勇者(仮)のための異世界サバイバル講座
私は小堺保志。
どこにでもいる平々凡々とした一介の中学校教師だが、私には一つだけ自慢がある。
それは私が教鞭をとる田園中学校に、スポーツ万能で将来はオリンピック金メダル確実と言われる生徒がいることだ。
しかも陸上短距離、やり投げ、フェンシング、馬術、柔道、水泳と、何も関連性のない多種目でぶっちぎりの世界大会優勝ならびに世界新記録樹立を成し遂げた超人である。
そしてその超人の名前は大倉雪之丞。
どこぞの歌舞伎役者かとおもうような名前だが、彼はまだ中学二年生にもかかわらず身長百九十を超える超大型中学生である。
とはいえ、ごく普通の一般家庭の生まれである彼がなぜこんなにも多種目をこなしているか、それには様々な理由がある。
陸上短距離に関しては、体育の授業で小学生の頃からその年齢の日本記録を塗りかえるという事象から当然のように国内の大会に参加するようになり、その参加した陸上大会で仲良くなったやり投げの選手に誘われて試しに投げてみたら世界記録を更新するという化け物ぶりである。
そんな異能に目を付けた各スポーツの連盟がそれぞれに大倉へと話を持ち掛け、そのうち本人が興味を示しチャレンジした種目すべてで超人的な記録を残し、現在の環境に至っている。
残念ながら学問の方は平凡中平凡な成績状況だが、それを差し引いても大倉が偉大な選手であることには変わりない。
もっとも教師の俺から見た一生徒としての大倉は、素直で頑張りやな少年である。
だがそんな大倉も、スランプなのか悩みがあるのかこのところ調子を崩している。
先日出場した陸上大会で初めて世界記録の更新ができなかったのだ。
おかげで連日報道陣が詰めかけて大変だった。
私もいろいろ取材を受けたが答えようがない。
ただ最近の大倉は、授業中ため息をついて窓の外を眺めていることも多くなった。
なにか悩みでもあるのだろうか。
中学2年といえば、思春期を迎える年頃だ。
……もしかしたら性の悩みだろうか。
しかしかくいう私もそちらの経験がげふんげふんな状態である。
とても誰かにアドバイスできるような立場にない。
だが私も教師である。
生徒の悩みには真摯に向き合うべきであると思う。
数日悩んだあと、意を決した私は「大倉、放課後生徒指導室に来なさい」と声を掛け、その日の授業を終了した。
そうしてその日の放課後、大倉は素直に生徒指導室にやってきた。
「よくきたな、大倉。
座りなさい」
私は向いの席を大倉に指し示して着席を促した。
もちろん大倉は素直な少年だ。
言うがままに席に着いた。
「大倉、最近授業中にため息ばかりついてるじゃないか。
どうしたんだ。
何か悩みがあるのか」
私が優しく問いかけると、大倉はしばらく下唇を噛んで黙っていた。
だが私は大倉が自分から話すまでじっくりと待つつもりで、大倉へ根気よく視線を注いだ。
そして十分ほど過ぎた頃だろうか、ようやく大倉が重たい口を開いた。
「先生、俺……。
ちょっと前に、いとこの家に遊びに行ったんです……」
ほおお、いとこか、さては美人のいとこのお姉さんにノックダウンされたのだろう。
大丈夫、いとこは結婚可能だぞ、安心しろ大倉!
「ふむふむ、それで?」
「そこで、いとこの直哉兄ちゃんが……」
「直哉?
!!! ……男性か?」
おっとまさかボーイズラブなのか?
さすがにそれはハードルが高すぎるすぎる相談事だぞ、大倉!
「ええ、はい、都内の男子校に通う二つ上の従兄です」
いよいよボーイズラブ要素か!
ううう!! コワイが逃げはせん!!
かかってこい!! 大倉!!!
「……そうか! それでそのいとこがどうしたんだ」
「で、その直哉兄ちゃんが、『雪、これ面白いぞ、読んでみろよ』って、本を貸してくれたんです」
男子高校生がおすすめする面白い本か……さてはエロ本か?
「衝撃を受けました」
分かった、エロ本だな!
きれいなお姉さんに欲情したんだな?
それは皆が通る道だぞ大倉。
「先生、俺………!!!」
大倉は重々しく私に告白した。
「もうすぐ勇者召喚されるみたいです!!!!」
厨 二 病 か!!!!
「ちょっと、待て、大倉」
「考えてみたらずっと不思議だったんです」
「いやだからな、大倉」
「人より体大きいし」
「話を聞け? 大倉」
「スポーツ万能だし」
「だからなちょっと、待て、大倉」
「顔もいいし」
「それは関係ないだろ、大倉」
「まさか俺みたいな人間は勇者召喚されてしまう運命だなんて、知りませんでした。
でも、俺、凄く心配で……」
「ええと、大丈夫か、大倉」
「先生、俺、英語苦手だから現地の人とうまく話せないと思うんです!!!
どうしたら、いいんでしょう!!!!」
うん、私は今、君にどう答えたら分かってくれるか聞きたいところだよ?
そもそも異世界行っても相手の話す言葉は英語じゃないからね?
「そのことを考えたらぜんぜんお米が喉を通らなくて……」
食欲がないって言いたいのかな?
知らなかったけど大倉君、かなり天然だね?
さてさて、これはどう対処したものだろう。
ここはひとつ、はっきり勇者召喚など単なるフィクションで現実ではないとはっきり伝えるべきだろう。
大倉は確かにチートな能力の持ち主だが、待てど暮らせど勇者召喚など有るはずがない。
私は心を鬼にして、はっきりきっぱりそう伝えるのだ!!
「あのな、大倉」
「はい……」
私を息を吸って大きく口を開いた。
そうだ、はっきりと言うんだ。
たとえそれで大倉が落胆してこれ以上スランプに陥ったとしても、すべては大倉のためなのだ。
そうだ、スランプなど、これからの大倉にしてみれば大きな問題ではない……と思う。
いやまてよ、あるかな?
……………絶対、あるでしょ。
そうだよ、これ以上大倉が調子崩したりしたら、何が原因か調べられて、その原因が私ということになれば…………。
……どう考えたって、大きな問題だよぉぉぉぉ。
責任大きすぎるでしょ!!!
どどっ、どうしよう。
普通なら自然と夢と現実が区別つくのになぁ、大倉天然だもんなあ。
でもまてよ。
……ちゅ、厨二病とか、思春期の洗礼みたいなもんだよな!!!
大倉に限って起きた現象じゃないし、あ、あれだよ、サンタクロースと一緒で、大人になれば自然に分かる的な奴だよな。
それにもし大人になっても信じていたら、だれかが優しく教えてくれるはずだ。
そうだ、それはけして私でなくてもいいはずだ。
だからここはひとつ………。
私は大倉にニカっと微笑んだ。
「英語力がなくても、異世界ではたいがい異種言語自動翻訳のチートがツキモノだからな、その心配は不要だぞ。大倉」
……いつか自分で気が付いてくれよ、大倉!!!
先生は信じてるぞ!!
「えっ!!
そうなんですか?
あの本では言葉が分からなくて大変だったんですけど」
大倉の読んだ本は言語チート無しのやつか、なるほどな。
「そうだな、稀にそういうこともある、だが先生は大倉なら大丈夫だと思うんだ」
「え? どうしてですか、先生?」
「思い出してみろ、大倉。
五月の体育祭の真っ最中、突然野生の暴れ馬が校庭に乱入してきた事件があっただろ。
あの時、あの暴れ馬に近づいて行ったお前は、あっという間に馬を制圧した。
いやそれどころか、さっと飛び乗って見事に乗りこなした」
「……そういうこともありましたね、先生。
あの馬は、今では馬術をするときの僕の大事なパートナーです」
「そうだったのか……さすがだな、大倉。
とにかくな、大倉。
先生は、野生の暴れ馬を手なずけるその同じやり方を使えば、異世界に行ってもすぐに友達ができると思うぞ」
「……そうなんですね、先生!!!」
とたんに大倉は、全ての憂いが払拭されたように、満面の笑みを浮かべた。
「ああ、もちろんだ、大倉。
気合いと根性さえあれば、言葉なんてなくてもちゃんと気持ちは伝わるんだぞ。大倉」
「……、なんだ、そうだったのか。
生け捕りにして食べる勢いで襲い掛かれば相手を屈服させられますね。
なるほど、現地人を力で制圧すれば、言葉なんて必要ないんですね!!」
………まて、大倉。
その解釈はおかしいぞ!!!
それは勇者というよりむしろ魔王的発想だぞ?
「先生、ありがとうございました!!!
悩みが解決しました!!」
大倉なんだかスッキリとした表情で、私の静止も聞かず生徒指導室を去っていった。
な、なんか違ったけど、まぁいいか、本人が幸せなら。
とかなんとか自分に言い聞かせた自分だが、その時の私はまだ知らなかった。
大倉の厨二病は、次第に重症化していくということを。
そして悩める彼に相談され、勇者召喚後に役立つ知恵を授けていくはめに陥っていく、ということを………。
野生の暴れ馬……。
コ、コメディーだから、許される……といいな。