疑念
「軍」という集団に所属する一兵士として、自分の上官や忠誠を誓うべき帝に不審を抱くなどあってはならない。
だが、此処最近の出陣の多さと内容を、素直に「命令だから」と鵜呑みにしてもいけない。
言い様のない感情を抱きながら、緑髪の男は白すぎる廊下を歩いていた。
「おや、ミレイユ。どうした? 顔が凄いことになっているぞ」
「父……ミネイ様。いえ、少々考え事を」
緑髪の男――ミレイユ――は、慌てて丸くなりかけていた背筋を伸ばし、自分より幾らか背の低い文官――ミネイ――を見た。
「宮中ではあるが、そう畏まらずともいいよ。私達は親子なのだから。陛下も構わないと仰っていただろう?」
「それは、そうですが……此処は互いの職場ですので」
「相変わらず頭が固いな。それで? 考え事やらはそんなに深刻なのかい?」
「え、ええ……そうですね」
実の父親ではあるが、その前に彼は所属こそ違えぞ、自分の上官だ。
滅多なことは口にすべきではないと己の背筋を更に伸ばし、ミレイユは何も聞いてくれるなと目で訴える。
ミネイはそのことに気づいたのか、「あまり根を詰めないようにね」と微笑むと、両手に持った大量の書類を落とさないよう抱え直し、足早に去っていった。
その背を見送ると、ミレイユも足早に廊下を歩く。
すれ違う文官が、恐れと侮蔑の目で自分を見ていることは知っているが、逐一それに反応はしない。
「不殺」を重んじる天界において、自分達武官は時として誰かの命を奪う存在である以上、彼らの態度は仕方がないのだと心の中で何度も唱え、言い聞かせる。
正直「生きる為」と、彼らとて獣も魚も食らっているのだから、不殺など形ばかりではないかと思うこともないが、それを問うた所で意味が無いことは分かりきっている。
言い合いをした所で、人の揚げ足を取り、過剰な反応しかしないのだから、体力温存の為にも放置すべきなのだ。
黙々と足を動かせば、聞こえてくる耳心地の良い声。
それは決して軽やかな音色でも、愛らしい旋律でも、心奪われる声でもない。
だが、兵士として、武人として聞けば、それはどんな音楽にも負けない魅力がある。
「一、二……」
ミレイユの耳に届くのは、新人の兵士達が素振りをする声と音。
筋力も踏ん張りも足りず、模擬刀を振った瞬間に自分自身も回転してしまう若い兵士の姿やそれを心配した仲間達が駆け寄る姿は、なんとも微笑ましい。
それ故に、最近の出撃命令やその内容を考えるとやるせない。
天界という広い世界において、たった一人の、絶対的な存在である「天帝」
その座は代々、天界で生まれ育った者の中から天帝が選ぶ。
息子であったり、娘であったり、場合によっては、官吏の中から選ばれることもある。
だが、今の天帝は異例中の異例。異端中の異端だ。
何故ならば、今の天帝は、元々は地上界の人間。
天と地を結ぶ役割を持った「緋龍族」の長だったのだから。
彼が天帝となった経緯を、誰も知らない。
ただ、天帝が代替わりをする際、次代の名が浮かぶという巻物に彼の名があったということだけが周知の事実だ。
最初は地上界の人間など、と反対をしていた官吏達もいたが、彼の政務者としての能力は前天帝を上回っており、あっという間に反対の声は消え失せた。
勿論、武官の中にも反新天帝派はいたが、戦などありえはしないこの天界でお荷物扱いをされていた自分達を犯罪者の取締や外区の見回り、武術大会等でその認識が誤りであると人々に伝えることに成功した彼を前に、その拳を振り上げる者が出るはずもない。
そして、欠点など無いのではないかと思うほど完璧な存在であり、誰よりも天帝らしい彼を、宮中に勤める者だけでなく、天界に住まう者達が慕わないはずがないのだ。
経緯こそ不明だが、有能であり、誰よりも天帝然としている彼こそ、あの座に相応しく、前天帝の判断に誤りなど無いというのが皆の意見だ。
ミレイユも始めは、否、今もそう思っている。
だが、どうしても疑念は消えない。
どうしても、先程火の海に沈めた屋敷の光景と人々の姿が消えてくれない。
「どうすれば……」
ポツリと呟いた声は自身が思うよりも大きく、慌てて口を塞ぐミレイユ。
だが、近くにいた兵士にはしっかりと届いていたらしく「どうしたのですか?」と目で問われる。
適当に誤魔化せば良いのだが、父親に言われた通りなのか、あまり柔軟ではない頭は良い返しを浮かべてはくれない。
それどころか、「陛下は、天帝は一体何の為に無抵抗の人々を屠るのだろうか?」という疑問が口をつきそうになる。
「副隊長?」
「お体の具合でも悪いのですか?」
兵士達が不安そうに自分を見上げる。
「……いや、大丈夫だ。地上界の様子を映した水鏡を維持するのに、少し骨が折れただけだ」
「ああ……確かに距離がある分、魔力を使いますからね」
「副隊長、そういった細かい作業駄目ですものね」
なんとか言葉を濁せば、得心がいったと言わんばかりの顔で頷く兵士達。
そんな彼らに「細かい作業が駄目というのは、余計なお世話だ」と笑ってみせたが、心の中では「あんな光景を見て、お前達は何も思わないのか」という疑問が渦巻いていた。
*****
「同じ人間がしたこととは思えないわね」
眉間に皺を寄せ、苛立ちを隠しきれずに呟いたのは、黒髪の少女だ。
傍で必死に鼻を動かしていた清華や、器用に羽ばたきを利用して灰を飛ばしていた雪華は、その声にビクリと体を震わせた。
「そう怒るなよ。姫さん」
「怒りたくもなる」
彼女はそう言うと、疾風に何かを投げた。
「あぶねっ」と反射的にそれを受け取った龍は、マジマジと少女が投げてきたモノを見る。
それは、誰かの涙を固めたかのように澄んだ、けれど悲しげな青色の宝石だった。
「……念珠……なぁ、本当にフィラルの兵士は此処の調査をしたのか?」
宝石――念珠――を光にかざしながら問う疾風に、「知らない!」と八つ当たり気味に返した少女は、足元に視線を移した。
「姫様、これは……」
「黒焦げの死体」
あっさりと告げる少女に、露骨に嫌な顔をする清華。
雪華と疾風もその言葉が余程衝撃的だったのか、動きを止めた。
「ひ、姫様……?」
「落ちた屋根か柱の破片除けたらあったの。念珠は多分、この人の。運悪く、屋根が体全体を押しつぶしてくれなかったせいで苦しんだみたい。疾風」
「お、おう……」
「そこの瓦礫の所に、小さい子達の遺体があるはずだから、丁寧に作業してね」
少女の言葉に、垂らしていた尻尾を慌てて持ち上げる疾風。
普段ならば「なにをしているのだ」と呆れる雪華だが、彼にもそんな余裕は無かったのか、ただ少女の次の言葉を待っていた。
「……一先ず、遺体を集めて焼こう。骨にしないと運べない。それから、どこか町に行って、拝み屋さんで弔って貰おうよ。兄さんに言ったって、教会か共同墓地に依頼しろとしか言わないんだから」
少女の言葉に、「それは王として、というか人として正しくないか?」と首を捻る疾風だったが、今でさえ底辺に近い彼女の機嫌が地の底に落ちる可能性を考慮し、口を噤んだ。