第零話 エイミー・ララの一回目
私がメイドとして王宮に来たのは、成人手前の十四歳の時だった。
一介の平民で貧乏な家の出の私はメイド学校を首席で卒業したことにより、その成績が讃えられて平民初の王家の専属メイドになることができた。
私が専属に命じられたのは、第一王女であるティアナ姫様で、初めての顔合わせではとても緊張していたのを覚えている。
しかしそれと同時に私はとても興奮していて、自分が仕えるお方がどんな方なのか、とても楽しみにしていた。
―――そして私は、姫様と仲良くなれたらいいな、なんて安易な考えをしたことをすぐに後悔することになった。
王宮のメイド長に連れられて、豪奢な金と白の扉の中に入る。その瞬間、私は息を呑んだ。それは何故かと言うと、大きな椅子の中に収まってくまのぬいぐるみを抱えていた姫様を目前にしたからだった。
姫様は緩くウェーブをつけた金色の髪に、くりくりの丸い瞳を彩る睫毛がとても長くて、まるでお人形のような顔立ちをしているお方だった。
思わず見惚れていると、姫様はすぐにこちらを睨みつけてきた。思わず全身が硬直する。
「貴女が私の新しいメイド?」
「は、はい。エイミーと申します」
「エイミー、ね。どこの家門出身なの?」
突然の言葉に目を瞬かせたけれど、私は恐る恐る答えた。
「あの、実は、家門はなくて……」
「は?」
その途端、姫様の顔が険しくなった。
「つまり貴女は、平民だって言うの?」
その剣幕に圧されながらも、小さく頷く。
「メイド長、一体どうなっているの!? 私の専属メイドが平民!? あり得ないわ!! すぐに辞めさせて!!!」
大声で喚いた姫様に顔を青くして、メイド長がひたすら頭を下げる。そんな中、私は一人呆然とその場に立っていた。
―――私がメイド学校で必死に努力したのは、あの人のようにご主人様の人生をお傍で見守る、ご主人様にとっての‘‘かけがえのないメイド‘‘になりたいからだ。だから、それは決して、母さんのように、‘‘望まれないメイド‘‘になりたいわけでは、なかったのに…………。
不服そうな顔をしながらも、陛下の命だと知って渋々それを受け入れた姫様に、私は思い切って声を掛けた。
「あ、あのっ、姫様、よろしくお願いしま――」
「私のことは『姫殿下様』とお呼びなさい! 全く、躾の成っていないメイドね」
『姫殿下様』。それは、下級メイド達が言う主人の呼び方だった。
目の前が真っ暗になる。ここまで、ずっと、ずっと必死に頑張ってきたのに――
「…………申し訳ございません、姫殿下様」
私は身を固くして頭を下げ、逃げるようにその場を去った。
――――今までの血の滲むような努力が全て崩れ落ちていくような、そんな恐怖を抱えて。
それから私は、毎日のように地獄のような日々を送ることとなった。
姫様は私への嫌悪感を隠そうともせず、私に辛く当たった。
似合わないと言われて、丁寧に手入れを施していた髪を無理やり切られたこともあった。ストレスの発散として殴られて蹴られたことだってあるし、花瓶を投げつけられたこともあった。
幸い大怪我になるようなことはなかったが、体の些細な傷は少しずつ増えていった。
もちろん、給料は普通のメイドとは桁違いだったし、平民といえど位の高いメイドとして好待遇を受けられたけれど、私の精神は少しずつ、しかし確実に削れていった。
――そんなある日、国中を騒がせる出来事が起こった。
姫様のお母様であるカロリーヌ王妃が亡くなったのだ。
姫様は葬儀の日以降、何ヶ月も部屋に引き籠もってしまわれた。王妃様が亡くなられたのが相当ショックだったのだろう。
私を虐める暇もないほど憔悴しきった姫様の部屋に、私は朝昼晩足を運んでいた。
本当は乗り気ではなかったけれど、食事を運んだり、髪を整えたり、着替えを手伝ったりしなければいけないので、気丈に世話をこなしていた。
そんなことが続いて三ヶ月ほど経った頃のこと。
私はいつものように姫様の部屋にいた。
寝台で横になっている姫様に声を掛ける。
「姫殿下様、お着替えを――」
「…………エイミー」
私はその言葉を聞いてハッとした。名前で呼ばれたのは本当に久しぶりだったからだ。
姫様は私の服の裾をぎゅっと握って縋るようにこちらを見た。
「エイミーは……私のそばを、離れないでいてくれる?」
姫様の、いつもの我儘。
それなのに――心の底から喜びがこみ上げてきた。
今までさんざん酷い目に遭わされてきたのに、姫様が憎めなくて、寧ろ姫様からの信頼と愛情を無意識に求めてしまっていて、そんな自分があまりにも滑稽で笑えてくる。
――でも、こんな姫様を前にすると、やっぱり自分は姫様に少なからず愛を感じているのだということが分かった。
私は姫様に向かって、満面の笑みで頷いた。
「はい、もちろんです」
私の言葉を聞くなり、姫様は安心したように微笑んで瞳を閉じる。すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
私は姫様の頭をゆっくりと撫で、起こさないように静かにその場を去った。
その日を境に、姫様はいつも通りの姫様に戻った。
もちろん、私に暴言を吐くのも相変わらずで。
「やっぱり姫様はこれだけでは変わられないのね……」
少し悲しかったけど、それでもあの時、姫様の心に少しでも触れることが出来て本当に良かったと思う。
――でも、それからは暴力はなくなったから、少しだけ影響があったのかもしれない。
しかも、最近は身の回りの世話を私以外のメイドがすると嫌がるようになった。
王宮の庭園への付き添いだって、貴族令嬢様方とのティーパーティだって、私を指名してくれた。
今までは平民出身の私のことを疎んで別のメイドを連れて行くことが多かった為、それは劇的な変化だった。
単なる自惚れかもしれないけどそれはきっと、私に懐いてくれている証拠なんだと思う。
そんな些細なことでさえ、私には嬉しかった。
「あら?」
私が姫様の着るドレスを選んでいる間に、姫様が読み終わった本を仕舞おうとしてつま先立ちをしていた。どうやら届かないらしい。
私はくすっと笑みを漏らして姫様の方に近づいた。
「姫殿下様、私がやりま――っ!?」
本棚の上に置いてあった壺がぐらりと揺れたのを見て、驚愕に目を見開く。
姫様は気づいていないようで、そのまま壺は、姫様の頭の上に向かって落ちていって――
―――――次の瞬間、私の頭に火花が散った。目の前が真っ赤に染まる。
私は、咄嗟に姫様を庇っていた。
間髪を入れずに、姫様を助けることが出来たことだけは、後生誇りに思えるだろう。
姫様は唖然として私のことを見ていた。そんな姫様を見て、私は弱々しく微笑む。
―――約束、守れなくてごめんなさい、姫様。
私は最期の力を振り絞って、姫様の体をぎゅっと抱きしめた。固まったまま動かない姫様の体には確かに心臓の鼓動が鳴り響いていて、安堵のあまりほっと息をつく。
「えい、みー………?」
ようやく言葉を発した姫様が愛おしくてたまらなくて、私は人生最期になるであろう言葉を必死に声を絞り出して伝えた。
「どうか、しあわせに、なって…くだ、さ………」
――――とうとう意識が朦朧とし、力尽きて瞳を閉じるその直前、私は涙に歪んだ姫様のお顔を見たような気がした。




