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夏のホラー2020

 夜半過ぎ、街は眠っている。黒く塗り込められた家々の窓に映る月が、線路の上に浮かんでいる。

 ピンポン球ほどの月を親指と人差し指で摘まむ。遮るもののない大気は限りなくクリアだ。

 役目を終えた遮断機が月明かりに濡れている。音もなく、そして赤く点滅することも忘れて、束の間の休息を味わっている。

 遮断機だけではない。銀色のレールは、鋼鉄の重厚な車体を滑らせる術など初めから持ち合わせてはいなかったかのように、静まり返っていた。

 踏切の真ん中で寝転がってみると、星の瞬きに心奪われる。冷ややかなレールに接すると体温が新たな平衡に達する。

 夜に融けていく感覚が、脳に痺れをもたらした。

 このまま朝を迎えることができると信じて疑わなかった。

 真空の夜に響いた異様な音に、期待はことごとく裏切られてしまった。

 音の出は線路の向こう、駅の方角から這ってくる。

 好奇と恐怖を一緒くたに引き連れてきた音は、手招きを繰り返している。

 レールを伝う振動を余さず足裏から吸着するように、枕木を踏み越えていく。

 やがてホームの四角い突端が闇の奥から露になってくる。電線が、碍子が、次々とその姿を明らかにしていく。

 未だ邂逅できぬ、硬いものがぶつかり合う、甲高い音が、漆黒の世界から間断なく漏れていた。

 長いトンネルを歩き続けているような錯覚。出口のない暗闇は底なし、際限なくどこまでも奥へと飲み込まれる。

 ふいに女の首が闇の狭間から現れた。俯いたままの女の額に貼りついた髪の毛は縮れ、汗にまみれている。血走った瞳の奥には揺るぎのない信念が燃えている。

 彼女は探し物をしているのだと気づいたのは、線路にくべられた石を拾っては投げ、ためつすがめつ眺め回していたからで、さもなくば不気味な光景を前に凍りついているほかはなかったに違いない。

 髪の毛の先で臨界を迎えた汗の滴がたとえ眼に落ちようとも、女は線路の石を両の手ですくっては、仔細に確かめることを厭わない。

 細く白い首には青い血管が透けている。年は定かではない。皺の寄った眉根はほとんど老婆のそれに近いが、紅潮した頬の張りは、若い娘のようでもあった。

 捨てられた石は、レールの外へと弾かれて消えていく。丸みを帯びたもの、角ばったもの、欠けたもの、或いはどれも同じであるかも知れない。

 その中で、女は石を区別し、選定している。

 要る、要らない、中間など存在していない。要るか、要らないか、二つに一つ。

 頭上に掲げた石を月明かりに照らす女。震える彼女はついに探り当てたのだ。膝を砂利につけたまま弓なりにしなる背中が、嬉々とした女の鼓動の高鳴りを如実に表している。

 積み重なった捨て石の山と比べて、一体どこが異なるのだろうか。色形は偏差に収まっている。

 女を媒介することで、変哲のない石ころに歴然の差異が生じることとしなければ、説明のつけようがない。

 見えているのだ。彼女は石の奥へと迷い詰めた真の姿が見えている。

 髪の貼りついた女の額に亀裂が入る。額の割れ目から灰色の霧が吹き出る。霧は線路を走り、ホームを包む。

 霧の中には無数の人影が揺れている。ホームに佇む人々の群れが、真っ黒な影となって蠢く。

 反対のホームも同様に人いきれに満ちていた。

 痩せた影、長い影、影が象るのは、膨大な記録。列を成した影が先頭から、線路へと水のように流れている。大きな黒い川が、洪水となって、女の元へ押し寄せる。川になってしまえば、影の形など、もはや肝心ではない。

 月明かりが街を照らせば、女の額は閉じられ、ホームの影も消えている。

 夜の真ん中にあるのは、女の懐に隠された石。

 いつか訪れる朝、新たな影がやってくる。そのとき彼女は今宵のように、線路に石を求めるだろう。(了)


石の奥を描きたかった


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