第十話
「それで、私はそのジェネット・ホーティンとやらの身辺と王宮に来てからの行動を調べ、別の信頼できる暗殺者を数名王宮内に配置し、最近巷で話題の聖女の追跡と監視をすればいいんですか?」
面倒臭そうに背を丸めながらティアナの言ったことを纏めて反芻するアースに、ティアナは満足げに頷いた。
「ええ、それで全部よ。数ヶ月もしたら、また別のことをたくさん頼むと思うけれど」
「……はぁ。報酬、かさみますけど……大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。お金の代わりに、最高のプレゼントがあるから」
「……プレゼント?」
ティアナはにっこりと微笑んで、こう告げた。
「貴方が、今一番欲しい国をあげるわ」
――すると、興味がないような態度が一変して、アースの赤い瞳が鋭くなる。
「………それは、冗談ですか?」
「ふふっ、冗談だと思う?」
「……」
「一応、具体的に言うと――貴方の命の恩人を殺したダライア王国を、ね」
「っ……………」
――刹那、見慣れない鈍器をこめかみに突き付けられても――ティアナは表情を変えなかった。ただ、殺されそうになったのは今日で二回目ね、とどうでもいいことを考えるのみだった。
アースが少しの殺意を放ちながらティアナに尋ねる。
「何者なんですか、貴女は」
「…………」
アースは続けた。
「おかしいと思っていたんです。どうして初対面の貴女が、シエルにでさえ教えていない私の本名を知っていたのですか?」
ティアナは黙ったままだ。
「教えてください。貴女は一体――どこまで知っているんですか?」
「……ふふっ」
「……どこがおかしいんですか?」
「いえ、なんでもないのよ。ただ、貴方がシエルと同じことを言っているのが面白くって。やっぱり二人とも、相変わらず似た者同士で仲がいいのね」
「相変わらず? ……さっき言った通り、私達は初対面のはずですが?」
「貴方が憶えていないだけよ。本当は長き時を共にしていたわ」
「……」
「冗談よ、冗談。私達は初対面だわ」
「……」
訝しげな視線を向けてくるアースを無視して、ティアナはにっこりと笑った。
「ちなみにこの鈍器、初めて見たのだけどなんていう名前かしら? 是非とも私も使いこなしてみたいものだわ」
前の時間軸でもアースがこれを使っているのをティアナは見たことがなかった。
アースは黒く輝く鈍器を動かさずに、トリガーに手を引っ掛けたまま言う。
「……銃、と言います。北の国の暗部で生産が活発化されているものです。……一般人では、まず入手できないでしょうね。もちろん、貴女みたいな貴族でさえも」
「あら、それなら大丈夫よ。私を誰だと思っているの?」
「……どこぞの怪しいじゃじゃ馬令嬢だと思っています」
――その言葉に、ふいに懐かしさが込み上げてきた。
ティアナはシエル達と行動を共にしていた短い時間の間、アースに「じゃじゃ馬王女」と呼ばれていたのだった。……もちろん、その時はまだ我儘精神を保っていたので呼ばれるたびにぎゃーぎゃーと反論をしていたけれど。
前より遥かに性格が変わったのに何故そう呼ばれたのかは分からなかったが、ティアナはほんの少しだけ声のトーンを上げて言葉を返した。
「残念ながら私にじゃじゃ馬令嬢といった不名誉な二つ名はついていないわ。我儘王女という二つ名ならあるけれど」
その言葉を聞いたアースが眉をぴくりと動かす。
「……もしかして、貴女は第一王女様ですか?」
「あら、私のことを知っているの?」
「…………当たり前じゃないですか。傍若無人で馬鹿で我儘だって庶民の間でも大評判ですよ。将来国を傾ける害虫になるに違いないと聞きました」
「周知の事実ではあったけれど私って随分と評判が悪いのね」
「はい、それはもう。……だから私も、こんな人だとは微塵も思っていませんでした。ショックです」
「……そこは嬉しがって頂戴?」
とにかく、とティアナは再び話を切り出した。
「偶然なことに、私にもダライア王国には深い怨念があるの。あの国は必ず潰す。だから、王家の人間とあの女を殺したあとは、貴方に全部あげるわ。
どんなにめちゃくちゃに掻き回しても構わない。死者がたくさん出ても構わない。個人の復讐も国規模で起こしてしまって結構よ。
その代わり――依頼が完全に終わるまで、私が話さない限り、私に対して余計な詮索をしないでほしいの。この条件で、どうかしら?」
アースの双眸をじっと見つめる。――すると、アースはため息をついてから銃を下ろした。
「手放すにはあまりにも惜しい報酬ですね。……分かりました、これが終わるまで、貴女への尋問は控えることにします」
「ありがとう」
ティアナは満足できる返事を貰うことが出来て、取り敢えず一息をついた。
「ティアナ様……どうして」
ベルティーユ王宮の一室、ティアナの部屋では、一人のメイド――エイミー・ララが泣きそうな顔で立ち尽くしていた。その手には、鍵付きのドレッサーの引き出しの中にひっそりと入っていた、たくさんの薬の袋が握られている。
所謂――精神安定剤。その類のものが、種々多様に陳列していたのだった。既に数十袋が開封されており、行き場もなく綺麗に折りたたまれている。
いつからだったろうか。ティアナがエイミーに急に優しくなり、その反面異常な心を見せるようになったのは。
アレクシスやロザーリオには分からなくても、ずっと傍にいたエイミーには分かった。
ティアナはもう――とっくに壊れていた。それこそ、エイミーが修復不可能なほどに。
自分はどう頑張ったところでティアナを助けられない。ティアナの態度が急変した原因も知らないし、薬で精神を保たなければ生きていけないティアナが抱えているものなんて分かるはずがないから。
(だから、だから私は―――)
エイミーはティアナに勘付かれないように薬を元の位置にそっと戻した。引き出しをゆっくりと仕舞い、本来ティアナが持っているはずの鍵で施錠をして――くるり、と後ろを振り返る。
「貴方が影、ですよね? ずっと私のことを探っていた」
誰もいないように見えるその空間に、エイミーは話しかけた。
「こう見えても私、平民初の特級メイドなんです。基本的になんでも習得しているんですよ。――そこに、いますよね?」
エイミーは一向に現れようとしない影と、確かに目を合わせる。
「別に出てこなくてもいいんです。ただ、お話がしたくて。
…………お願いがあるんです。――――――――」
そのあまりにも正常とは言えない言葉に影が動揺し、冷や汗をかくのをエイミーは感じ取った。――そして、その気配が消えるのを感じて自身の作戦が成功したのを悟る。
エイミーは言い訳のように、何度も心の中で言葉を繰り返した。
(これも全部、ティアナ様の為だから)
―――後悔は絶対にしない。あの人のようには、なりたくないから。
その時、くらりと頭が傾いた。思考がぼんやりとする。
(違う。私は母さんのようにはなりたくなくて…………あの人のようになりたくて…………)
『アンタなんて、生きてこなければよかったのに』
突如、脳内を反芻した言葉。
ズキリ、と頭が痛む。
『そうよ、あの時にエイミーが死んでいれば、私があの人の子になったのに―――』
聞き知った声に、エイミーは目を見開いた。
(なんで、ジェネット様が…………?)
必死に頭を回そうとしたが、頭が重く、それ以上何も考えられない。
―――エイミーはそのまま、自分を襲う頭の痛みに負けて、その場に倒れ込んだ。




