
それでもやはり怒りが勝り、頭がどうにかなりそうだった。
何故なら彼は――老若男女が泣き叫び、跪きながら許しを請い、心が壊れていくのを見て嘲笑いながら、人を残虐に殺すような人間だったからだ。
ティアナは咄嗟の判断でくるりと踵を返し、御者に鋭い視線を送って素早く馬車に乗り込んだ。
今はエイミーも暗殺者などの心強い付き人もいないから彼と多く接触するのは危険だ。ティアナは窓のカーテンを閉め、胸元に仕舞ってあった扇を折れるほど握り締めて、必死に自分を抑え込む。
少しすると馬車が進み出した。カーテンの隙間から先ほどの場を覗くが、そこにはもう誰もいない。
――ティアナは脱力感のあまり、その場で眠りについたのだった。
(……そういえば、シエルにエイミーのことを聞きそびれてしまったわね)
ちなみにこの御者、シエルの息がかかっている使用人です。




