雨の日ほど眠る女の子はいかが?
首都の王宮の下町、大通りから細い路地に入って、右、左、まっすぐ行って3つめの角を曲がった突き当たりにその店はある。
「June」と掲げられたその看板からは、初見では何の店か分からない人が大半だろう。店の周りにはこの世界の住民でも見たことの無い植物で溢れかえっており、1つ1つ趣味が悪いようで、1つ1つが生きているようで、それでいて1つ1つに正しい生育方法が施されている事がそのみずみずしさから分かり、飼育している飼い主の、それらに対する一つ一つへの愛情が見て取れる。
この店の店長兼たった一人の従業員は歳が半ば20も行かない、18の少女。髪は魔女特有の赤。かといって魔法商を営みとしている人間かと思えばそうでもなく、彼女の仕事道具は主に錬金術に用いるものばかりである。いわゆる、錬金術師。アトリエの主。
しかし実際の顔はもっとも名を馳せる大泥棒。この世界で彼女の噂を知らない者はいない。それと同時に彼女の顔を知る者も表の世界では存在しない。裏の世界の住人ならば、幾人かは知っているだろうが。
彼女に仕事を依頼すれば、盗みならばその依頼は達成されるという噂。
どこの誰でも金を積めば依頼して盗みを頼むことができる。かといって彼女自身、仕事で盗みをやっているわけではない。
単純で、趣味で大泥棒をやっている。
自分で「盗んで楽しそう」と思ったものは勝手に自分で盗って、アトリエの裏にコレクションとして飾る。ただしかなり気まぐれなもので、盗むだけ盗んで返すこともある。
彼女自身盗みはいけないことだ、と自覚しているらしいが、どうやら止められないらしい。そうやって怪盗を続けた結果、裏の世界でも立派に名前が通り、もう戻れない場所へと辿り着いてしまった。
魔女でありながらあらゆる職人を驚嘆させ、凌駕する器用さは、泥棒でなければ間違い無く世界で一番の手品師になれただろう。しかし彼女はロマンとスリルを求め続けた。幾度となく殺されそうになったこともあったが、彼女は全てを掻い潜り続けてきた。
彼女の噂は後を絶たない。一切殺しをしないこと。彼女がブツを盗んだ後に残す氷の花は熱所の砂漠へ持って行っても溶ける素振りを見せないこと。彼女にかかれば、1秒かからない間にどんな鍵でも開けてしまうこと。ただ実際見たところは、ただ容姿に可愛げのあるただの歳相応の女の子にしか見えないこと。
表向きの錬金術のアトリエでの彼女は、常に眠っている。雲一つない快晴の日も、雲しかないどんよりな空の日も、ただただ雨の降る音だけが響く日も。客が来て起こされた時だけ応対し、彼女の器用さで作られたかわいらしいアクセサリーを売ってはまた眠りに入る。常連客も、「これが彼女の営業スタイルだ」と理解している。
____そんな彼女の一生も今日で終えることになるだろう。
雨の音の静けさに一つの足音。彼は奇妙な植物が飾りつくされたアトリエの扉を開く。
彼はこの世界に来る前の記憶が全く無い。
彼が一つ覚えているのが、恐らく人の死を見届ける仕事であったということ。それも自分で死の世界へ届けて、それを見送る仕事だったということ。それだけである。
彼がこの世界に来て最初に目につけられたのが、今の彼の雇い主。
いや、呪いと言った方が正しいだろう。
暗殺教団の長で、力で全てを従える裏の世界の長でもある。彼の施す魔法は「呪い」そのもので、逆らった者を猛毒で殺してしまう。彼の教団員に施された刻印は、身分を表すものではなく、逆らった者に自動的に死を与える術式。故に一度入ると死ぬまで抜け出す事のできない世界とも言える。
彼にできる仕事はこれしかないが、彼自身疑問を感じ始めていた。この世界に来た当初はたしかにこれしかできることがなかった。ただ今になってみると、教団の言うことに従い、罪ある人間、罪なき人間、見ず知らずの人間をひたすら殺す事に意味などあるのだろうか、と。そうまでして自分自身が生きる意味があるのか、と。
そして次の標的は、情報によれば一度も殺しをしていない。教団がわざわざ手を下す必要も無い人間だろう。何故そこまでしてしまうのか。葛藤を保留させたまま、今はとうとう本人の目と鼻の先まで来てしまった。
店は一人暮らしで住んでいる収入の無い若者の部屋くらい狭く、壁に建付けられた左右の棚、天井には彼女が作った小物がいくつもの金具に吊るされて、ペンダントやブレスレットがランタンの火の光に反射されて輝いている。
彼女は寝ていた。それはもう当然の事のように。カウンターの上で突っ伏す、さぞかし気持ち良さそうに熟睡する彼女。赤い前髪は少し乱れており、後ろ髪は眠る彼女の背中を守るように腰ほどまで伸びている。未だに寝息を静かにたてており、こちらには気づいていない。
「…お前を殺してまで、私は生きる価値があるのだろうか」
そう彼は、眠る彼女へと呼びかける。
「お前のような、いたいけな歳のいかない女を殺してまで、私は何故生きるのだろうか」
「歳のいかないって、同じくらいの歳のくせに」
眠っていた彼女はその呼び掛けにようやく応じる。
「驚かないのか」
「まあ、つけが回っちゃったのかなーって思うと、自分でも意外と冷静で、そのことにびっくりしちゃうくらい。今から私を殺すの?」
「何故そう思う?」
「その腕のマークって、悪い教団さんの所でしょう? それに私の正体も分かっててここに来たんでしょう?」
「そうだ。氷の大魔女、〝 ツユ〟。 いや、大泥棒の魔女と言った方がいいか。お前を殺す為に私はここまで来た。」
「誰から頼まれて?」
「告げられていない。いつもは告げられるのだがな。」
「そっか。それで、なんで殺さないのかな?」
「さあ、どうしてだろうな。」
「私を殺さないと、貴方が死んじゃうんでしょ。そのマークが裏切った者に死を告げる、とかで」
「やけに詳しいじゃないか。それもそうか、お前も裏の世界の者だったな」
「まあ、一応ね。本当は来たくない世界だったんだけどなあ」
「何故盗みをする?」
「なんでなのかなあ。やめなきゃーって思うんだけどねえ。やっぱり楽しくてやめられないの。」
彼女は欲しいバッグが手に入らない女の子のような、軽いため息を吐く。
「1回盗りたい、欲しいって思うとどうしても諦めがつかなくて。いつしかこれが生き甲斐になっちゃったんだよねえ」
「趣味、か。見かけによらずぶっとんだ女だな」
「失礼ね。私は至って普通ですよーだ」
「ああ、殺すには本当に勿体ない」
「でも殺すんでしょう?」
「いいや、やめておくさ。また遠い未来、あちらの世界で会おう」
「…ちょっと待って、それってどういうこと!?」
「殺すのは惜しい。まして女の子ども。お前を殺してまで生き延びる価値が俺にはない、じゃあな」
「子どもって、あんたも同じくらいの歳のくせに。もう少し考えてからでも遅くないんじゃない?」
「もう遅い。奴の刻印は意図に反した途端発動される。後半日丁度で俺の身体中は全て毒に変わるだろうさ」
彼の腕に刻まれた黒の紋章が徐々に紫色へと変色していくのを彼女はじっと見つめていた。
「…なんでこんな仕事始めたの?」
「したくてした訳ではないさ。当時の俺が未熟だった。ただそれだけだ。」
「…あなたみたいに強い人間でも、道を誤るのね」
「どう見てそう思った?」
「黒いフードの下に173cmの大鎌を背中にふたつ、ナイフが8本、毒針が3本、矢が5本。靴に仕込みナイフ、両手首に隠し銃。恐ろしく器用なのねえ… それに、雰囲気がそれっぽいから。私じゃどうやっても勝てなさそう」
「戦いの強さなんて、しょうもないことさ。どの道俺は死ぬ。」
「…ねえ、私と賭けをしてみない?」
「…賭け?」
「そう。貴方が死んじゃうのは嫌だ。とりあえず名前を教えてほしいな?」
「…ユキだ。女みたいな名前だろう?」
「ユキ。こっちじゃあんまり聞かない名前だけど…本当にどこから来たの?」
「俺にも分からない。」
「そっか。私の名前はツユ。まあ、知ってるよね」
「ああ。それで賭けって?」
「うん。ユキ、私と一緒に[泥棒]をしましょう?」
「俺は残念ながら[殺し屋]だ。」
「だから賭けなの。私が盗むか、貴方が殺すか。」
「抽象的すぎる。もっと詳しく説明してくれないか。」
「そのままの意味。私があなたの飼い主の命を盗むか、貴方がその毒で自分を殺すか。どちらが早いかって勝負」
「負けの決まった賭けなんてやるだけ無駄だろう。この刻印は発動してから12時間で身体に毒が回りきるようにできている。それに奴を殺したからって刻印が消えるとは限らないだろう」
「消えるよ。[絶対に]ね。」
「何故そう言いきれる。 …それにお前は殺しをしないんじゃなかったのか?」
「した事ないなあ。だから今回が初めて」
「無理だ。殺しをしたこともない人間に、ましてや俺が勝てるかどうかも分からない相手。命を無駄にするだけだ」
「私は人じゃなくて〝魔女〟よ。」
少し間を開けて、
「どうだろうね、やってみないと分からないよ? だって、殺すよりも生かすほうがよっぽど難しいもの」
「…これまでの盗みはあえて殺さなかったと?」
「もちろんに決まってるじゃない! 人が死ぬのは嫌だもん」
「勝機はあるのか?」
「3割くらい」
「何故そこまでする?」
「貴方は命をかけて私を生かした。だから私も命をかけて貴方を生かす。それだけ」
「…よっぽどの大馬鹿者だな、お前は」
「ユキには言われたくないかなあ」
「っは、よく言ったもんだな」
彼は何年かぶりに顔から笑みが出た。フードの下から見えたそれは、とても暖かく優しいものだった。
「じゃあちょっと準備してくるから、待っててね」
そういってツユは立ち上がり、店の裏側へと消えていく。
「はあ、ちょろいなあ、私」
その呟きは彼には聞こえなかった。
「___毒は大丈夫なの?」
「俺の身体は頑丈だからな。少ない毒ならまだ大丈夫だ。それに奴の毒は10時間後から本領を発揮する。まだ問題ない。」
「無理はしないでね。」
「わかってるさ。」
2人は馬車に揺られ、彼らの拠点へと踏み込もうとしている。
あの一件から既に5,6時間は経つ。雨の音は未だに静かでうるさい。
「すまないな、雨でなければ飛べたのだが」
「あなた、本当に何者? 羽根もあるし、血を吸収して強くなるって、それってもう人間じゃなくて最早吸血鬼…」
「自分でもそう思う。多分、人間じゃない。」
「まあなんでもいいや。ねえねえ、あなたの武器ってなんで鎌なの?」
「分からない。ただ、これが一番しっくりくる」
「ああ、なるほど…」
「お前の武器のほうがよっぽど不気味だがな」
ツユの持つ杖は奇妙な形をしていた。持つ部分は長く、無骨な長い金属の筒のようなもの。先端は四角い鉄の箱のようなものが不格好に取り付けられており、杖というより棍棒に近い。
「まあまあ、それは見てからのお楽しみということで。一応錬金術師だし、杖持っとかないとなーって。」
「…本当に戦えるのか?」
「殺しはやってないけど、盗みは一流ですから!」
そう満面の笑みと誇らしげな口調でこちらへ言う姿は、正体を知らなければただの可愛い18歳の女の子だ。
彼女の服装を口で説明するにはあまりにも難しい。白いエプロンドレスを全体的にクリーム色の布地で仕立て上げて、腕も布地を増やしてだぼだぼしたワンピースと言ったような、彼女のほだらかさとのんきさ、ねむさを詰め込んだような、そんななんとも言えない服。寝る時には快適そうだ。
「そういえばお前はいつも眠っているらしいな」
「まあ寝るの気持ちいいからねえ。寝る以外にやることもないし。」
「お前の方がよっぽど吸血鬼らしいな」
「失礼ねえ。夜もちゃんと寝てますよ?」
「尚更ダメじゃないか」
命の危機を前にした会話とは思えない、他愛ないやり取り。彼も彼女も、その会話に幾分かの幸福を見だしていたのは確かと言えるだろう。
「…もう時期着く。降りるぞ。」
「ん、わかった。」
馬車で6,7時間程揺られ、何も無いただただ緑の森と本当に何も無い荒野の境目の道に降りる。
「この森の奥だ」
「…」
「どうした?」
「いや、なんでもないよ! 行こっか」
「ああ、行こう」
少し会話の間を不自然に思ったが、彼らは進みざるをえなかった。死ぬか生きるかの戦いが始まる、それにしてはとても穏やかな雨だった。
「いい? 盗みっていうのは、スマートにスタイリッシュに行くの」
「はあ」
「奴がいるのはこの廃れた城の最上階ってところね」
「何故分かる?」
「煙となんとかは高い所が好きって言うじゃない?」
「奴は聡明だとは思うぞ」
「悪事に手を染めてたらいっしょいっしょ」
「お前が言うのか…」
彼女は服の中から何かを引っ張り出した。長いロープの先端に鍵爪がついたもの。それを振り回して、城のできるだけ高い窓へと引っ掛ける。
「んー、半分より上も行かないか」
「全然スマートに見えないな」
「仕方ないよ、いきなりなんだもん」
「まあ行くか」
2人は鉤爪のロープを伝って窓の内側へと降りる。幸い部屋には誰もいなかった。
「ここは6階ってところかな。ってことは奴は大体13階あたりにいるってことね」
「何故分かる?」
「経験かなあ。ざっと見て、入ってみれば建物がどんな建設方法で建ってるとか、どんな作りになってるとかが大体わかるのよ」
「流石大泥棒だな」
「えっへん」
部屋を出て廊下を見回す。長い廊下を、右も左も見張りの教団員が3人ほど巡回していた。
「誰かには気付かれるだろう。一気にいくか?」
「ダメダメ、ぜんっっぜんスタイリッシュじゃない。ちょっと見といて。」
そう言って彼女は杖をしっかりと持ち、廊下へと出る。音を一切出さずに、出て左の教団員を、後ろへ振り向いてる間にぽこっと杖で一撃。しかし本来出るであろう音は一切出なかった。
「全然スタイリッシュじゃないけど、恐ろしく器用な芸当だな…」
「えへへ、どんなもんですか」
「誰だ!!」
普通に会話してしまった彼女達は、当然その声が向こうにいた教団員に聞こえてしまった。
「何やってんだお前!」
「まあまあ、見といてくださいって」
途端、彼女は杖で床をトンと叩く。
「茶番は、ここまで。命掛けてるんだし、そろそろ本気で行くよ」
杖の先端についた金属の四角い箱がどんどんと変形していく。持っている筒から更に二つの筒に増え、繋がり、あらゆるパーツが更に出現し、合体する。木製のグリップが現れ、コックが飛び出て、引き金が姿を表す。
「あれは古い文明の…」
「ごめんなさい、悪気は無いのだけれど。」
彼女は杖「だったもの」を高く上に投げ、服の袖から射出させた鎖2本を天井へ突き刺し、鎖が戻る勢いで大きく地を蹴る。空中で木製グリップをしっかりと捕まえ、そのまま狙いを定め、廊下を「飛んで」いる状態でポケットに手を入れる。
2つ。青い金属の小さな銃弾を1つ込めて、リロード、コックを引いて、発射。鈍いビュンという音をたてながら青い弾丸は回転しながら1人目の人間の心臓へと、吸い込まれるように弾が向かう。それが着弾する前に、2発目は打たれていた。魔力を込められた銃弾はほぼ同時に2人の人間の心臓を貫き___はしなかった。
着弾したと同時に魔法陣が高速で展開され、氷の花を咲かせてその場で根付く。その花の根は一瞬で全身へと伸び、そのまま2人の人間は大きく心臓に花を咲かせた氷塊と化した。
「…それがお前の本当の正体か」
「本当もなにも、これがずっと私ですよ」
「それは古代兵器だな。スナイパーライフルとかいう」
「まあ設計図しか見つけられなくて、魔法を取り入れて私がリメイクしたのがこれなの。私力全然無いから、こういうのが一番あうのよねえ」
「本当に器用だな。途中の鎖はなんだ?」
「鎖?ああ、もしかして___」
その時、多くの足音がして自分達2人を囲んでいくのが音で分かった。広い廊下を囲む11,12の人間。全員の腕には刻印が刻まれていた。
「ほう、呑気なものだな、ユキ。久しぶりじゃないか」
「お前は…烏殺しの」
「裏切ったんだってなあ? どうだい、死ぬ前に最後に俺とパーティーと行こうじゃないか」
烏殺し。第四幹部の1人で、細いレイピアを扱う。どんなに早く飛ぶ生き物でも、地上から一撃で心臓を貫く。魔法でブーストされた動体視力とリーチを極限に生かした戦い方を用いる。
「それに勿体ないなあ。こんなに殺すのにいい環境を自分から捨てるなんて。どうかしてるよ君は。」
「相変わらず頭のおかしい奴だ。その口いい加減に止めてやるさ」
「まあ待て。その前に、この女を頂いていこうかな!!」
途端、彼は腰のレイピアを引き抜いてツユへと突き刺す動作をする。通常なら絶対に当たらない距離だが、魔法で構築されたレイピアの波動は彼女に届くかと思われた、が。
「ッチ、隠しナイフか」
「ちょっと挨拶が乱暴すぎるんじゃないかなあ」
彼女は完全に見切って、衝撃波をナイフ1本で受けていた。受けた、というより波動ごと切り裂いて受け流したというほうが正しいだろう。
「お前ら、まず女からやれ」
「させるかよ」
「ユキ、下がって」
ツユは持っていた銃を上へ投げる。
「!!?」
ツユに飛びかかろうとした教団員達。だが、彼らの動きが一斉に止まる。飛びかかろうとした者も空中でその動きを止めた。
「なんだこの女、なんてもん仕込んでやがる!!」
ツユの服のありとあらゆる場所から発砲された細い鎖。先端には針が取り付けられている。両手首から3本ずつ、足首から2本。髪をとめていた飾りから1本。服の装飾と思われていた飾りから飛び出たのが6本。合計17本の鎖が飛び出し、当たった全ての人間の心臓に氷の花を咲かせた。残った鎖は投げた銃を巻きとって、持ち主の手元へ丁寧に返す。
「流石は大泥棒だ、とんだ芸当をする」
「面白い、面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白い! お前のようなヤツを探してたんだよ俺はなあ!!」
彼は腰につけたレイピアを更に何本も抜いた。片手に3本ずつ構えて、鉤爪のように持つ。
「烏殺し…お前の思うようにはさせないさ。次の相手は俺だ」
「お前はお呼びでないんだよ! 先に殺してやる!!」
「ユキ、危ない!」
「すまないな、ツユ。だが大丈夫だ。もう勝負は着いた。」
「な、なに…?」
勢いづいていた烏殺しだったが、動きがピタリと止まる。その瞬間、彼の腕が落ち、首が落ちた。ほんの一瞬のことで、首を落とされた本人も、ツユも、何が起こったのかを理解することは不可能だった。
血を吹き出す肉塊を前にシャワーを浴びるユキは、なんのおもしろみも無かったように、ただゴミを見るようにその首を横目で見た後、鎌を背中へ直した。
「…何をしたの?」
「斬った」
「どうやって?魔法は?」
「俺は魔法を使えない。身体は頑丈で羽根も出そうと思えば出せるが、できることはそこまで人間と変わらない」
「嘘つき。人間であんなことができるなんてあまりにもしんどい冗談だよ」
「だがそれが本当なんだ。俺の身体能力は魔法を軽く凌駕するらしい」
「私、本当になんで生きてるんだろうね。絶対に貴方相手なら死んでた」
「良かったじゃないか、命があって」
「ん、良かった。ユキも命あって良かったね」
「もう無くなるかもしれないけどな」
「無くならないよ。無くならせないから」
「それは頼もしい」
彼らは先を急ぐことにした。
「この先大きなドアの向こうに5人いる。警戒固めてるみたい」
「まあそれはそうなるだろうな」
「ここはぱっといくね」
ポケットから銃弾を取り出す。青の銃弾だが、彫られている紋様が少し違う。装填して、普通より少し大きなドア鍵をゼロ距離で撃つ。
その後、たっぷり5人分の悲鳴が聞こえた後、静寂が訪れた。
「何をしたんだ?」
「見れば分かるよ」
ツユがバンと勢いよくドアを開けると、そこには氷で作られた胴の長い龍が佇んでいた。
「召喚獣か?」
「ちょっと違うかも。弾丸の中に、龍形で作った私の魔力を込めたの。熱に反応して攻撃するようになってる。」
「なるほどな。俺は襲われないのか?」
「貴方自分で気づいてないと思うけど、あなたに触った時全然体温無かったの…」
「そうだったのか…」
ちなみに俺は彼女に触れられた記憶が一切ない。ツユという女はあまりにも器用すぎて少し不気味である。
「お見事だな。噂通りだ、怪盗魔女」
奥から出てきた、白衣を着た男。片目がくり抜かれており、足も骨だけ。
「四幹部のうちの1人、dr.Mか…」
「光栄だねえ名前を覚えててくれるなんて。実際にお見えするのは初めましてかな? ユキくん」
「dr.Mって… あのdr.M!? まさか生きてたなんて…」
dr.Mはこの世界でもっとも有名な兵器学者だ。魔力を意図的に暴走させて濃縮させ、それを小さな筒のようなものに詰める。それに少しの火を加えると、一国を滅ぼす爆弾の完成。それをありとあらゆる国の上層部広めたのがこの男だった。
「会った時に一度話をしたかったんだ、dr.M。何故あんなものを作った?」
「何故?それを作れたから、というだけに過ぎないよ。お嬢ちゃんなら分かるだろう、ものを作るのが好きそうだからねえ。」
「確かに作れるものは作りますけどねえ。でもなんで広めたんですか?大戦争でも起こしたかったんですか?」
「逆だよお嬢ちゃん。戦争を無くすために広めたんだよ。あの爆弾はあまりにも脅威。どこかの国が使えば間違いなく戦争の引き金になり、世界中で悲劇が起こる。それが抑止力となって、実際未だに戦争は起きていない。どうかね? 今のところ平和の象徴として輝いているのではないのかね?」
「…1つ質問だ。何故この組織にいる」
「何故、か。 意味などないよ。気がついたら流されてここまで来てしまった。それだけのことだ。」
「そんなお前に平和を名乗る義理は無いな」
「確かにそうだ。だから私はあの方の命令通り、お前達をここで殺さなければならない」
「…あいつの言いなりになるのか」
「私は生きていればそれでいいのだよ。もうやることも無い。ただ生きているというその事実だけで、私は幸せのだよ」
「そんな身体でも生きてるのはそういうことなのねえ… おじいちゃん、楽にしてあげる」
ツユは弾を込めて打ち出す。あっさりと心臓に弾は届いた。だが。
「…!? あなた、血が通ってないの…?」
着弾した弾は花を咲かせること無く、そのままつぼみとなって枯れ散ってしまい水へと変わった。
「面白い武器だ、血から細胞を全凍結させるとはな」
「なんて奴だ…」
「さあ、死んでもらおうか」
ドクターはほぼ骨の手を剥き出しにして、腕をユキに構える。
「お嬢ちゃんの攻撃は効かない以上、先にユキくんを始末するのがいいだろうな」
「ユキ、逃げて! このドクター___」
「精神に攻撃してくる!!」
途端、ユキは一切光が見えなくなった。次に音が消えた。埃臭い匂いが消えた。感覚が消えた。
自分が見えなくなり、消えた。
消える自分を傍から見た自分は、こう思った。
ああこれでよかったのだと。自分は殺しすぎた。ならば自分として殺されてしまうのも文句は言えない。言ってはいけない。報いだ、仕方が無い。
それで終わらせられない人間がいた。
「何ここで死んじゃう雰囲気出してるのよ、帰ってきなさい!!」
光が戻る______
目の前には腕元に倒れ込んでいる___いや、寝ているツユと、前には腕と足の骨がとうとう千切れたdr.Mがいた。
「何があったんだ…?」
「…そのお嬢ちゃん、流石だよ。お前の精神に入り込んで荒らそうとした時に、仕込んでいた鎖で肉体をやられた。お前を乗っ取ろうとしたが、嬢ちゃんの使う銃弾。まさか精神世界に入る物まで用意していたとは。お前さんの頭に打ち込んで、嬢ちゃんごと入って俺を凍らせてきたよ。そのまま元の身体に追い返されちまった」
「…本当に器用なやつだな」
「…んんー、やっぱりそういう相手もたまーーにいるからねえ…」
小さな可愛らしいあくびをしながら、ツユが腕元で目を覚ます。
「わしももう先は長くない。行け、奴はこの上の最上階で待ちくわしているぞ」
そうして彼はそのまま、無い息を引き取った。
「…くそっ、とうとう毒が効き始めたか」
腕の刻印が不気味な紫を放ち、とうとう全身に毒が行き渡り始めた事を告げる。
「ユキ、大丈夫!?」
「ああ、問題ない。行こう、この先だ」
ユキは歩くのもやっとのようで、階段を登り切ったすぐ先にある両開きの大きな扉をもたれ掛かるようにして開けた。
「おや、ユキ。裏切るなんて悲しいねえ。可愛い女の子にそそのかれたのかい?」
第四幹部の長。暗殺教団の長。裏世界の長。
名前なんて誰も知らない。知る必要もなければ知られる必要も無いのだろう。
「うるさい、黙れ、人殺しに何がわかる」
「それって自虐ネタなわけ?笑わせないでくれるかい? しかもその人殺しが、また人殺しの囁きに乗っかって浮かれてるなんて、本当に笑える」
「…? どういうことだ?」
「ああ、知らないのか。その女は、元々この教団の幹部だったんだよ」
「…!!?」
「第四幹部なのに3人しかいないのを、おかしいと思ったことは無かったのかい?」
「嘘だろう、何か言ってくれよツユ…?」
「……」
「…ははっ、なんだ本当なのか。そうか、ははっ」
「彼女はね、自分で刻印を凍らせたんだよ。もう7年も前の事だけどね。人殺しの快感を盗みに置き換えてたのかい?」
「…私はあなたを許さない。あの時何も分からず魔女として迫害されていた私の弱みを漬け込んで、こちらの世界へ引き込んで、道具にして。挙句の果てユキを使って消そうとまでした。」
「そんなに死ぬのが嫌だったのかい?」
「違う。あなたのことだもの、ユキが迷っているのを分かって私に仕向けさせたのでしょう。それが貴方のいつもの手口だもの。」
「よく分かってるねえ。ユキは強い分、少し私の手にも余るのでね。消えてもらうことにしたよ。仕方なくね。」
「私はあなたと決着をつけに来たの。ユキを救って、貴方を倒す。」
「無理だよ。僕に魔法は効かない。だから君も私に挑もうとはせず、あの時逃げたんだろう?」
「じゃあこれならどうだ!!」
苦しそうに倒れ込んでいたユキが、ノーモーションで地を蹴って前へ飛び出す。鎌を二つ構えて首を狩り取ろうとする、が。
「____無駄だよ。早いが動きはもう読める」
金属特有の鈍く高い音の奏は、剣1本で大鎌2本を受けられたことを意味した。
「っく、毒が…」
「もうそろそろ時間か、最後を見届けることにしよう、か!!」
語尾に力を入れると同時に、ユキを腹のあたりで蹴り飛ばす。ユキはツユの足元に転がり、大鎌を2本とも折り飛ばされてしまった。
「…くそ、ここまでか。ツユ、ここまでしてくれてありがとう」
「…黙っててごめんなさい。人殺しって知って、失望したでしょう」
「前の話なんて関係無い。お前はこうやって現に俺なんかの為に、命をかけて、命の為に戦ってるんだ。」
「…」
「最後に、少し血を分けてくれないか」
「…わかった。いいよ、あげる」
「…俺はやはり普通の人間じゃない。記憶もないから自分が何者かも分からない。それでもツユ、君は受け入れてくれた。その事が俺のこの一生の中一番嬉しかった事だ。ありがとう、さようなら」
ユキはツユの首すじを少し齧った。そのまま彼は倒れた。
気付くと彼は異形の姿へと見た目を変えていた。それは彼の元いた世界にも存在しないはずの「吸血鬼」そのものだった。
「おやおや、やっとお目覚めかい」
目の前には無傷の彼と、見るも無惨な姿になったツユが倒れていた。
「さあ、君とも決着を着けようか。毒が完全に回るのが先か、私が君に押し負けるのが先か。」
「彼女に何をした」
「大丈夫、死んではいないさ。もう出血死で死ぬだろうがな。私はめっぽう魔法に強くてね。魔法同士の戦いでは負けないのだよ。」
「俺は残念ながら物理しか使えないもんでな」
「ほう、良い戦いができそうでよかったよ」
その瞬間、双方は動き出す。閃光が駆け巡って、その後は_______
「やっぱり、時間不足か」
全身の感覚が無くなるのを感じた。
交わしたのはお互いにたった一撃だった。俺の腕は奴の心臓に入り込む前に切り取られた。そのまま俺は腕ごと上半身から上を切り取られ、戦闘は幕を閉じた。
「…ははっ少しでも私が遅れていたら死んでいたよ。まだまだ世界は私のものだ。君ごときに奪われるほどやわではないよ。」
「それは、どうかな」
「…なにっ!?」
戦いで消耗していた彼は反応が遅れてしまった。いや、予測などできない。彼女はほぼ「死んで」いたはずなのだから。
彼女が打ち出した弾丸は心臓へと走る。彼は避けきれはしなかったものの、腕を掠める程度で済んだ。
「悪足掻きはよしたまえ。どの道君も死…!!?」
「どうですか? 貴方を殺すために7年間培ってきた成果は」
「これは…魔法じゃ…ない!」
「血液を凍らせる成分を含ませた銃弾、魔法じゃなくて化学反応、と言ってもきっと貴方には分からないでしょうけどね」
「化学…だと…? 何万年前のテクノロジーだと思っている…」
「あなたはその何万年前のテクノロジーに負ける。その何万年前の武器から打ち出された、何万年前の技術によって、あなたは私が殺す最後の人間となる」
「ばか…な……ありえ…な…」
彼が完全に凍りきってしまう前に、彼女は倒れた。彼女の意識が完全に無くなる前に、弾を一発スナイパーライフルに込めた。自分の血で濡らした青い銃弾。それを上半身だけの彼へと打ち出す。
一発。その銃声の後、何年かその城には静寂が訪れた。
7年後。
「ってことがあったよねえ、ユキくん」
「あの時は本当に死んだかと思ったさ。」
「吸血鬼って凄いんだねえ。あの状態から毒が消えるまで凍らせるのは私の狙いだったけど、まさか自分で下半身繋げる手術しちゃうなんて」
「ツユこそよく生きてたもんだ」
「まあ私はもう片目が見えないし、魔法ももうほとんど使えないけどね」
「いいじゃないか、今はこうやって錬金術師としてうまくやっていけてるんだから」
「んー、まあそれもそっか。こうやってユキくんとも居れるんだし。あの一件が無いとこうはならなかったもんね」
「皮肉なもんだなあ。」
「そんなものじゃない?人生なんて」
「それもそうか… じゃあ思い出話もこの辺りにして」
「うん」
「「結婚生活3年目に、乾杯」」
6月。夜で雨が降り続いている。
静かなアトリエに、グラスを交わす音が響いた。