刺客 弐
雷を纏った光球は、美しい琥珀色をしていた。
しかし、触れれば爆発すると分かっている所為か、それとも、蓮華達がそれに囲まれている所為か、鋼夜達は素直に「美しい」と思えない。
どうすれば二人を助けられるだろうと彼らが考える中、蓮華は平然とした顔で光球に触れた。
ジュダの顔が歪み、エアが悲鳴を飲み込む。
真っ白な空間を包み込んだ静寂が、今か今かと爆発音を待つ。
「……爆発、しない?」
爆発音の代りに響く、瑠璃の戸惑った声。
何が起きたのかを誰かが問うよりも早く、蓮華の魔力が空気を震わせた。
琥珀色の光球が、その色を白へと変えつつ、彼女達から離れていく。
「馬鹿な! こんな……こんなことが……!」
「緋龍とは、他の龍族を統べる存在。火も、風も、水も、土も、雷も……その気になれば制するのは容易いこと。しないだけよ。天や地に生きる人間と一緒に生きる為に」
少女らしからぬ、低く、何処か達観しているようにも聞こえる声で告げる蓮華。
その瞳は氷の様に冷たく、刃のように鋭い。
これから起きることを予想し、疾風は彼女から離れた。
「疾風」
「なんだ?」
アレクの呼び掛けに、視線だけを向ける疾風。
安心させる為なのか、その体は鋼夜の肩にあり、尾は瑠璃の手に触れている。
彼女の戦いに手を出すつもりはないと分かるその姿に、アレクは「いや」と首を横に振った。
「ねぇ、ジュダ」
カツン、と蓮華が床を蹴る音が響く。
確実に縮まる距離に、ジュダは腰にあった剣を抜いた。
「あの人は……何を考えているの?」
口に出かかった言葉を無理矢理飲み込み、ジュダに切っ先を向ける蓮華。
負けじと構えたジュダは、口の端に笑みを浮かべると自身を奮い立たせるように叫んだ。
「何を? 『何を』とはおかしなこと。あの方は天界を、この世界を護る為に心を砕かれているだけ! 『龍族』という特異な血を持つだけのお前とは違うのだ! 世界の理を歪め、天を! 地を! 己のモノにせんが為に血に濡れている貴様ごときが、あの方の意思を知ろうなどとおこがましい! 貴様に残されているのは、この私に斬られ、死ぬことだ! そうだ。それ以外に無い! 私はジュダ。天界軍第一部隊隊長! あの方の意思に従い、あの方に身を捧げ、あの方の為にならば、血に染まれる……あの方の、あの方だけの剣!」
先程までとは全く違うジュダの様子に、瑠璃が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
キュッと疾風の尾を握った彼女は「狂ってる」と瞳で語る。
雪華や清華も、否、この場にいた全員が、ジュダの狂気を肌で感じ、言葉を失った。
「……可哀想な人」
「なに?」
ピタリとジュダの声が止む。
怒りに染まった瞳に映るのは、感情の読めない、否、己を憐れむ感情だけが分かる蓮華の姿。
「貴方を見て、分かった。あの人は、貴方すらも利用して……天界も地上界も……何もかもを壊したいのね」
「あの方を侮辱するつもりか!」
「侮辱じゃないわ、ジュダ。これが真実。そして、私も貴方もそれに従うしか無い……抗う為の抜け穴を、あの人は用意してくれていないから」
激昂するジュダと憂う蓮華。
対象的な二人の間に立つ「あの方」とは誰か、鋼夜と瑠璃は疑問に思うが、それを疾風達に問うことはできなかった。
「此処で果てろ! 天界の、世界の害悪!」
ジュダの叫びと剣が抜かれる音が重なる。
顔、首、腹と容赦なく放たれる斬撃の勢いは凄まじく、蓮華は身をひねり、時には宙へ飛んで、それを回避した。
「……赦さなくて、いいから」
何度目かの攻防の末、地へと降りた蓮華はそっと囁いた後、彼の胸を突き、首を斬りつけた。
僅かに色の違う「赤」が彼女を染め上げ、ジュダがその場に崩れ落ちる。
「……きさ……なさけ……を……!」
苦しげに呼吸し、血と言葉を吐き出すジュダ。
明らかに加えられた手心に「侮辱だ」と吠える彼の目は怒りに燃え、少し見るだけでも恐ろしい。
だが、蓮華はそんな彼の目をじっと見つめたまま「それは貴方も同じでしょう」と眉を下げた。
「……どうして貴方は得意の槍ではなく、剣で私に挑んだの? 本気で殺しに来たのなら、剣を選ぶような真似も、こんな空間を作ることもしなかったはずでしょう?」
蓮華の問いに、ジュダは何も答えない。
「……帰りなさい、ジュダ。勝負は最早決し、このままでは貴方は天上に戻ることも出来ないまま死ぬことになるでしょう。それが嫌ならば……この私を確実に殺したいのなら……今すぐに、帰りなさい。ジュダ!」
命じるように、強い口調で告げる蓮華。
その目には「死なないで」という祈りの言葉が映っていた。
「……情けを掛けたこと……後悔なさい……!」
言い残すと同時に姿を消したジュダ。
術者が居なくなったことで空間魔法が解け、蓮華達は再び森の入口へと戻された。
「……少し、席を外すわ」
血に塗れたままだった蓮華は茂みに姿を消し、緊張から開放された鋼夜と瑠璃は、彼女に返事をしながらその場に座り込んだ。
先程までいた空間と全く違う、目に痛いほどの緑と肺を満たす澄んだ空気に触れ、二人は改めて疲労と恐怖を感じた。
意図せず連れて行かれた空間、今迄嗅いだことが無いほど濃い鉄の匂い、狂った人間の声や生きる為に帯びた吐息の熱……頭や体を駆け巡る衝撃と感情についていけない二人の喉が苦しげに鳴り、瞳からは涙が零れ落ちる。
「……末姫、休憩を取ろう」
茂みに声を掛け、蓮華の了承を待たずに荷物を解くウィル。
同意するようにアレクも荷物を解き、エアは鋼夜と瑠璃を簡易椅子に座らせると、火の輝石で湯を沸かし始める。
そんな彼らを手伝う余力もなく、疲れている時と似た、けれど全く違う感覚に戸惑う鋼夜と瑠璃。二人を心配した清華達が傍に来ても、何も反応出来ない。
「……甘くした方が良いわね」
そう言いながら、紅茶の入ったカップにシナモンスティックを入れるエア。
王城でも、旅の支度中にも見られなかった真剣な、それでいて優しいその表情は、確かに彼女がウォル国の王なのだと思わせるほど凛々しく、美しい。
「はい。熱いから気をつけてね」
口々に礼を言い、エアからカップを受け取る鋼夜と瑠璃。
フーっと息を吹きかけ、シナモンスティックをクルクル回せば、その先についていた砂糖の塊が溶けていく。
正直に言うと、鋼夜も瑠璃もシナモンのように香りが強いモノはあまり得意ではない。
だが、何故か今は、その独特の香りと、胸焼けしそうな程の甘さが酷く心地よかった。




