夢
燃え盛る炎。
飲み込まれる屋敷と血塗れの人々。
五、六歳に見える少女は一人、その光景を前に佇んでいる。
「――!」
名前を呼ばれた少女が慌てて後ろを振り向く。
其処には一人の女性と、紅色の小さな龍が立っていた。
「かあさま!」
ギュッと母親に抱きついた少女は、必死に家が燃えていると、人々が怪我をしていると訴える。
子供特有の高い声で訴え続ける少女を、母親は強く、優しく抱きしめると「大丈夫よ」と微笑み、紅色の龍と共に居るように告げた。
言われるがまま、母親から離れ、龍の傍に行く少女。
「大丈夫よ」ともう一度告げながら、優しく彼女の頭を撫でた母親は、空間魔法の呪を紡ぎ始める。
「はや……にさまたちが……おけがを……あねさまやととさまは、どこ? どうしておうちがもえているの? どうして、みんなにげないの?」
不安からか、龍が話す隙も与えず、ただ一方的に疑問を口にする少女。
大きな紅色の瞳や声には涙の色が混じり、小さな手や体はカタカタと震え始めた。
「ととさまは? あねさまは?」と燃える屋敷と庭を何度も見る彼女の頭を、龍はただ優しく撫で続ける。
「ねぇ、はや……」
「――、疾風。此処に」
呪を唱え終えた母親に呼ばれ、少女と龍――疾風――は、黒い渦の前に立った。
「――をどこに行かせるつもりだ? 奏樹」
「ととさま!」
無事だった! と嬉しそうに目を輝かせる少女。
だが、父親の手にあるモノを見て、その顔を強張らせた。
「あなた……今回のこと、全てが天命ならば私は受け入れましょう。でも……この子は……――は、関係がありません。どこへ行こうと、自由なはずです」
「関係ならばある。その子は、私達の娘だ」
「親の業を、子が担ぐ必要などありません。あなた、もう終わりに……」
して下さい。という言葉は、屋敷が崩れ落ちる音にかき消された。
異常な事態に、本能的な恐怖を隠せない少女はギュッと龍を抱きしめ、父親達を見つめる。
「奏樹、諦めろ。これが、天命だ」
炎によって映し出される血に塗れた刃。
父親の表情は見えないが、しっかりと握られたその刃によって、その意志は分かる。
「ひっ」と小さく声を漏らし、少女は息を呑んだ。
一歩、また一歩と近づいてくる父親に、今迄抱いたことの無い感情――恐怖――が募る。
「や……ととさま……やだ……やだぁ……!」
動くことも出来ず、ただ「いやだ」と泣く少女。
その小さな体が、次の瞬間ふわりと浮いた。
突然のことに目を見開いた少女だが、何が起きているのかを理解することは出来ない。
その時、ポタポタと生温い何かが、頬に落ちた。
「生きて……あなただけでも……!」
聞こえるのは、母親の声。
見えるのは、大好きな父親が、大好きな母親を背から刺している姿。
頬に落ちてきたモノが母親の血だと分かったその時、自分は小さな龍に引っ張られ、空間魔法の渦を落ちているのだと理解した。
「や、だ……やだ! まって! まって! はやて! かえして! かあさまのところに……!」
「駄目だ。何の為に奏樹が俺達を落としたのか考えろ!」
「やだ! やだよぉっ! かあさま! かあさまぁ!」
少女は必死に手を伸ばし、母親の元に帰ろうとする。
だが、その意志とは反対に、体は底の見えない渦の中へと落ち、母親達からは遠ざかっていく。
母を呼ぶ声が木霊する渦の中、少女は意識を手放すまで必死に母親を呼び、手を伸ばし続けた。
*****
懐かしい夢を見た。と少女は目を覚ました。
フカフカのベッドの上、気持ちよさそうに眠っている蜥蜴、ではなく体の縮尺を変えた紅龍を優しく撫で、彼女は窓辺へと移動した。
カーテンの向こうは、まだ夜明けに遠いらしく暗い。
少女が目を覚ました事に気づいたらしい白藍色の小柄な狼が、彼女の服を噛む。
「ごめん、清華。起こしちゃった?」
「いいえ。何かあったのですか? 姫様」
「あー……ちょっと懐かしい夢を見ちゃって」
「懐かしい夢?」
うん。と頷きつつ、テーブルの上にあった小さなランプに、明かりを灯す少女。
部屋の隅に作られた架で眠っていた白い鷹が、明かりで目を覚ます。
「ごめんね、雪華。まだ眠っていていいから」
緩く手を振り、微笑んだ少女は椅子に座ると大きく息を吐いた。
「姫様?」
「清華も雪華も、丸くなったよねぇ」
「は?」
「見た夢がね? 丁度雪華を仲間にした頃だったから」
「ああ……そういうことですか」
ようやく得心が行ったらしい清華の言葉に、少女は「若かったよねぇ。お互い」と笑った。
「姫様……失礼ですが、ご自身の年齢をお忘れですか?」
「まさか。ちゃんと覚えているよ。今年で十六だって」
「なら良いのですが……ああ、もう四年も前のことなのですね」
「そうだね。ほんと、月日が経つのは早いね」
あっという間だよ。と溜息を吐く少女。
その瞳には、言い様のない思いが宿っている。
それに見ないフリをした清華は、己の体を少女の脚に擦り付けると「お休みを」と再び眠るよう促した。
「……眠くないって言ったら?」
「無理に眠る必要は御座いませんよ。ただ、ベッドの上で体を横にして頂きたいだけです。それだけでも、休息になりますから」
「そっか……ねぇ、清華」
「はい」
「敬語は嫌だって言ったら、前みたいに話してくれる?」
「いいえ」
迷うこと無く首を横に振る清華。
その答えに、僅かだが寂しげに瞳を揺らした少女は「そっか」と頷き、それ以上何も言わない。
強請るような真似は相変わらずしないのか。と反応を待っていた清華は心の中で呟くと、「おやすみなさいませ」と天蓋ベッドのカーテンを閉め、溜息を誤魔化すようにランプの火を消した。