ある黒騎士の話
ガタン、ガタン
帆馬車が小石に乗り上げた衝撃で、少女は目が覚めた。
隣では少女の肩を枕がわりに、彼女の妹が同じ毛布に包まって寝息を立てている。
ふっ、とその寝顔を見て少女は微笑み、優しく頭を撫でてやった。
少女らは戦争孤児である。
北の国の出身である彼女らは、西の国との戦争にて村を焼かれ、親を失った。
幸い、少女達の叔父にあたる人物が引き取って世話をしてくれるという話になり、現在新しい住居へと向かっている最中なのだ。
外は木々が生い茂る深い森の中。
鳥も鳴かず、虫もさざめかぬ、馬車の音だけが辺りをこだましている。
少女は不安を覚えたが、叔父の住む村に行くにはここを通るしかない。
他の道は全て戦場と化しているからだ。
しばらくの時が経っただろうか。
再び少女がまどろみに身を任せていると、突然馬車が大きく揺れ、馬の嘶く声が聞こえてきた。
「な、なんなんだお前ら!」
そう叔父が叫んでいるのを遮るかのように、ヒュンと幾つもの何かが風を切る音。
そして聞こえる断末魔、帆馬車の屋根に突き刺さる音。
少女が見上げると、そこには鈍く光る矢尻が見えた。
「よぉし、仕留めたな」
ゆっくりと近づいてくる足音と男の声。
目を覚ました少女は、今にも泣き叫び出しそうな妹の口を必死に塞ぎ、声を殺していた。
「お頭ァ、どうもこいつ商人じゃなさそうですぜ。なンにも持ってねェでさあ」
「ちっ、一般人か……まあ飯ぐらいは運んでるだろう。荷台を確かめろ」
聞こえる足音から察するに、五、六人は居るだろうか。
少女はどうすれば逃げ出せるか考えていたが、狭い帆馬車ではどうすることも出来ない。
やがてその足音は帆馬車の裏まで迫り、ガタゴトと音を立てて内部へと入ってきた。
「ほーぉ、結構積んでやがるな」
少女と妹は積まれた木箱の裏に隠れていた。
荒々しく荷物を漁る男達に見つからぬよう、必死に息を殺していた。
だがそれも時間の問題だろう、ゆっくり、確実に足音は迫ってきている。
見つかったら何をされるか分からない。嗚呼神よ、と彼女達は祈っていた。
「大して金目のもんはねえなぁ。あと見てねえのは……」
男達が目線を少女達の隠れている木箱の方へと向ける。
終わりを悟った、その時である。
「な、なんだテメ——」
突然、肉が断ち切られる音が響いた。
男達は騒然とし、慌てて馬車から出て行った。
少女達は何かと思い顔をゆっくりと出す。
カツ、カツと静寂な森の中を甲冑の音が響いている。
目線の先には真っ二つに切られた見張り役の男と——真っ黒な騎士。
全身を黒い甲冑に身を包み、鮮血の滴るクレイモアを手に持つ、まるで死神のような騎士だった。
「な、何モンだテメェッ!」
お頭と呼ばれた男の怒号が響く。
「お、お頭ァ、アイツ、噂のヤツじゃ」
一人の男が狼狽えながらそう言い出すと、震えた口調で続けた。
「さ、最近、山賊や略奪兵を殺して回る亡霊騎士がいるって聞いたもんでさぁ……ま、まさかアイツが」
「馬鹿野郎、亡霊なんて居るわけがねえだろ」
「でもよぉ、み、見た目が真っ黒な騎士だって、"黒騎士"だって言うもんだからよお——」
バシリ、とお頭の平手が飛ぶ。
「怖気付いてんじゃねえ、こっちは五人、相手は一人だぜ、さっさとぶっ殺すぞ」
気を取り直したように応、とそれに答えると男達はそれぞれの武器を構えた。
お頭とその子分は軍式の鋼鉄の剣——おそらく略奪したものだろうそれを手に、ゆっくりと向かってくる黒騎士へと向かっていった。
まずは二人、正面二方向から黒騎士へと斬りかかった。
甲冑に身を包んでいるとはいえ、繋ぎ目を狙えば致命傷になり得る。
この男達はそれを理解していた。故にこの人数差なら勝てる——そう思っていた。
剣は宙を切る。まるで亡霊を切ったかのように。
そして気づいた時にはその二人は血を吹き出していた。
黒騎士は最小限の動きで体を逸らし、そのまま横にクレイモアを一閃、瞬く間に二人仕留めたのだ。
後続の一人が狼狽えている所へとすぐさま潜り込むと、下から上へと斬りあげ真っ二つにする。
甲冑を着込んでいると思えぬその動きは、まさに亡霊のようにも思えるものだった。
先程怯えていた手下がもはやこれまでと逃げ出そうとする。
それを逃さぬと黒騎士は、目の前で死んだ手下の剣を奪いそれを投擲。
まるで意思を持つ矢のように放たれた剣は逃亡者の心の臓を貫いた。
「う、うおおおおッ!」
雄叫びを上げながら突っ込んでくるお頭の袈裟斬りをクレイモアで防ぐ。
軽々とクレイモアを扱う黒騎士は難なくそれを押し退けると、お頭を蹴飛ばして目の前に転がした
「ま、待ってくれ! もうこんな事はしない、頼むから殺さないで——」
その言葉を最後まで聞く事なく、無慈悲にも黒騎士はクレイモアを相手の喉元へと突き立てた。
少女達は刹那に行われた殺陣を、ただ怯えながら見ているしか無かった。
黒騎士はクレイモアを引き抜くと、最初から気が付いていたのか
「来い」
とだけ、少女達の方へと声を掛けた。
鬱蒼とした森の中、少女二人で村へと向かうのは難しい。
この騎士を信用していいのかどうかは分からないが、とにかく従うしか無かった。
「あの、ありがとうございました」
礼をしていなかったと道征く途中で少女が黒騎士に声を掛ける。
それに対する返答は無い。つくづく不気味な男だが、少なくとも彼女達の味方である事は分かっていた。
大丈夫だよと震える妹をなだめると、村へと続く道をゆっくりと向かっていった。
◇
その後、少女達は村の叔父の家族へと引き取られた。
叔父が死んでしまったのは悲しかったが、彼女達が無事で良かったと暖かく迎えてくれたのだ。
着いた頃には黒騎士はいつの間にか消え失せてしまっていた。
まるで亡霊のように。最初から居なかったかのように――。
illust:灰啓様